其の1で「朱雀門」周辺を、其の2で「東院庭園」周辺をお伝えしたので、其の3では、「遺構展示館」周辺をお送りしたいと思います。
さて、写真は「平城京なりきり体験館」です。iフォンを使ったデータ通信、高松塚古墳のデジタル画像、天平衣装の体験、体験工房による木簡作成など奈良時代の雰囲気を味わうことができます。
さて、今回のメインとなる「遺構展示館」です。ここは、発掘調査で見つかった遺構をそのまま見学できるという珍しい展示方法で見せる資料館です。では中に入りましょう。
これは、第一次大極殿(行政スペース)の東にあった内裏(天皇の居住スペース)の模型です。大極殿と内裏の違いは、現在でいうところの「首相官邸」と「首相公邸」の違いです。
さて、いよいよ発掘調査の遺構面とのご対面です。考えもなしに見ていると「ただ穴があいているな…」くらいにしか感じないのですが、よくみると、「建物が建っていただけならばなぜこんなに柱の穴があるんだ?」という疑問に辿りつわけです。そこで、ここが何回も建物が建て替えられていたということがわかるわけです。う~ん発掘調査ってすごい。
さて、これは何でしょうか?これは、平城宮内で酒を造る役所から発掘された排水管なんです。現代で言えば下水管。これがまさか奈良時代からあるとは。
さらには、こんな排水溝のある遺構まで展示されています。発掘調査の時と同じ遺構が見れるなんてステキ。で、この場所に建っていた建物はどんなものだったかというと、
こんな建物だったようです。復元に至るまでの発掘調査の段階から見ることができるというのはとても貴重なことです。この遺構展示館では、史跡の「見せ方」について学ぶことができます。史跡の保存・整備については次のような見せ方があります。
(写真左)①「遺構露出展示」…発掘された遺構をそのまま見ることができる。
(写真右)②「遺構模型展示」…発掘調査で見つかった遺構の実物大模型の展示
(写真左)③「模型表示」…発掘調査で得られた建物の大きさや柱位置などをさまざまな材料で表示する
(写真右)④「基壇復原」…発掘調査で見つかった建物の下部(基壇など)を復元する。
(写真)⑤「復原展示」…発掘調査などで推定される建物のを可能な限り忠実に再現する。
という5つの方法です。
朱雀門や東院庭園はこのうち⑤の「復原展示」になります。
朱雀門の東にあった兵部省や式部省、壬生門なんかは④の「基壇復原」になります。
一般の人にはやはり⑤の復原展示が受けがいいですね。やはりイメージが一番とらえやすいという利点があります。①~④では自分の想像で補う部分がありますので、色々な史跡をみていないと目が養われていないので想像がつきにくいんですね。
しかし、①の「遺構露出展示」というのもめったにありません。これにあたるものと言えば、愛媛県松山市の湯築城の土塁展示くらいでしょうか。遺構面を保護する必要があり、多額の費用がかかるという難点があるのでしょう。
さて、遺構展示館では入口に売店があります。多くの平城宮のグッズや、出版物などを購入できるのでぜひ購入しておきましょう。「平城宮跡資料館」の売店でも買えますが、どちらかというとこちらの売店の方が充実しています。
遺構展示館を出て西の大極殿の方へ向かうと、何やら復原展示の建物が見えてきます。これが「宮内省」です。宮内省とは天皇のための仕事をする役所であり、天皇の行政スペースである「大極殿」と居住スペースである「内裏」の近くにあったわけです。
宮内省の建物の中にはこのような役人の机と椅子が復元してありました。当時の机も発掘調査で出土したようで、その出土品の模型は「平城宮跡資料館」に展示されています。さらに、筆記用具も出土しており、当時の役人の主な仕事は、文字を書き、文を書くことだったということがよくわかります。
宮内省から西に進むと、昨年(2009年)に復原を終えたばかりの第一次大極殿が見えてきます。その途中にも見所があります。写真右奥の木が表しているのは、内裏の建物の柱のあった場所です。その右手前に見えている説明版のあるところは…
天皇のための酒を造る場所である「造酒司」の跡地です。②の「遺構模型型展示」で実物大の模型を現地に作って発掘調査時の状態を展示しています。酒を作るためにはきれいな水が必要で、そのための井戸や排水溝が作られていた様子がわかります。
内裏と造酒司の南側には第二次大極殿が見えてきます。といっても第二次大極殿は基壇復原だけです。第二次大極殿とは、奈良時代後半の天皇の行政スペースといったところです。
では、今回のメインイベント!次は復原された第一次大極殿に行きましょう。それは、また次回「平城京遷都1300年祭~其の4~」で。