畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

映画「SP革命編」を見た

2011-05-05 15:40:00 | 日記

 「SP革命編」の映画を見てきました。公開は3月12日ですが、この前日に起こった東日本大震災で関東も騒然となり、計画停電の影響で映画館も2週間以上閉館となってしまい、なかなか見ることができなかった。


 フジテレビはドラマの映画化がうまい。だから結構見ちゃう。SPの映画は前回との2本立て。前回は前編ということで、なかなか見る気が起きなかったが、今回の「SP革命編」に先立ってテレビで前回の映画が放送されたので、それを見て映画に臨む。


 この映画単品でみても、あまり面白くない。やはりSPのチームのやり取りがわかってこそ楽しい。尾形の内面の気持ちもドラマ本編を見なければわからない。それだけに、ドラマが映画化すると、見る客を選んでしまうのが弱点なんだなあって思う。


<以下ネタバレ含む>
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 麻田首相へ銃口を向けた尾形係長(堤真一)に対し、国会議員の伊達(香川照之)が裏切った時、テロ仲間は尾形を裏切って尾形に銃口を向ける。この時点で井上(岡田准一)たちのSPチームが突入するのだが、これって事情を知っている視聴者だから突入のタイミングに納得できるけど、何も裏事情を知らない例えば映画の中でテレビを見ている人だとすると、「伊達議員の説得に応じて、テロが内紛して事態が収拾しようとしているのに、井上たちのSPが突入して混乱を増した」という風に捉われないかな?


 さらに伊達は、あの後どうなったんだろう。自分の作戦が井上たちのSPチームの突入によって失敗に終わった。しかし裏事情を知らない人は「テロに立ち向かおうとした議員」として株は上がるだろう。さらに伊達を操ろうとしていた官僚たちは爆撃で暗殺したし、このあといかようにでも権力を手に入れられそうだ。


 気になる点は、尾形が井上にあてた手紙。なんて書いてあったんだろうか。やっぱり止めてほしかったんだろうね。尾形さんは。だって、革命の前日になって伊達(たちにわからせないように井上たちのチームのSPを国会関係の警備にしているし、最後のシーンでもSATが来ると「早く俺を撃て」と井上に殺されるなら本望だという姿勢を見せている。尾形が井上を信頼しきっている様子を垣間見える。っといいつつ、尾形はその前になんども至近距離で井上に発砲していて本気で殺そうとかかっているのは疑問…。


 なんだか、とっても疑問が多かった映画「SP革命編」。続編は無いらしいが、このままグレーのまま終わってしまうんだろうか。


計画停電の舞台裏

2011-05-05 12:53:00 | 政治・経済
「死者が出る恐れ」と迫る…停電の舞台裏

 東日本大震災から3日後の月曜日、3月14日未明、もう一つの危機が迫っていた。

 「病院や家庭で人工呼吸器が止まり、死人が出る恐れがある。分かってますか」。枝野幸男官房長官が首相官邸で、東京電力で電力供給部門を統括する藤本孝副社長らに迫った。午前0時40分を回り、広域にわたる「計画停電」開始まで6時間を切っていた。

【関連記事】計画停電:4月で打ち切りへ 経産省と東電

 東電は11日の大震災で福島第1、第2原発が停止し、電力供給の約4割(約1800万キロワット)を失った。週明け14日には電気が大幅に不足し、首都圏で大規模停電(ブラックアウト)が起きる可能性が高い。東電は区域を決めて意図的に電力供給を止める計画停電に踏み切るしかないと判断。13日午後、清水正孝社長が菅直人首相に「このままだと大規模停電になりかねません」と報告した。

 しかし、首都圏の鉄道網などが大混乱するのは目に見えている。複数の政府高官によると、枝野長官は「せめて14日午前中だけでもやめてくれ」と詰め寄ったが、藤本副社長は「お言葉ですが、落雷で停電しても死者が出たという報告はありません」などと反論、枝野長官が「今回は意識的に止めるんだろう」と怒りをあらわにした。

 枝野長官が譲らなかったのは、大塚耕平副厚生労働相らから13日夜、「病院や在宅患者宅に緊急の電源を確保するよう徹夜で連絡しても、14日朝には間に合わない」と報告を受けていたからだ。「死者が出れば政権が吹っ飛ぶ」との声が政権内に上がった。枝野長官は「大口事業者に泣きついてでもやめるんだ」と重ねて迫った。

 午前3時過ぎ。藤本副社長は再び枝野長官を訪ね、報告した。「電力需給の見通しが立ったので、午前10時か11時までは実施しないで済みそうです」。午前中は停電見送りが固まり、枝野長官は「やればできるじゃないですか」とねぎらった。しかし、この時点で停電中止は午前中にとどまり厚労省では病院対策などで時間との闘いが続く。鉄道各社が東電から連絡を受けたのは午前4時半前後で、大幅な間引き・運休などが決まった後だった。

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 「確か、アメリカのカリフォルニア州で2001年に行った計画停電の資料があるはずだ」。11日の震災直後、東京都千代田区の東電本店。原発事故の対応に追われる原子力部門と別のフロアでは、藤本副社長ら電力部門の幹部が海外の資料と首っ引きになっていた。戦後の混乱期を除いて日本で計画停電が実施された例はない。

 実は東電は03年にも電力不足のおそれに直面した。福島第1原発などのデータ改ざん事件で17基の原発が全停止に追い込まれ、夏場を乗り切れるか危ぶまれた。この時は冷夏と原発の再稼働で事なきを得た。資料は当時集めた。「工場の操業停止や現金自動受払機の休止で生活や経済活動が混乱」--。資料にはそう記されていた。

 「霞が関や大手町まで停電させれば首都機能がまひする」。電力部門は12日未明までかかって東京23区の大半を除く計画停電のグループ割りを作成。その朝、経済産業省に駆け込んだ。同省幹部は鉄道や病院、銀行決済、空港への影響が頭に浮かび、うなった。「制御不能の大停電か、計画停電の二つに一つの選択か……」

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 不測の大規模停電を回避するための計画停電。しかし、官邸、霞が関、東電とも準備不足は明らかだった。停電は14日夕、実施され、茨城県鹿嶋市の避難所の電気が消えた。国土交通省幹部は「停電による社会への影響は誰もが意識していたが、情報共有や連携ができなかった」と悔やむ。

(毎日新聞 5月5日付)


 関東は相変わらず、電車内の電灯の消灯や、エスカレーターなどの停止で節電をしています。しかしながら、小売店の通常営業など目に見える範囲では通常を取り戻しつつある。1ヶ月半前、毎日早朝に電車の運行状況を確認しながら、減便が続く超満員電車で通勤した日々はすでに過去のものとなりつつある。さらに今夏も「原則計画停電回避」のもと、様々な対策が取られつつある。


 計画停電が行われた初日。3月14日。東電と政府の間では見えない駆け引きが行われていたんだなあと感じる。こういった経緯をちゃんと公表すれば、情報隠匿などと言われなくて済むのにと思う。結局この日は鉄道各社が大幅な減便・運行見合わせを行ったため、通常の経済活動が全く行えず、結果ほとんどの計画停電が回避された。


 この翌日からの一週間が一番計画停電の影響が多かった日々。未曾有の大混乱は、都心が原発を田舎に押し付けた代償。原発運転を通常に戻すのではなく、なんらかの対策をとって安全な発電システムを確立しないと、自然災害が多発する日本では、また同じような惨劇が繰り返される危険性がある。