畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

福島旅行~其の6(Final)~

2011-09-20 04:44:00 | 旅行・観光
 2011年9月10日(土)~9月11日(日)に歴史友達の武藤舜秀様と、福島に旅行に行ってきました。東日本大震災からの復興途上にあり、原発問題を抱える福島県。その復興支援の一助になればとも思いました。「其の6」にして最終回。今回は、いよいよ1泊2日旅行の最後、二本松市の訪問と、ついでに行った「群馬県立歴史博物館」の様子です。



 まずは「二本松市歴史資料館」です。入館料100円とめっちゃ安いですが、二本松畠山氏の古文書は1通しかありません(二本松藩や二本松の民俗など他の展示は充実しています)。やはり二本松畠山氏は古文書が残っていないんですね。



 今回も隣の二本松市立図書館へ。こちらは郷土の本が充実しています。図書館の職員の方がわざわざ「何をお調べですか?」って聞いてくれて「二本松畠山です」と答えると色々と資料を持ってきてくれました。前回以上の収穫がありました。この図書館、コピーは司書がやってくれておまけに1枚10円というとんでもない恵まれたシステムです。コピーしている間に、二本松畠山氏の菩提寺である「称念寺に行ってみては?」と言われたので、さっそく訪問です。



 図書館から300mくらいしか離れていません。車でも駐車場があるのでいけます。このお寺開祖は1280(弘安3)年と鎌倉時代です。応永年間ころ(1413年ころ)奥州探題畠山満泰が霧ヶ城(二本松城)を築城した際、称念寺も城の中腹に移転され、以後二本松畠山氏の菩提寺になったといいます。



「畠山公墓所参道」です。かなりよく整備されています。

 これが、「畠山公墓所」です。かなり立派なものです。説明板を読むと二本松畠山氏は畠山義継の次女から二本松氏を名乗ったそうです。1933(昭和8)年に墓所を改装し、累代の祖霊と「粟の須の戦い」で義継と運命を共にした23名の家臣の霊もまつられているそうです。


 こちらが義継公と運命を共にした家臣の供養塔の一部です。名前に「遊佐」なんてのも見えます。

 そしてこの大きな五輪塔が二本松畠山氏累代の墓です。墓のいたるところに畠山氏の家紋である二引両が刻まれています。

 五輪塔には二本松畠山氏の累代の名前と没年が刻まれていました。反対側の面には江戸時代以降現代まで続く当主の名前と没年が刻まれていました。こんな風に二本松畠山氏の墓が大切にされているというのはうれしいです。さらに二本松畠山氏の研究が進んでくれれば言うことがないんですが…。



 次は資料館からほど近い二本松城です。こちらは近世城郭です。私は2003年にもここを訪れています。震災の後の影響もあり、二本松城天守台の石が膨らんでしまうなど、かなり被害があったようです。城の周りには「がんばっぺ二本松」ののぼりが掲げられていました。震災以降福島県内にはどこもこのようなのぼりが見られました。



 震災の影響か、あまり人がいなかったのが残念です。2003年に訪れたときは結構人がいて、天守台の写真を撮るのに「邪魔くさいな」なんて思ったほどでした。上の写真は二本松城の復元された「箕輪門」です。かなりの迫力があります。



 二本松城はかなり広くしかも山城なので、結構な斜面を登ります。鶴ヶ城(会津若松城)と同じかそれ以上の面積があると思います。

本当は天守台まで行きたかったのですが、この後に本宮市歴史民俗資料館と、群馬県高崎市にある群馬県立歴史博物館にも行きたいので、今回は断念しました。この時点で10:45。本宮に行って、高崎に行って、武藤様を東京駅まで送って自宅まで夕方に戻るにはギリギリラインでした。



 二本松市から下道を急いで本宮市歴史民俗資料館へ…と思ったら今日は定休日…がっかり。おかげで時間が節約できた…わーい(泣)時間的節約には勝ちましたが、歴史見学的には負けでした…。


 カーナビで「群馬県立歴史博物館」まで検索したところ距離340km。到着予想時刻15:50!えー!昨日武藤様に調べてもらった時は、220kmだったのに…と思ったら、北関東自動車道が全線開通したのが2011(平成23)3月とちょっと前でカーナビの地図には反映されていませんでした。それでも、本宮市から一気に南下し福島県を抜け、栃木県宇都宮市を越えた岩舟JCTから北関東自動車道へ入り、およそ54km。遠いです。高速を最寄りの南前橋ICで降りたころにはもう12:30過ぎ。さすがに武藤様が「コンビニでもいいから何か食べましょ。」ということでコンビニでご飯を済ませてすぐに博物館へGO。



 さすがに県立だけあって立派な建物です。やっている企画展は「関東戦国の大乱」というもので、享徳の錯乱を取り上げています。古河公方と関東管領の対立。応仁の乱より10年ほどまえに戦国時代は関東で始まった…とテーマに古河公方足利成氏や上杉顕定などを取り上げていました。

まず先に常設展からみました。常設展ではフラッシュでなければ撮影OKみたいです。

 私が気になる遺跡「黒井峯遺跡」の模型がありました。日本のポンペイと言われ、1450年前ほどの榛名山の噴火で消えた村です。噴火の軽石でパックされたことで、普通の発掘調査では得られない家の屋根や塀や柴垣が立ったまま発掘されたそうです。1993(平成5)年に国指定史跡となり、現在整備がおこなれているそうです。私はこの遺跡のことを千葉県佐倉市にある「国立歴史博物館」で知りました。整備が終わったころにぜひ行ってみたいなと思っています。



 群馬県太田市にある金山城の模型です。特に石垣が多いこの地区は実城地区と言われています。関東戦国時代に石垣の城はなかったと言う定説を覆した城です。ガイダンス施設も充実しているようなので、今度ぜひ金山城にも訪れたいなと思っています。



 上杉憲政の安堵城です。群馬県は上野ですから当然山内上杉系の資料もあるんですね。上杉輝虎の文書もありました。企画展だけでなく常設展も見ごたえ十分。



 近代の展示には群馬県らしく富岡製糸場もありました。2009(平成21)年に行ったばかりです。

 企画展のほうは写真撮影不可でした。そのかわり、企画展の図録がものすごく分厚くて、すべて資料が網羅してありました。その方がありがたいです。戦国前期なんてほとんど取り上げられることがないので、企画展も図録も貴重です。


 武藤様を東京駅に送ったのが16:30頃。

そういえば先週も墓参りのついでに江戸城が見たくて東京駅に来たっけ。せっかく来たので、東京駅の復元工事の写真も撮っていきます。私が家に着いたのが17:30ごろ。なかなかいい時間に帰ってきました。使ったお金が現金で2万6000円。高速代で1万円ほど使ったので、今月はかなりの金欠月間になりそうです(苦笑)


 以上、福島旅行のブログでした!