畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

福島旅行~其の4~

2011-09-18 04:44:00 | 旅行・観光
 2011年9月10日(土)~9月11日(日)に歴史友達の武藤舜秀様と、福島に旅行に行ってきました。東日本大震災からの復興途上にあり、原発問題を抱える福島県。その復興支援の一助になればとも思いました。「其の4」の今回は、福島市で訪れたところを紹介します。


 まずはこちら。

 大森城跡です。現在は「大森城山公園」として整備されています。大森城がいつ誰の手によって築かれたのかは公園の看板からうかがい知ることはできませんでした。しかし、1542(天文11)年には伊達稙宗と晴宗との争乱の時には大森城が巻き込まれたといいます。福島市は福島県でも宮城県よりにあるので、伊達市の勢力範囲なんですね。



 大森城の本丸を囲む空堀(空濠)がありました。説明版によると深さ4m幅6mとかなり大きなものだったようですが、残念ながら公園整備とともに埋め戻され往年の様子を見るべくもありません。また、コンクリートの橋が架かっており戦国の雰囲気を損ないます。



 大森城本丸跡に来ました…ですが説明版だけで何にもありません。確かに広い郭らしきものは感じますが、キャンプ場の炊事場があったり、コンロがあったりして雰囲気が感じられません。



 大森城の先には櫓がありました。おお~復元された櫓かぁ…。

 「この建物は時代考証により復元したものではありません」との注意書きが…。「なんじゃそりゃ~!単なる櫓風の建物かよ~。だったらそんなもん作るな~。」と武藤様と文句しきり。しかも入ってみたら櫓風建物には落書きだらけ…。雰囲気をさらに損ないます。

 ここは、二の丸の北端らしいです。さらに先に北館あとがあるみたいです。また城域を囲む水堀もあるみたいですね。

 櫓風建物からよく福島市の景色が見えます。が、戦国的雰囲気があまりないので、ちょっとがっかりしました。


さてさて次は福島県立図書館に資料探しです。

 ガラス張りの素敵な建物です。しかもかなりの大きさ。これはいろんな資料があるんだろうなと楽しみでした。しかし、中に入ると閲覧室は閉鎖状態…。
義綱「中には入れないんですか?」
職員「震災で閲覧室の天井が全部落ちてしまい危険な状況です。復旧するまで来年3月くらいまで解放を見送っています。」
義綱「本は見れないんですか?」
職員「パソコンで検索して請求していただければ職員がとってきますので。」

とちょっとがっかり。中に入って自分の好きなものを探すのが本好きなんですが…震災だから仕方ないですね…。利用者の中にはその利用方法に抗議している方もいました…。お目当ての二本松畠山関連の本もありコピーもして満足満足。一緒に来ている武藤様は、専門が南東北だけにかなりの資料をコピーしています。私は明け方の2時に起きているので眠気がピーク。図書館ロビーで仮眠。そういえば、武藤様は運転していないにも関わらず起きていてくださっています。きっと運転者に配慮してくれているのかなって思うと有難かったです。きっと武藤様の眠たかったことでしょう。



 図書館をでて駐車場に戻ろうとしたとき、芝生の前に看板があることに気が付きました。「この付近の芝生の放射線量は概ね1.7マイクロシーベルトとなっておりますが、ご利用にあたっては十分ご注意願います。」って書いてあります。そういえば、会津の鶴ヶ城では子どもが普通に城の公園で遊んでいましたが、この図書館前の芝生には人が一人もいません。本当に東電の原発事故は酷いことをしてくれるものだな…と改めて怒りがこみ上げてきます。


 まだ時間は4時前。そこで、福島市内にある「福島県歴史資料館」に行くことにしました。

 会津若松市に県立博物館があったから、こちらの資料館はそれほど期待しないでおり、当初は訪問予定に入っていなかったほどです。企画展として明治歴史を取り上げておりあまりそちらには興味がありませんでしたが、2階に行くとびっくり。

 ずら~と並んでいるのは福島県の自治体史。他にも地元で発行されているような郷土史雑誌もありました。こちらは手にとって眺めることができるので、私も二本松畠山氏関連で、『本宮町史』をコピーさせてもらいました。武藤様は職員の方と東北歴史で意気投合している様子で(私は東北歴史にはまだまだ知識が浅いのでついていけず)、明日行くための梁川城の見どころを教えてもらいました。詳しくは次回のブログに書きますが、これが実は大きな収穫でした。


 宿はとってあるのですが、夕食なしプランなのでどこかで食べてこなければなりません。そこで大きな本屋を探しに(郷土史本を探しに)行くついでに福島市街へ行き食べることにしました。そこで、カフェを併設している福島産の農産物を売るお店を見つけました。

 おお~桃が売っている~。でも宿で向いてもらうわけにはいかないし…
義綱「この桃って店内で食べれませんか?」
店員「いいですよ~」
よかった~。午後のひと時を甘いもので。桃がむかれて出てくるのを待っている時、突然の夕立。しかもかなりの量と風。ああ~ここで桃を食べて雨宿りしたのも運命なんだな…なんて思ったりして。後でしったことですが、この雨かなりひどかったらしく福島県内では道路が冠水したところもあったとか。


土砂降りの雨を他人事に見ていると、運ばれてきました。福島産の桃。とても甘くておいしい!果肉も適度にやらかくていいな~。やっぱり産地が近いとうまいですね。食べて復興支援!



 福島駅周辺にはいっぱい人がいました。みんな通常の生活を送っています。そこに悲観的なムードは感じませんでした。この光景を見ていると、関東でちょっと放射線量が上がっただけで反応したり、福島県からの瓦礫の搬入について過剰に反発したりする人がいるのがバカらしく思えてきます。


 夕食は福島駅の駅ビルで買って宿で食べることにしました(宿への持ち込みは自由だと確認したので)。

 あ~またお土産物コーナーを発見してましまった(笑)会津でわんさかお土産を買ったのにまた手が伸びてしまう…

ということで夜に宿で飲むためのお酒と、子どもたちのために「桃のプリン」を購入。夕食としてミニネギトロ丼を購入。そんなに動いてないし、さっき桃を食べたからお腹空いてない私でしたが、武藤様はがっつりとお寿司を買っていました(笑)



 宿は福島飯坂温泉「赤川屋」に泊まりました。朝食ありプランで4980円とかなり安い。お部屋もそこそこよかったです。温泉は…暑かった(笑)福島飯坂温泉も原発事故の影響で苦境だと言っていましたが、この宿はかなりのお客さんが来ていました。朝食を食べたときすべてのテーブルに朝食が置いてあったので、なかなか繁盛しているな~と感心したほど。


 次回はいよいよ福島旅行2日目に突入です!

福島旅行~其の3~

2011-09-17 04:44:00 | 旅行・観光
 2011年9月10日(土)~9月11日(日)に歴史友達の武藤舜秀様と、福島に旅行に行ってきました。東日本大震災からの復興途上にあり、原発問題を抱える福島県。その復興支援の一助になればとも思いました。其の3の今回は、福島県立博物館と会津藩校「日新館」です。



 鶴ヶ城(会津若松城)の三の丸駐車場の向かいにあるのが福島県立博物館です。徒歩1分で着きますので、城と博物館を見学するなら間違いなく三の丸駐車場へに車を泊めるのがいいです。
 福島県立博物館がなぜ県庁ではない会津に?と思っていたら、福島県は広いので、公的な機関を分散化していると言います。会津若松市に県立博物館。福島市に県立図書館。白河市には埋蔵文化センター機能があるそうです。石川県のような金沢一極集中と違いますね。東京都も23区一極集中で、多摩地区は石原都政になってどんどん切り捨てられています。ムカつく…おっと話がそれました(笑)



 この模型は阿津賀志山合戦のようです。この合戦は、藤原清衡が頼朝方を迎え撃つために築いた基地だそうです。そうか、鎌倉時代初めまで福島以北は大和朝廷の支配下ではなかったんですね。



 この館の模型は、伊達市にある梁川城です。明日訪問する予定の城で、城主は伊達稙宗でした。それにしてもこんな大きな庭を伊達時代に築いていたんでしょうか?16世紀になると庭もブームが枯山水になってきますが、これはしっかりと池があります。どうなんでしょ?もっと後世の庭?その考察はまた今度。



 県立博物館なので、中世だけではなく、古代から現代までの展示があります。中世もなかなか充実している展示でした。これは葦名盛氏の文書です。盛氏の坐像(複製)もありました。博物館が会津にあるんだから企画展で葦名氏などを取り上げてくれるといいなと思っていましたが、過去に葦名関連の企画展はなかったみたいうです。無念。

 ちなみに、葦名って「葦名」「蘆名」「芦名」という3種類の書き方があります。私は今まで文字バランスから「蘆名」を使っていたんですが、廟所の文字で「葦名」とあったんで、私は今後「葦名」を使っていきたいと思います。


では次に進みましょう。会津若松市内からはちょっと離れたところにある、会津藩校「日新館」です。

ここは2003年にも一度来たことがあります。懐かしく見て回りました。その時はデジカメを持っていなかったので、今回はたくさん写真をとってきました。



 この日新館は5代藩主松平容頌(まつだいらかたのぶ)の時代の1805年に完成しました。この建物は残念ながら当時のものではなく、1985(昭和60)年に復元されたものらしいです。それでも当時の雰囲気を感じられる貴重な観光スポットです。



 会津藩校といえば、思い出すのがこの「什の掟」。あらっ?十の掟なのに7個しかないよと思っていたら、藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼ぶそうで、そこでの掟だったようです。

「什の掟」
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

最後の戸外で婦人とという以外は、現代でも十分通用しそうです。この掟に関係する母屋下ものがほしいな…子どもに守らせたいけど…ちょっと現代には厳しすぎるかも。



 門を入ると広い中庭があります。建物は回廊式になっています。



 回廊式の建物にはいろいろな教室がありました。このような人形があり、その人物は白虎隊があてられています。勉強している内容は、国語や数学といったものだけでなく、医学や天文学などもあり、かなりの進んだ学校だったことをうかがわせます。「国家の計は教育にあり」というところでしょうか。



 回廊の外にはこのような庭園もありました。夏なのでちょっと雑草が多いのが気になりますが、江戸時代にはもっと生徒を使っていい状態で管理していたことでしょう。



 回廊の真ん中には、このような中国式の部屋である「大成殿」があります。孔子を祭ってあるみたいです。儒教の教えている藩校だけに、儒教の創始者である孔子を祭っているのは当然かもしれませんね。



 日新館の全体図です。メインの中庭が2つありますが、もう一方は水練場になっています。

 日新館の水練場は日本で初めて作られたプールであると紹介されていました。池の周囲は153mもありかなりの大きさです。全国の数ある藩校の中でも水練場があるのは長州藩の藩校・明倫館と日新館だけだそうです。



 絵付け体験コーナーもありました。

 会津のお土産物で有名な首ふり赤べこの人形の絵付けです。家族連れにはとってもいいものかもしれません。お母さんと子どもで赤べこ絵付け体験をやっていて、歴史マニアのお父さんはじっくり日新館を見て回る…というプランも使えますね。時間の有効利用です(笑)



 こちらは何だと思いますか?戦国マニアですとこれだけ高いものだと櫓かな?とか考えてしまいますが、ここは平穏な江戸時代の建物です。これは、天文台で天文観測施設があったそうです。ここで暦を作っていたというので、会津藩の気象庁ですね。天文観測施設があったのは、全国の藩校の中でも水戸藩・薩摩藩とこの会津藩日新館だけのようなので、会津藩校は全国でも最新鋭の藩校といえますね。



 出口付近のお土産物屋です。なかなか商売上手なオバサマが店員さんなのではなっからお土産物を買うつもりがなければ素通りしたほうがいいかも(笑)私は「什の掟」の関連グッズがほしかったので、入店。お茶を進めていただいて、試食もさせてもらいました。買うつもりがなかったほかのお土産でしたが、「ラー油きくらげ」が思いのほかおいしくて即購入しちゃいました。

 「什の掟」グッズで買ったのはこちら。手ぬぐいです。さっそく我が家の階段に貼り付けました。震災で手ぬぐいの生産が止まっているとか、まだまだ6ヶ月経っても震災の爪痕は残っていますね。



 さて、そろそろお昼にしましょうか。私の職場に福島県会津地方出身の方がいるので、その方に聞いたおいしい店を紹介します。

「つぼの華」というお店です。喜多方ラーメンの店と聞いていたのですが、会津ラーメンって書いてありました(汗)でもうまいからいいです。お店は磐梯町という会津若松市のとなりにあります。ですが、日新館からはさほど遠くない距離にありました。5kmくらいかな?

 お店の中はそれほど広くないですが、観光名所らしい作りです。あっそうそう営業時間が昼間だけみたいです。確か11時から15時までだったと記憶しています。夜に来たら食べれませんでしたね。

 ラーメン650円とライス200円です。麺は縮れ麺でスープによく絡み付いておいしい!スープは醤油ベースのあっさり。だけど味が薄いわけではなくしっかりとした味でした。私はこってりが好きだけどこのスープはおいしかったです。ライスは予想以上に大盛りでした。半ライス150円にしてもよかったです。〆はライスにスープをかけて食べるとこれまた絶品。サイコーだぁ。


 さて、次は高速に乗って福島市へ行きます。その様子はまた次回。

福島旅行~其の2~

2011-09-16 04:44:00 | 旅行・観光
 2011年9月10日(土)~9月11日(日)に歴史友達の武藤舜秀様と、福島に旅行に行ってきました。東日本大震災からの復興途上にあり、原発問題を抱える福島県。その復興支援の一助になればとも思いました。


 小田山城にいった次は、いよいよ会津若松城(鶴ヶ城)です。城の屋根の瓦が赤瓦になったので、ぜひ行ってみたいと思っていました。また、2003年8月に福島に妻と旅行に行った際、一週間前にディーラーでオーバーホールしたばかりの能登号にマシントラブルがあって、ディーラーに怒りの電話をしていました。能登号のことが心配で心配で、せっかく会津若松城の駐車場まで行ったのに、天守閣まで行くのをやめてしまいました。なので、自分自身2003年のリベンジという意味もありました。



 会津若松城の駐車場は有料です。でもすごく安いです。天守閣をゆっくり見て回っても300円しかとられませんでした。城の駐車場は2つありますが、三の丸駐車場がおススメです。その理由は、目の前に「福島県立博物館」があるので、城を見たついでに博物館も見ることができるからです。では、さっそく入城します。



 会津若松城は、地元では「鶴ヶ城」(つるがじょう)と呼ばれています。なので、今後今回はその呼び名で統一したいと思います。天守閣にある展示がリニューアルされたみたいで、見応えがありそうです。



 三の丸駐車場から、二の丸へは土橋を渡っていきます。

 鶴ヶ城は東北の譜代大名松平家の居城だけにかなりの規模を誇ります。二の丸の堀も土塁もかなりの高低差です。土橋近くだけ空堀になっていましたが、奥は水堀になっています。



 二の丸の門です。かなりの大きさです。2011年3月11日の東日本大震災の影響で、少し石垣がズレていました。それでも全く崩れないところがスゴイ技術ですね。



二の丸の南部はテニスコートになっていました。

二の丸の北部は、「伏兵郭」と呼ばれているそうです。しかしここもテニスコートになっていました。ソフトテニスをやっていました。あ~、僕もソフトテニスがしたいよ~。ってそうじゃなくて、やっぱり城郭なら、城郭として使用してほしいですね。



 二の丸と本丸の間にも水堀があります。かかっている橋は「廊下橋」と呼ばれるそうです。とてもきれいな木橋です。



 廊下橋の先には櫓門跡と枡形が見えます。

かなり大きい枡形です。

櫓門へと続く階段です。かなりの段数があります。それだけ大きいことを感じさせます。



 さて、いよいよ鶴ヶ城の天守閣に着きました。入場料500円を払うと、企画展の先着プレゼントということで「会津塗の箸」をくれました!やったぁ~。
 鶴ヶ城の天守閣が取り壊されたのが1874年。再建されたのが1965年。ですが、再建当時は江戸時代当初屋根は江戸時代当初の黒瓦でした。それを江戸時代末期の姿に近づけるため赤瓦に2011年葺き替えられました。
 5層の天守閣の中は展示をしています。会津藩の歴史などを詳しく知ることができます。戊辰戦争の白虎隊の話は見ているだけでも辛くなってきます。また今回は企画展として「保科正之



 会津藩と言えば、やっぱり幕末の藩主・松平容保公です。尊攘派が吹き荒れるなか、火中の栗を拾う京都守護職の拝命。そして戊辰戦争の敗北と不運な武将です。とてもイケメンで、幕末萌えにはぴったりです。



 5層の天守閣の5階からの眺めです。会津若松の街が一望できます。また、新政府軍に砲撃された小田山城もよく見えました…。



 天守閣内にある売店です。お土産物が売っています。くるみゆべしなどの会津の銘菓から「会津若松へ行ってきました」などのメジャーな?クッキーなどもあります。私はこれを買いました。

 赤べこの人形は会津の名産品。カワイイから子どもたちにお土産として「赤べこクッキー」を買って帰りました。職場に「赤べこ日和」というフワフワお菓子のお土産を買いましたあと、鶴ヶ城の置物とキーホルダーも購入。また、書籍の販売も充実しています。松平容保などの江戸系だけでなく、葦名時代の本も売っていてビックリ。即購入しました。お土産と書籍代で合計6500円也。買い過ぎた(笑)


 次は「南走長屋」に参ります。

この細長い建物が「南走長屋」です。先にあるのが「干飯櫓」です。こちらは2000年に復元されました。どちらも、天守閣から入館できます。



長~い廊下が続きます。やっぱり走りたくなりますね。だから「南走長屋」と呼ばれるんですね。

この長屋では、このように展示がされています。発掘調査や復元の様子を説明しています。また、なぜか池田屋騒動の再現模型もありました。

こんな感じで、籠城戦の様子を再現した展示もありました。


「南走長屋」も「干飯櫓」も見学を終えると外にでます。

 外からみた天守閣と「南走長屋」です。かなりの迫力があります。



 南走長屋の折れ曲がっている部分には門があります。「鉄門」と呼ばれます。二の丸、本丸で櫓門がありましたが、こんな迫力のある門だったのかな~と想像ができますね。


 さて、今度は鶴ヶ城を出て、駐車場すぐ隣の「福島県立博物館」に参りましょう。

福島旅行~其の1~

2011-09-15 04:44:00 | 旅行・観光
 東日本大震災からの復興途上にあり、原発問題を抱える福島県。その復興支援の一助になればと2011年9月10日(土)~9月11日(日)に歴史友達の武藤舜秀様と、福島に旅行に行ってきました。また、会津若松城(鶴ヶ城)の屋根の瓦が赤瓦になったので、ぜひ行ってみたいと思っていました。



 まず、福島で一番行きたかった会津へ。関東を夜明け前に出発し、会津若松市に着いたのは朝の7:30。朝食を食べていなかったので、デニーズで食べる。会津若松城の天守閣の開館時間が9:30なのでまだまだ時間があります。そこで、会津観光のためにもらったマップを眺めていると、葦名氏の史跡として「小田山城」を発見。「小田山城」は復元冠木門があります。さらに山の麓に葦名家廟所があります。では早速小田山城へ登城します。


 「小田山城」には麓に駐車スペースがあるので、そちらに車を泊めて後は歩いて登ります。

 7代目葦名当主・直盛母が建立した観音堂があった場所だそうです。残念ながら戊辰戦争の時に焼失したと言います。



 小田山城は公園として整備されています。歩いて登城するにも山道が整備されているので歩きやすいです。ですが、登城している感じはしません…。むしろ登山のような気持ちです。時折、ランナーが通り過ぎ、筋力トレーニングの道として使われているようです。



 「西軍砲陣跡」です。戊辰戦争時、ここから新政府軍が会津若松城を砲撃したそうです…。「小田山城」からよく会津若松城が見えます…。すこし悲しい気持ちになります。


 そして、駐車スペースから20分(800m)ほど歩いたところでいよいよ到着です。

 復元冠木門です。戦国大名であった葦名氏の居館は黒川城(現在の会津若松城)ですが、それは日ごろのの居館としての場所でした。この小田山城は黒川城から1.5km離れた位置にあり、戦時の防戦のための城として築かれたそうです。それが後世になって、戊辰戦争時会津若松城攻略の拠点として使われたことはまさに歴史の皮肉です…。



 冠木門だけでなく、板塀もいい感じで復元されています。愛知県新城市で復元されていた「川尻城の復元冠木門」に比べると、まだましな考証されている感じがします。



 「葦名」の旗が沈んでしまっています。写真ではわからないかもしれませんが、この冠木門の内部はとても狭いです。ここに本当に冠木門があったんでしょうか?説明版には、「曲輪の内部には掘立柱建物や櫓が建てられていたと推定され」とあるので、曲輪内部の発掘調査まではされてないようです。



 小田山城はかなりの高さです。天然の要害という感じです。写真は復元冠木門があった曲輪から斜面を撮ったものです。



 次は小田山城の麓にある「葦名家廟所」(墓地)です。写真のようにもう住宅に囲まれているところです。

 この五輪塔はまさしく室町時代の墓ですね。しかもかなり大きい。これは、葦名家中興の祖とも言える「葦名盛氏」の廟です。葦名家最大版図までひろげた盛氏の手腕は光るものがありますね。他にも「葦名盛隆」と「葦名盛興」の五輪塔がありました。

このように、葦名家の系図や説明文があって勉強になります。葦名の史跡に触れることができるスポットです。


 さて時間も9:30を過ぎたので次は会津若松城(鶴ヶ城)に向かいたいと思います。それはまた次回に。

たまに行くならこんな店~調布編~

2011-09-14 04:44:00 | 日記
 江戸城の帰りによったお店の紹介です。東京都調布市にある「クリスマス亭」です。

 洋館のようなたたずまい。まるで映画「バックトゥザフューチャー」の時計台のようなお店です。駐車場は狭いですが、車を移動してくれる親切なオジサマがいるので、安心です。



 クリスマス亭の店内です。洋館に似合った内装です。写真にはカウンターしか映っていませんが、もちろんテーブル席もあります。

では食べた料理を紹介です。



「豆腐のキッシュ」。これがアツアツでおいしい!前菜にぴったり。480円だったかな?



「きのことほうれん草のソテー」。980円だったかな?今回初めて注文しましたが、かなりおいしい。ソースが美味しくて、まるでスープのよう(笑)貧乏な私には、これをご飯にかけて食べた…かたっけど諦めました(苦笑)



妻が注文したものがこの「東京ハヤシライス」(甘口)。1200円です。もう信じられないほどのソースのまろやかさ!これが「クリスマス亭」の一押しです!



今回私が注文したのがこの「焼きカレー」。980円。安い!一瞬妻が頼んだ「東京ハヤシライス」がうらやましかったけど、これも美味しかった!アツアツのカレードリアのような感じです。



子どもたちに注文した「フルーツピザ」。980円だったかな。フルーツとピザのチーズがケンカしないで、すごくまろやかな味になっています。これはうまい。子どもたちの分も食べちゃいたい(笑)


中央道「稲城・調布インター」すぐ近く。ぜひ!
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