畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

情報伝達の難しさ

2012-03-13 07:58:00 | 日記
 福島第一原発事故における日米関係のギクシャク。米国は日本からの情報の少なさに苛立ち、独自情報から原発80km圏内退避勧告を行う。米国は日本からの情報を執拗に求めたと言われる。


 何が一番大切かなんてわからないよね…。当の日本政府すら最初は東京電力からの情報が入らなかった。

 放射線被害を受けている日本国民にも丁寧な説明はなかった。「ただちに健康に影響を与えるものではない」とかね…


 原発が立地する福島県の自治体にも、大熊町など原発が立地する自治体には最低限の連絡はあったみたい。風の影響で放射線量が高くなった浪江町(後に計画的避難地域に指定)には何も連絡なし。


 日本国内の情報伝達状況もこんなもんだから、外国に正しい情報を伝えるのは難しいかもね。


 アメリカは日本の一番の同盟国だから、特別に情報を欲しがるのはわかるけどね。韓国や中国など日本に近い国でも低レベル汚染水の太平洋放出について連絡がなかったくらいだから(米国には事前に通告)、情報を誰にどんな内容を伝えるかってのはすごく難しい。


 相手との距離感や、政治的判断などが情報伝達には必要不可欠なのかも。


 そんなことを考えたら自分にとってしっかりと情報を伝える相手とは?


妻・子ども

仕事上司・同僚・部下・顧客・取引先

親友・友達・知り合い

ご近所・商品を買うお店の人


まさに相手によって違う。また喜ばしい情報か、お詫びする内容かによっても違う。


日々勉強です。

あれから1年…DASH村放送

2012-03-11 20:52:00 | 日記
 「ザ・鉄腕DASH」(日本テレビ)のいちコーナーDASH村。その所在地は福島県浪江町。現在は計画的避難地域に属し、空間線量も低いところで10マイクロシーベルト/hととても高い。


 原発事故後も、夏にヒマワリ除染実験などを行い、本気でスタッフがDASH村を愛していたのだと感じる。


 番組で、チェルノブイリを訪れて除染や農業再開への参考にしようとTOKIOの山口達也とスタッフが向かう。そこでは、チェルノブイリ原発事故からもう26年経っているし、宅地は除染が進んでいるといううことで、空間線量は0.1マイクロシーベルト/hと東京と同じ程度であった。ただ人が立ち入らないような森などでは40マイクロシーベルト/hをガイガーカウンターが示すなど、まだまだ事故の影響が残っているところがあった。


 日本は人口密度が高く、コンクリートに覆われたところも多く除染は難しいかもしれない。それでも、福島第一原発事故の3~5倍の放射線が放たれた地域でこのように生活しているのをみると、まだまだ日本も捨てたものじゃないのかもしれないって思える。


 お堅い原発事故の報道特集などを見るより勇気と元気を与えてくれるような番組だったなぁ。

東日本大震災1周年式典

2012-03-11 15:01:00 | 日記
 東日本大震災から1年を迎えた本日、政府主催の追悼式が国立劇場(東京都千代田区)で行われた。


 大きな地震が起きた2:46の時報と共に黙とう。


 病気を押して天皇陛下がご臨席され、お言葉を述べられた。その中に、被害者の中には消防など懸命に努力されながら命を落とした人への深い哀悼の意があり、天皇の優しさが込められている言葉だった。
 天皇は、震災直後から精力的に被災地に回り、毎日自主的に計画停電を行うなど、「日本国及び日本国民統合の象徴」として活動してきた。それだけに、病気を押してまでこの式典に参加することに強くこだわったというから、それだけこの震災に心を痛めていてなんとかしたいという熱い心が伝わってくる。


 一方で、政府代表として首相が一日も早い復興への決意を語った。野田首相は所信表明の時にも「福島の復興なくして、日本の復興なし」という強い言葉を述べた。
 この震災の式典に参加している人には多くの国会議員が見えた。この人たちが政変を繰り返し、復興関連法案の審議を停滞させ、醜い争いを繰り広げ、復興の大きな妨げになっていると思うとゾッとする。この人たちにはこの式典に参加してほしくない。

あれから1年

2012-03-11 07:04:00 | 日記
 やはり忘れることができない3.11東日本大震災。


 職場にいた私はその時たまたま用があって平日にも関わらず車出勤で帰宅できた。


 帰ったらテレビを見て津波被害の大きさとその映像に驚愕、唖然とし、ニュース速報で流れる沿岸地域の被害状況で「壊滅」と表されるのをただ呆然と見ていた。


 そして翌日に福島第一原発の事故が重症化。計画停電の実施を政府が発表。3月14日には計画停電の影響で首都圏のほとんどの路線がうごかず、大渋滞の中車で出勤した。この日から2週間。節電ダイヤの電車運行で、もう暴力的な混雑で通勤した。


 …そして14日の原発1号機の水素爆発。暗い気持ちで沈みきっていた。アメリカ政府は80km圏外への避難を呼び掛けるし、日本政府の混乱は明らか。


 直接、地震被害や津波被害があったわけじゃないけど、すごく胸が苦しかった。


 あれから1年。日常生活は取り戻したし、原発の状況も多少安定した。


 私は今日伊豆に来てる。海の波を見ていると怖いと思う。津波被害にあった人の方がたくましいのかも。

 とにかく3.11地震が憎い。自然には勝てない。だから人間がちっぽけに思える。


 私はあの1年前から成長できただろうか?そんなことも大自然の中ではとるに足らない一歩なんだろうけど。


 とにかく1年。この日本って言う国がなんとかでも存続できてよかった。私の大好きな家族とその居場所が守られてよかった。逆に言うと、原発の被災者は家族を引き離され、家を奪われいいようのない悲しみじゅないかな…。


 早く多くの人の幸せができるだけ回復してもらいたいと祈っています。

年度終わり

2012-03-09 20:21:00 | 日記
 第1、第2グループだった時の各200日は満足のできる内容だった。自分の課に問題があっても回復に向かうことができた。


 第3グループになった今年度。うまく行かないことが多かった。自分の担当の顧客の満足できないだけでなく顧客の不満が多かった。


 うまくいかないまま終焉を迎えた本日。大半の担当の顧客は私に感謝してくれた。こんなやる気がない私に…しっかりやらなきゃなって思った。まだまだ自分は発展途上なんだって思った。


 担当以外の顧客のからもたくさんの感謝の言葉や手紙をもらい嬉しかった。7年前の大失敗のときとはあきらかに違った。


 もっとポジティブに生きることが必要なのかも。大好きなグループの先輩とお別れしなきゃいけないのも悲しい。先輩からもっと勉強したかった。


 どうやら初めての異動は確定みたい。質的に顧客層が異なる支店に異動っぽい。これからもっと自分磨きしなくては…。