おワキの「待謡」、それに続いて打たれる激しい「頭越一声」。そしてその「越之段」の後にシッカリと打たれる「二段目」の特定の手組を聞いて、後シテは幕を揚げて登場します。
後シテの面装束は、面=山姥、山姥鬘、無紅鬘帯、着付は無地熨斗目または無紅縫箔、半切、無紅腰帯、無紅厚板(壺折に着付ける)というもので、鹿背杖を右手に突いて出、後に山姥扇を使って舞います。
問題は山姥鬘で、これを中入の短い時間で着けなければならないことです。能で使う鬘は頭にスッポリとかぶるものではなく、上演のたびに櫛を使って頭に結い着けるものなのです。普通の能では、前シテが鬘を結って登場する役である場合は、後シテでは装束は着替えても鬘はそのまま替えずに出るか、もしくは大概は鬘よりもずっと簡単に頭に着けられる仮髪の類~たとえば白頭や赤頭などの頭(かしら)の類とか黒垂、白垂という垂(たれ)の類を着るのが普通で、それは上演前に十分な時間的な余裕をもって着付ができる前シテと比べて、後シテは中入の間の限られた時間で着替えを済ませねばならないからです。
ところが『山姥』では、前シテは深井か曲見の面を着けるので中年あたりの年齢の女性の役、後シテは文字通り山に住む姥、すなわち老女の役で、前シテで使った黒々とした鬘を使うわけにもいかず、山姥鬘という、通常の鬘と形は同じで茶色味の勝った鬘を使うのです。で、これを中入の間に後見が結い上げるのですから、これは大変なことです。それに、まことに皮肉というか。。『山姥』の中入、すなわち前シテが幕の中に退場してから後シテに扮装を改めて再登場するまでの時間は、通常の能よりも若干短いんですよねえ。。
もとより、『山姥』に限らず中入の楽屋は戦場のような忙しさで、後見の手際の良さのワザが光る場所でもありますし、また入門間もない内弟子が邪魔な行動をして怒鳴りつけられるのも、たいがいこの場面。(^◇^;)
しかし『山姥』の中入はちょっと別格に忙しいかもしれません。能の曲の中で、後シテで鬘を結い上げる曲はそうそうはありません。たとえば老女能ではほとんどの場合 中入で老女鬘を着けるので、これまた中入で鬘を結うのですが、老女能ともなると中入の間に語られる間狂言の「語リ」も、しっかりと位をとって語られるので、時間的な余裕はまだあるのです。ところが『山姥』はそうはいかない。。
ぬえは今回の『山姥』ではシテを勤めるので、着付けて頂く側なのですが、後見の腕の見せ所でもあるこの『山姥』の後見は。。ぬえ、あんまりやりたくない役だなあ。。(;.;) もっとも『山姥』の後見はそれほど大変なので、山姥鬘を制限時間内に結い上げるコツや仕掛けも、能楽師は工夫してはおります。しかし、もちろんの事ながら、後見は中入の間に後シテの鬘だけではなくて装束も着付けなければならないし、さらにその上で鏡之間にシテをお連れして、面を着ける十分な時間がなければなりません。
鏡之間では床几に掛けた後シテが面に対峙し、面を掛けるのを後見はお世話をします。この時に後見は、着付ける際に見落とした装束の乱れがないかも同時に気を配ります。さてお舞台ではおワキが待謡を謡われる頃、後シテは床几を離れて立ち上がりますが、その刹那、後見は電光の早技で装束の着付の最後の手直しをする事ができます。待謡の直後、笛が「ヒシギ」という鋭い譜を吹いて、これを合図にシテは幕に掛かりますが、もうこうなったら原則的に後見はシテに触れてはならない、とされています。
シテはお囃子方が打つ「一声」を聞きながら、すでにその演奏の中に気分を集中させているからで、まあ、それでも よほどおシテの装束の着付に見苦しい点があれば、仕方なく後見は手直ししたりする事もないわけではないですが、これでは後見の仕事としては、まあ。。成功とは言えないですね。
かくして後シテは準備万端、幕から登場します。
後シテの面装束は、面=山姥、山姥鬘、無紅鬘帯、着付は無地熨斗目または無紅縫箔、半切、無紅腰帯、無紅厚板(壺折に着付ける)というもので、鹿背杖を右手に突いて出、後に山姥扇を使って舞います。
問題は山姥鬘で、これを中入の短い時間で着けなければならないことです。能で使う鬘は頭にスッポリとかぶるものではなく、上演のたびに櫛を使って頭に結い着けるものなのです。普通の能では、前シテが鬘を結って登場する役である場合は、後シテでは装束は着替えても鬘はそのまま替えずに出るか、もしくは大概は鬘よりもずっと簡単に頭に着けられる仮髪の類~たとえば白頭や赤頭などの頭(かしら)の類とか黒垂、白垂という垂(たれ)の類を着るのが普通で、それは上演前に十分な時間的な余裕をもって着付ができる前シテと比べて、後シテは中入の間の限られた時間で着替えを済ませねばならないからです。
ところが『山姥』では、前シテは深井か曲見の面を着けるので中年あたりの年齢の女性の役、後シテは文字通り山に住む姥、すなわち老女の役で、前シテで使った黒々とした鬘を使うわけにもいかず、山姥鬘という、通常の鬘と形は同じで茶色味の勝った鬘を使うのです。で、これを中入の間に後見が結い上げるのですから、これは大変なことです。それに、まことに皮肉というか。。『山姥』の中入、すなわち前シテが幕の中に退場してから後シテに扮装を改めて再登場するまでの時間は、通常の能よりも若干短いんですよねえ。。
もとより、『山姥』に限らず中入の楽屋は戦場のような忙しさで、後見の手際の良さのワザが光る場所でもありますし、また入門間もない内弟子が邪魔な行動をして怒鳴りつけられるのも、たいがいこの場面。(^◇^;)
しかし『山姥』の中入はちょっと別格に忙しいかもしれません。能の曲の中で、後シテで鬘を結い上げる曲はそうそうはありません。たとえば老女能ではほとんどの場合 中入で老女鬘を着けるので、これまた中入で鬘を結うのですが、老女能ともなると中入の間に語られる間狂言の「語リ」も、しっかりと位をとって語られるので、時間的な余裕はまだあるのです。ところが『山姥』はそうはいかない。。
ぬえは今回の『山姥』ではシテを勤めるので、着付けて頂く側なのですが、後見の腕の見せ所でもあるこの『山姥』の後見は。。ぬえ、あんまりやりたくない役だなあ。。(;.;) もっとも『山姥』の後見はそれほど大変なので、山姥鬘を制限時間内に結い上げるコツや仕掛けも、能楽師は工夫してはおります。しかし、もちろんの事ながら、後見は中入の間に後シテの鬘だけではなくて装束も着付けなければならないし、さらにその上で鏡之間にシテをお連れして、面を着ける十分な時間がなければなりません。
鏡之間では床几に掛けた後シテが面に対峙し、面を掛けるのを後見はお世話をします。この時に後見は、着付ける際に見落とした装束の乱れがないかも同時に気を配ります。さてお舞台ではおワキが待謡を謡われる頃、後シテは床几を離れて立ち上がりますが、その刹那、後見は電光の早技で装束の着付の最後の手直しをする事ができます。待謡の直後、笛が「ヒシギ」という鋭い譜を吹いて、これを合図にシテは幕に掛かりますが、もうこうなったら原則的に後見はシテに触れてはならない、とされています。
シテはお囃子方が打つ「一声」を聞きながら、すでにその演奏の中に気分を集中させているからで、まあ、それでも よほどおシテの装束の着付に見苦しい点があれば、仕方なく後見は手直ししたりする事もないわけではないですが、これでは後見の仕事としては、まあ。。成功とは言えないですね。
かくして後シテは準備万端、幕から登場します。