舞台に入ったシテはツレと問答を交わします。
ツレ「恐ろしや月も木深き山陰より、そのさま化したる顔ばせは、その山姥にてましますか
シテ「とてもはや穂に出で初めし言の葉の、気色にも知ろし召さるべし、我にな恐れ給ひそとよ(とツレへツメ)
ツレ「この上は恐ろしながらうば玉の、暗紛れより現はれ出づる、姿言葉は人なれども
シテ「髪には棘の雪を頂き(と替エに左手で頭をサシ)
ツレ「眼の光は星の如し
シテ「さて面の色は
ツレ「さ丹塗りの
シテ「軒の瓦の鬼の形を(と右へウケ上を見上げる)
ツレ「今宵初めて見ることを
シテ「何に喩へん
ツレ「古の(とツレへ向きツメ)
ツレは。。怖がっていますね~。そりゃ当たり前。「姿言葉は人なれども髪には棘の雪を頂き、眼の光は星の如し、さて面の色はさ丹塗りの軒の瓦の鬼の形」。。ははあ。。山姥のお顔は真っ赤な鬼瓦なのですか。。ショック。でも、シテの「我にな恐れ給ひそとよ」という言葉を受けたツレの返事が「この上は恐ろしながらうば玉の。。」という言葉だったりするのを聞いていると、なんだか山姥もかわいそうに思えてきます。
ところでこの問答のところ、他のシテ方のお流儀と比べて、観世流はシテに型が多いのだそうですね。本当に忙しいのはこの問答が終わって地謡が謡い、さらにそのあとに再びシテとツレが問答をする場面だと思いますけれど。。それでもこちらの問答でも、「おどろの雪」と左手で頭をサス型(もっとも ぬえの師家の型附ではこれは替エということになっていて、通常の型はツレを向くだけですが。。しかし頭をサス型をしないシテは見たことがないと思います)や、「軒の瓦の」と右上を見上げる型など、問答の中でシテが謡う一句ごとに具体的な型がつけられているのは珍しいと言えると思います。
地謡「鬼ひと口の雨の夜に(据え拍子)、鬼ひと口の雨の夜に、神鳴り騒ぎ恐ろしき(正へ出ヒラキ、または先まで出て足をトメ)、その夜を、思ひ白玉か(七ツ拍子正へノリ)なにぞと問ひし人までも(ヒラキ)。わが身の上になりぬべき(左へ廻り)、憂き世語りも恥かしや(シテ柱にてツレへ向きツメ)、憂き世語りも恥かしや。(正へ直し)
問答が済むと地謡が謡い出し、シテは一連の型をします。型附ではその終わりに「憂き世語りも恥かしや」と正へ直して“面を伏せる”ように書いてありますが。。この型は今回は致しません。なぜなら、この地謡の文句は(それと、その前のシテとツレの問答の「この上は恐ろしながら。。」以降は)シテの言葉ではないからです。これはどう考えてもツレの言葉。
「わが身の上になりぬべき」というのは、女と逃避行をした男が、雷が轟き大雨が降ってきたので「あばらなる蔵」に女を休ませたところ、その夜女が鬼に喰われてしまった、という話を載せる『伊勢物語』六段をふまえたもので、「鬼ひと口の雨の夜に神鳴り騒ぎ恐ろしき」は『伊勢物語』の情景そのもの、「その夜を思ひ白玉か、なにぞと問ひし人」という文言は、翌朝女の姿が消えた事を発見した男が詠んだ和歌「白玉かなにぞと人の問ひし時 露ぞとこたへて消えなましものを」を指しています。失せた女は上臈であったため、男に背負われて芥川を渡ったとき、草に置く露を見て「かれは何ぞ」と男に問うたのです。
この物語をふまえたものであれば「憂き世語りも恥かしや」というこの部分の文言は「憂き世に生きる自分が精霊たる山姥に身の上話をするのは恥ずかしい」というような意味ではなくて、『伊勢物語』で死んでしまった女の運命が今まさに「わが身の上になりぬべき」と直感して、その死が巷間に流布して「憂き世語り」となってしまう事を恥じたのです。この場面で面を伏せるのはシテではなくツレであるべきでしょう。
この地謡のあと、再びシテとツレは問答を交わしますが、ここは少し解釈が難解な部分でもあり、また前述のようにシテの型が忙しい場面でもあります。
シテ「春の夜のひと刻を千金に替へじとは、花に清香月に陰、これは願ひのたまさかに、行き逢ふ人の一曲の、その程もあたら夜に、はやはや謡ひ給ふべし(ツレへツメ)
ツレ「げにこの上はともかくも、言ふに及ばぬ山中に
シテ「一声の山鳥羽を叩く(右へウケ両手を打ち合わせ)
ツレ「鼓は滝波
シテ「袖は白妙(左袖を出して見)
ツレ「雪を廻らす木の花の
シテ「難波のことか
ツレ「法ならぬ(ツレへツメ)
地謡「よしあしびきの山姥が、よしあしびきの山姥が、山廻りするぞ苦しき(正へヒラキ)
「春宵一刻値千金」と言われるのは花に馥郁たる香りが、月に美しい光があるから。今はツレと会う事ができてその歌を聞けるという遇いがたい偶然によっ山姥の願いが叶う瞬間である。しかしその時間も限られている。はやく謡って聞かせてください。。「あたら」は「惜しむべき」の意。そのあとは和歌をふまえながら、ツレが謡い出すさまを表します。「袖は白妙」もツレの衣裳の事だから(=この部分だけツレが舞っているらしい表現が出てくる)、シテが自分の袖を見るのは やはりおかしいのですが、前シテが「夜すがら謡ひ給はば、その時。。移り舞を舞ふべし」と宣言しているので、なんとか辻褄は合います。実際、地謡が謡う「よしあしびきの山姥が。。」の部分は前シテの言葉にもあって、これがツレが謡い出した冒頭の歌詞だと理解できるのに、続くクリ・サシはツレが謡った文句か、それともシテ山姥がツレの歌を引き継いで「まことの山姥」について説明しているのか不分明です。
「移り舞」と言うからには、ツレの歌を遮ってシテがそれに修正を加える、というよりは、その歌にシテが共鳴して行って、「まことの山姥」を説明する事に自然に移行していった、と考えるのがよいのでしょう。
ツレ「恐ろしや月も木深き山陰より、そのさま化したる顔ばせは、その山姥にてましますか
シテ「とてもはや穂に出で初めし言の葉の、気色にも知ろし召さるべし、我にな恐れ給ひそとよ(とツレへツメ)
ツレ「この上は恐ろしながらうば玉の、暗紛れより現はれ出づる、姿言葉は人なれども
シテ「髪には棘の雪を頂き(と替エに左手で頭をサシ)
ツレ「眼の光は星の如し
シテ「さて面の色は
ツレ「さ丹塗りの
シテ「軒の瓦の鬼の形を(と右へウケ上を見上げる)
ツレ「今宵初めて見ることを
シテ「何に喩へん
ツレ「古の(とツレへ向きツメ)
ツレは。。怖がっていますね~。そりゃ当たり前。「姿言葉は人なれども髪には棘の雪を頂き、眼の光は星の如し、さて面の色はさ丹塗りの軒の瓦の鬼の形」。。ははあ。。山姥のお顔は真っ赤な鬼瓦なのですか。。ショック。でも、シテの「我にな恐れ給ひそとよ」という言葉を受けたツレの返事が「この上は恐ろしながらうば玉の。。」という言葉だったりするのを聞いていると、なんだか山姥もかわいそうに思えてきます。
ところでこの問答のところ、他のシテ方のお流儀と比べて、観世流はシテに型が多いのだそうですね。本当に忙しいのはこの問答が終わって地謡が謡い、さらにそのあとに再びシテとツレが問答をする場面だと思いますけれど。。それでもこちらの問答でも、「おどろの雪」と左手で頭をサス型(もっとも ぬえの師家の型附ではこれは替エということになっていて、通常の型はツレを向くだけですが。。しかし頭をサス型をしないシテは見たことがないと思います)や、「軒の瓦の」と右上を見上げる型など、問答の中でシテが謡う一句ごとに具体的な型がつけられているのは珍しいと言えると思います。
地謡「鬼ひと口の雨の夜に(据え拍子)、鬼ひと口の雨の夜に、神鳴り騒ぎ恐ろしき(正へ出ヒラキ、または先まで出て足をトメ)、その夜を、思ひ白玉か(七ツ拍子正へノリ)なにぞと問ひし人までも(ヒラキ)。わが身の上になりぬべき(左へ廻り)、憂き世語りも恥かしや(シテ柱にてツレへ向きツメ)、憂き世語りも恥かしや。(正へ直し)
問答が済むと地謡が謡い出し、シテは一連の型をします。型附ではその終わりに「憂き世語りも恥かしや」と正へ直して“面を伏せる”ように書いてありますが。。この型は今回は致しません。なぜなら、この地謡の文句は(それと、その前のシテとツレの問答の「この上は恐ろしながら。。」以降は)シテの言葉ではないからです。これはどう考えてもツレの言葉。
「わが身の上になりぬべき」というのは、女と逃避行をした男が、雷が轟き大雨が降ってきたので「あばらなる蔵」に女を休ませたところ、その夜女が鬼に喰われてしまった、という話を載せる『伊勢物語』六段をふまえたもので、「鬼ひと口の雨の夜に神鳴り騒ぎ恐ろしき」は『伊勢物語』の情景そのもの、「その夜を思ひ白玉か、なにぞと問ひし人」という文言は、翌朝女の姿が消えた事を発見した男が詠んだ和歌「白玉かなにぞと人の問ひし時 露ぞとこたへて消えなましものを」を指しています。失せた女は上臈であったため、男に背負われて芥川を渡ったとき、草に置く露を見て「かれは何ぞ」と男に問うたのです。
この物語をふまえたものであれば「憂き世語りも恥かしや」というこの部分の文言は「憂き世に生きる自分が精霊たる山姥に身の上話をするのは恥ずかしい」というような意味ではなくて、『伊勢物語』で死んでしまった女の運命が今まさに「わが身の上になりぬべき」と直感して、その死が巷間に流布して「憂き世語り」となってしまう事を恥じたのです。この場面で面を伏せるのはシテではなくツレであるべきでしょう。
この地謡のあと、再びシテとツレは問答を交わしますが、ここは少し解釈が難解な部分でもあり、また前述のようにシテの型が忙しい場面でもあります。
シテ「春の夜のひと刻を千金に替へじとは、花に清香月に陰、これは願ひのたまさかに、行き逢ふ人の一曲の、その程もあたら夜に、はやはや謡ひ給ふべし(ツレへツメ)
ツレ「げにこの上はともかくも、言ふに及ばぬ山中に
シテ「一声の山鳥羽を叩く(右へウケ両手を打ち合わせ)
ツレ「鼓は滝波
シテ「袖は白妙(左袖を出して見)
ツレ「雪を廻らす木の花の
シテ「難波のことか
ツレ「法ならぬ(ツレへツメ)
地謡「よしあしびきの山姥が、よしあしびきの山姥が、山廻りするぞ苦しき(正へヒラキ)
「春宵一刻値千金」と言われるのは花に馥郁たる香りが、月に美しい光があるから。今はツレと会う事ができてその歌を聞けるという遇いがたい偶然によっ山姥の願いが叶う瞬間である。しかしその時間も限られている。はやく謡って聞かせてください。。「あたら」は「惜しむべき」の意。そのあとは和歌をふまえながら、ツレが謡い出すさまを表します。「袖は白妙」もツレの衣裳の事だから(=この部分だけツレが舞っているらしい表現が出てくる)、シテが自分の袖を見るのは やはりおかしいのですが、前シテが「夜すがら謡ひ給はば、その時。。移り舞を舞ふべし」と宣言しているので、なんとか辻褄は合います。実際、地謡が謡う「よしあしびきの山姥が。。」の部分は前シテの言葉にもあって、これがツレが謡い出した冒頭の歌詞だと理解できるのに、続くクリ・サシはツレが謡った文句か、それともシテ山姥がツレの歌を引き継いで「まことの山姥」について説明しているのか不分明です。
「移り舞」と言うからには、ツレの歌を遮ってシテがそれに修正を加える、というよりは、その歌にシテが共鳴して行って、「まことの山姥」を説明する事に自然に移行していった、と考えるのがよいのでしょう。