は~、いよいよ来週には新年を迎えるのですね~。この年始は ぬえ、とってもヒマ。師家恒例の、丹波篠山で元旦深夜に上演される「翁神事」も今年は ぬえは出演はしませんで、これまた師家恒例の正月2日の謡初めも、昨年師匠の奥様が亡くなった関係で中止となりました。お弟子さんのお稽古を除けば、次のスケジュールは研能会の初会の申合。。まあ、それから先は1月は舞台も多いので忙しくはなるのですが、年末年始と、これほど舞台から遠ざかると「舞台カン」みたいなものが失われてしまいそう。
ま、そうはいっても ほとんどの能楽師にとって年末年始は1年のうちで最もヒマな時期でしょう。当たり前ですが。それでも ぬえの師家などのように元旦に寺社などで「翁」を上演する事を恒例にしておられる家はいくつかあって、それに出演するシテ方や囃子方は元旦から舞台に立っているわけではありますが、これまた やっぱりその「翁」が終わったあとには謡初めやら、囃子方では「打ち初め」と言うらしい流儀やお家の儀式を除いてはしばらく催しもなく、舞台が本格的に始動するのは どの能楽師にとっても1月中旬頃からではないかしら。
不思議なもので、年末年始のこの空白の期間というものは。。舞台カンを失わせますね。いや ぬえが未熟なのもあるでしょうが、ほかの能楽師の友人やら、ぬえよりずっと先輩からも同じ事をよく聞くから、あながち未熟なゆえばかりが原因でもないかもしれませんが。だから、なぜか1月の舞台には小さなミスがよく現れます。いや、絶句するとか、囃子方が手を打ち間違える、というような大きな「失敗」ではなくて、お客さまにとっては注意してご覧にならなければわからないような小さな「ミス」。。間合いがどうも合わない、とか、もう一つ謡に生彩が欠けている、とか、そういう類のものは、なぜか正月によく見かけるように思います。12月の中旬からクリスマス頃までに大体みなさん舞台の予定を終えて、次に本格的に舞台活動が始動するのが1月中旬だとすると、多くの能楽師にとって2~3週間の「舞台ブランク」が生まれるのですが、その程度でさえ「狂い」が生じるとは、やはり芸というものは精緻なのでしょうし、舞台から離れるのは怖いものなのですね。。
そんな ぬえも今年は正月から忙しい年でありました。やはり今年の正月も元旦の丹波篠山での「翁神事」に出演するメンバーには入っていなかったものの、翌2日には師家で謡初め、8日にはすでに研能会初会があって、なんとその公演で ぬえは『翁』『楊貴妃』『恋重荷』と3番の能の地謡に出演する、という正月からハードなスタートを切りました。その週末には名古屋近郊の豊田市能楽堂の「新春能」公演に参加。さらに舞台はあっちやらこっちやら。。まあ、これほど舞台が多いと、さきほどの「舞台カン」もすぐに取り戻せました。
あ、そうそう、この豊田市能楽堂の催しの終演後に ぬえは名古屋在住の研究者の「鮒さん」(←ハンドルです)と会って、そのまま名古屋に宿泊したのでした。鮒さんは ぬえとはパソコン通信時代からの旧知の仲なのですが、彼はSP盤として残された能や謡の実演の記録を通して明治以後の近代の能の姿に迫ってみる、という画期的なアイデアを考えた研究者です。骨董屋などでSP盤を自身で収集したり、その音源をデジタル化して保存する作業も地道に行っておられましたが、一昨年のあるとき ぬえに相談があって、いわく「ぬえの師匠の家に先代や先々代が吹き込まれたようなSP盤が残っていないだろうか。もしもあるならば、ぜひデジタル化保存をさせてほしいと ぬえから頼んでもらえないだろうか」というものでした。どうしても巷間に出回っているような「聴き込まれた」SP盤は保存状態も悪いものが多いそうで、その点 実演者のもとに保存されているものならば、能楽愛好家の手元にあった盤よりは はるかに保存状態がよいはずで、デジタル化して後世に残す基本資料として有効なのではないか。。?と考えられたのですね。まさに卓見。
そんなわけで ぬえもこの計画には大賛成で、すぐに師家に相談してお許しを得。所蔵SP盤のリストを作って鮒さんに渡し、検討のうえ鮒さんがデジタル化するべき蔵品を選び。つぎには ぬえ自身が輸送責任者となって師家所蔵のSP盤を名古屋のNHKに運び。。その結果、ぬえの師家所蔵の 梅若万三郎(初世・二世)の録音はデジタル化されて半永久的な保存が可能になりました。さらには師家の許しを得てこれらの音源は鮒さんのサイトで広く公開されて、どなたでも無料でダウンロードして頂けるところまで成果をあげました(詳細はぬえのサイトをご覧ください)。
今年の正月の豊田市での催しでは久しぶりに鮒さんと再会して、とうとう結実した鮒さんのプロジェクトの成功を祝して祝杯をあげるために、終演後は名古屋に泊まったのでした。もうあれから1年が経とうとしているのかあ。何がともあれ、そのままにしておけばいずれは朽ちていく運命だったSP盤(それは ぬえの師家でもまさに「死蔵」されているものでした)を、この時期に永久保存する方策を打ち立てた鮒さんの行為は、ぬえはまさに鮒さんの「業績」と呼ぶべきものだと思いますね。もう10年、20年、こういう事を考える研究者が現れなかったならば、おそらく多くの資料は散逸したり破壊されたり(←ぬえも今回はじめて知りましたが、SP盤は本当にもろい)したことでしょう。すでに戦後塩化ビニールでLPレコードが作られるようになってSP盤が省みられなくなって今日までに幾多の古い音源資料が人知れず損壊して失われていったであろうことか。鮒さんは、後世の人のために、もちろん研究の基礎資料として、また能楽愛好家の興味や鑑賞のためにも時代の証言である往時の実演を、まさに現代に甦らせる功績を残したのです。鮒さん、あなたに本当に感謝する人が、いまも、将来も、たくさんおられると ぬえは思いますよ。
ま、そうはいっても ほとんどの能楽師にとって年末年始は1年のうちで最もヒマな時期でしょう。当たり前ですが。それでも ぬえの師家などのように元旦に寺社などで「翁」を上演する事を恒例にしておられる家はいくつかあって、それに出演するシテ方や囃子方は元旦から舞台に立っているわけではありますが、これまた やっぱりその「翁」が終わったあとには謡初めやら、囃子方では「打ち初め」と言うらしい流儀やお家の儀式を除いてはしばらく催しもなく、舞台が本格的に始動するのは どの能楽師にとっても1月中旬頃からではないかしら。
不思議なもので、年末年始のこの空白の期間というものは。。舞台カンを失わせますね。いや ぬえが未熟なのもあるでしょうが、ほかの能楽師の友人やら、ぬえよりずっと先輩からも同じ事をよく聞くから、あながち未熟なゆえばかりが原因でもないかもしれませんが。だから、なぜか1月の舞台には小さなミスがよく現れます。いや、絶句するとか、囃子方が手を打ち間違える、というような大きな「失敗」ではなくて、お客さまにとっては注意してご覧にならなければわからないような小さな「ミス」。。間合いがどうも合わない、とか、もう一つ謡に生彩が欠けている、とか、そういう類のものは、なぜか正月によく見かけるように思います。12月の中旬からクリスマス頃までに大体みなさん舞台の予定を終えて、次に本格的に舞台活動が始動するのが1月中旬だとすると、多くの能楽師にとって2~3週間の「舞台ブランク」が生まれるのですが、その程度でさえ「狂い」が生じるとは、やはり芸というものは精緻なのでしょうし、舞台から離れるのは怖いものなのですね。。
そんな ぬえも今年は正月から忙しい年でありました。やはり今年の正月も元旦の丹波篠山での「翁神事」に出演するメンバーには入っていなかったものの、翌2日には師家で謡初め、8日にはすでに研能会初会があって、なんとその公演で ぬえは『翁』『楊貴妃』『恋重荷』と3番の能の地謡に出演する、という正月からハードなスタートを切りました。その週末には名古屋近郊の豊田市能楽堂の「新春能」公演に参加。さらに舞台はあっちやらこっちやら。。まあ、これほど舞台が多いと、さきほどの「舞台カン」もすぐに取り戻せました。
あ、そうそう、この豊田市能楽堂の催しの終演後に ぬえは名古屋在住の研究者の「鮒さん」(←ハンドルです)と会って、そのまま名古屋に宿泊したのでした。鮒さんは ぬえとはパソコン通信時代からの旧知の仲なのですが、彼はSP盤として残された能や謡の実演の記録を通して明治以後の近代の能の姿に迫ってみる、という画期的なアイデアを考えた研究者です。骨董屋などでSP盤を自身で収集したり、その音源をデジタル化して保存する作業も地道に行っておられましたが、一昨年のあるとき ぬえに相談があって、いわく「ぬえの師匠の家に先代や先々代が吹き込まれたようなSP盤が残っていないだろうか。もしもあるならば、ぜひデジタル化保存をさせてほしいと ぬえから頼んでもらえないだろうか」というものでした。どうしても巷間に出回っているような「聴き込まれた」SP盤は保存状態も悪いものが多いそうで、その点 実演者のもとに保存されているものならば、能楽愛好家の手元にあった盤よりは はるかに保存状態がよいはずで、デジタル化して後世に残す基本資料として有効なのではないか。。?と考えられたのですね。まさに卓見。
そんなわけで ぬえもこの計画には大賛成で、すぐに師家に相談してお許しを得。所蔵SP盤のリストを作って鮒さんに渡し、検討のうえ鮒さんがデジタル化するべき蔵品を選び。つぎには ぬえ自身が輸送責任者となって師家所蔵のSP盤を名古屋のNHKに運び。。その結果、ぬえの師家所蔵の 梅若万三郎(初世・二世)の録音はデジタル化されて半永久的な保存が可能になりました。さらには師家の許しを得てこれらの音源は鮒さんのサイトで広く公開されて、どなたでも無料でダウンロードして頂けるところまで成果をあげました(詳細はぬえのサイトをご覧ください)。
今年の正月の豊田市での催しでは久しぶりに鮒さんと再会して、とうとう結実した鮒さんのプロジェクトの成功を祝して祝杯をあげるために、終演後は名古屋に泊まったのでした。もうあれから1年が経とうとしているのかあ。何がともあれ、そのままにしておけばいずれは朽ちていく運命だったSP盤(それは ぬえの師家でもまさに「死蔵」されているものでした)を、この時期に永久保存する方策を打ち立てた鮒さんの行為は、ぬえはまさに鮒さんの「業績」と呼ぶべきものだと思いますね。もう10年、20年、こういう事を考える研究者が現れなかったならば、おそらく多くの資料は散逸したり破壊されたり(←ぬえも今回はじめて知りましたが、SP盤は本当にもろい)したことでしょう。すでに戦後塩化ビニールでLPレコードが作られるようになってSP盤が省みられなくなって今日までに幾多の古い音源資料が人知れず損壊して失われていったであろうことか。鮒さんは、後世の人のために、もちろん研究の基礎資料として、また能楽愛好家の興味や鑑賞のためにも時代の証言である往時の実演を、まさに現代に甦らせる功績を残したのです。鮒さん、あなたに本当に感謝する人が、いまも、将来も、たくさんおられると ぬえは思いますよ。