昨日12月16日、梅若研能会12月例会での『山姥』の上演が(なんとか)無事に勤め終えることができました。会場は満員御礼で、初番を勤められました師匠・梅若万三郎の『松風』の際には立ち見でご覧になるお客さままでおられて、ご来場頂きました皆々様には厚く御礼申し上げますと同時に、ご不便をお掛けしました事をお詫び申し上げます。
さて、ぬえの感想ですが、ひと口に言って、『山姥』とはこれほど体力が必要な曲なのか。。と正直驚きました。やはり稽古と本番の舞台とは違うもので、苦しさも稽古からだけでは想像がつかないのに本番で思い知る、ということも ままある事です。
結果的に舞台にキズをつけるような事はなかったのですが、後シテを舞っている途中から、このままで行けばスタミナが切れる事を予感して、少し体力を温存しながら舞ってしまいました。そのせいか、あとでビデオを見てみると、やはりクセの中の型は少しおとなしかったようです。もう少し突っ込んで演じたかったところや、型の鋭さが足りない部分もありますが、それは破綻と裏腹の賭けで、ぬえは少し無難に逃げてしまったところもあります。悔い、というほどではないものの、もっと基礎体力をつける事、なんて何とも情けない課題ができてしまいました。
前シテは、だいたい思った通り出来たと思います。じつは今回は、いかに前シテをコンパクトにまとめられるか、を稽古の時からずっと課題としていました。なんせ今回の公演では1時間30分を超える上演時間の能『松風』、同じく30分以上かかる狂言『地蔵舞』、さらに『山姥』も上演時間は1時間30分以上、といずれも大曲揃いの公演である事は事前に明白。。ここで『山姥』のシテ謡を楽しんでじっくりと謡ってしまっては、鑑賞されるお客さまの意欲も萎えてしまうでしょう。実際のところ、まあ、ぬえに対する評価、という事もあるでしょうが、師匠の『松風』だけご覧になってお帰りになったお客さまもおられましたから、やはり長大な上演時間を維持するのは、演者にとってもお客さまにとっても大変なのだと思います。そこで、今回の『山姥』の、とくに前シテはシテの雰囲気や謡のムードは壊さないままで、できるだけサラリと謡えるように稽古の重心を置いていました。謡が軽すぎたとご不満をお感じになったお客さまも、あるいはおられるかも知れませんが、ぬえとしてはこの方針は正解ではなかったか、とは思っておりますが。。
後シテは足拍子や謡と囃子との間合いが非常に難しいのが『山姥』で、申合ではここが ことごとく合わずガッカリしていました。でも、ぬえが型を堪えることができていなかったり、また謡が今度は慎重すぎてやや重かったり、と 原因はすべて ぬえにあったので、これは申合のあとに徹底的に稽古の手直しをしました。当日は どの場面でもほぼ囃子とは合ったので安心はしたのですが、でも、どちらかというと大先輩のお囃子方が ぬえに付きあってくださった、というのが真相かも。。
後シテは。。さきほども書きましたが、苦しかった。。じつは先輩から「クセの終わりのところ、本当に<山廻りするぞ、苦しき>って思うんだよねえ」と事前に言われていましたが、まさにその通り。終演後に同じ先輩に「本当に苦しかったです。。『山姥』は何度も演じる方があるけれど気持ちがよくわからない」と言ったところ、この先輩は「それは ぬえ君が今回初役だからだよ。やっぱり力の配分、っていう事もある。<金輪際>の拍子など、だいぶ気持ちを入れてやっていたようだったから、このまま最後まで突っ走れるのかなあ?と思ったけれど。。あそこの拍子は普段の舞とは違う筋肉を使うから、あまりやりすぎると身体に負荷も大きいと思う。ただ、今日は途中で疲れてきたようには見えなかったよ」と言ってくださいました。