ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

巡りめぐりて輪廻を離れぬ~悩む『山姥』(その21)

2007-12-14 00:53:01 | 能楽
「金輪際に・及べり」のところで左足で大きく踏む足拍子は『山姥』の後シテの型どころの一つで大変に有名な型です。地獄の、そのまた下の混沌とした闇の世界の奥底にまで響くように、なんて先輩は表現しておられましたが、これは足拍子の音の大きさではなくて、間合いの事を言うのでしょう。ぬえはすでに師匠の稽古も受け、先日は稽古能で『山姥』を舞いましたが、このときは大鼓が打つ頭に合わせて踏むこの拍子は。。大きく外れました。。もっともちょっと大鼓も早めに打ち過ぎたようだったから、この日は「引き分け」というところでしょうか(え? え? 勝負なの??)

さてようやく後シテは立ち上がり、舞い始めます。このあたり、最初は易しい文章で意味も通りやすいのに、だんだんと、やっぱり難解な法語が跋扈しはじめるのですよね~

地謡そもそも山姥は、生所も知らず宿もなし(左足拍子)、ただ雲水を便りにて(正へ出ヒラキ)、至らぬ山の奥もなし(打込、扇を開き)
シテ「しかれば人問にあらずとて(上扇)
地謡「隔つる雲の身を変へ(大左右)、仮に自性を変化して(左足拍子)、一念化性の鬼女となつて、目前に来れども(正先に打込ヒラキ)、邪正一如と見る時は(身ヲカヘ)、色即是空そのままに(ヒラキ)、仏法あれば世法あり(角へ行き小さく廻り正へ直し)、煩悩あれば菩提あり(左へ廻り大小前へ行き)、仏あれば衆生あり(正へサシツメ、右へ見回し)衆生あれば山姥もあり(ユウケン扇)、柳は緑(抱え込み扇)、花は紅の色々(正へヒラキ)。

このあたりからは、もう完全に山姥がツレに向かって自己主張をしている文言です。「隔つる雲の身を変へ仮に自性を変化して、一念化性の鬼女となつて目前に来れども」という山姥の言葉は意味が深く、思い返せば前シテで

シテ「さてまことの山姥をばいかなる者とか知ろしめされて候ぞ
ワキ「まことの山姥は山に住む鬼女とこそ、曲舞には見えて候へ
シテ「鬼女とは女の鬼とや、よし鬼なりとも人なりとも、山に住む女ならば、わらはが身の上にてはさむらはずや

と言っていたのが思い起こされます。ツレは山姥の事を「山に住む鬼女」と捉えていたのであって、前シテはそれに対して明確な反論をしていません。それがこの場面で山姥の定義がされるわけなのですが、これがまた。。要領を得ないと言うか。。

「仮に自性を変化して一念化性の鬼女となつて目前に来れども、邪正一如と見る時は、色即是空そのままに、仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり、仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥もあり、柳は緑、花は紅の色々」

。。「鬼女」と見えた山姥のこの姿が、じつは「仮に自性を変化」したものに過ぎない、というのです。では山姥の本質は何なのか。ところが「邪正一如」「色即是空(空即是色)」。。ひとつの心や縁起によって物質は存在し、実体というものは存在しない。。そう考えれば万物の関係は相対的に存在を支え合っているに過ぎず、結局 輪廻の中に留まっている以上、実相というものは誰の目にも見えるものではない。。あ~~もう何が何やら。。

で、話題は変わって「仮に自性を変化して一念化性の鬼女となつ」た山姥が、それでは普段何をしているのか。これがまた、「鬼女」という定義が間違っている事を実感させる美談ばかりで、山姥の面目躍如たる場面です。

地謡「さて人間に遊ぶこと(七ツ拍子右へノリ)、ある時は山賎の(大左右)、樵路に通ふ花の蔭(角のあたりへ打込)、休む重荷に肩を貸し(ヒラキながら扇を右肩の前へ返し下居)、月もろともに山を出で(立ち上がり正へ少し出)、里まで送る折もあり(幕の方へ扇出し見)、またある時は織姫の(常座へ廻り込み)、五百機立つる窓に入つて(角へノリ込み拍子)、枝の鶯糸繰り(サシ廻シ)、紡績の宿に身を置き(左へ廻り笛座へ行き)、人を助くる業をのみ、賎の目に見えぬ(斜に出)、鬼とや人の言ふらん(左右打込)
シテ「世を空蝉の唐衣(ヒラキ、足拍子)
地謡「払はぬ袖に置く霜は(大左右)、夜寒の月に埋もれ、打ちすさむ人の絶間にも(正先に打込ヒラキ)、千声万声の(七ツ拍子正へノリ)、砧に声のしで打つは(右に外し打合)、ただ山姥が業なれや(ツレへ向き)

あるときは重い薪を背負って山路を行き疲れた賤しい山人の助けをして重荷を背負って里まで送り、またあるときは織女の部屋に窓から忍び入っては、柳の細枝を飛び回る鶯のように糸を操って手助けをし、それでも山姥の姿は人には見えない。だから不思議なこれらの助力を、人は「鬼の仕業」と言うのであろう、と。

さらに、忙しく立ち働く山姥はその袖を払おうともせず、そこには自然と霜が降りてくる。その白さも目立たないほど月が煌々と照る寒い夜にも、砧を打つ女が打ち疲れて手を休める間にも、それでも槌打つ響きが聞こえるのは、やはり山姥が彼女を手伝っているから。

地謡「都に帰りて世語りにせさせ給へと(常座よりツレへ胸ザシ、ヒラキ)、思ふはなおも妄執か(正へサシ)、ただうち捨てよ何事も(角へ行きカザシ扇)、よしあしびきの山姥が、山廻りするぞ苦しき(大小前にて左右、ツレへ向き)。

山姥の物語は終わりツレに「都に帰りて世語りにせさせ給へ」と言いながら、そこに現れたある種の自尊心のようなものに気づく山姥。前シテがツレに言っていた「今日しもここに来る事は、わが名の徳を聞かんためなり」という言葉も、「わらはが身をも弔ひ、舞歌音楽の妙音の、声仏事をもなし給はば、などかわらはも輪廻を免れ、帰性の善所に至らざらん」という善心から絞り出された言葉というばかりではなかったのかも知れません。「年頃色には出ださせ給ふ、言の葉草の露ほども、御心には掛け給はぬ、恨み申しに来りたり」。。この言葉は。。やはり妄執というほかないのかしら。

「ただうち捨てよ何事も」。。自分に向かって発せられたこの言葉こそ、自分からは抜け出す事が到底叶わない山姥の苦悩、それこそ絞り出された言葉でしょう。山姥は悩んでいた。悩みながら煩悩から抜け出せない、彼女はまさに「衆生あれば山姥もあり」という通り、「鬼女」でもあろうけれども衆生=「人間」と等しく、人間と支え合って初めて実在する存在だったのです。