時期は少しあとになって5月。ぬえは はじめて鎌倉を訪れました。う~~ん、これほど日本文化について熱く語る ぬえは、生まれも育ちも東京っ子のはずの ぬえは。。じつはこれまで一度も鎌倉という土地を訪れた事がありません。よ~~く思い返してみても、学生時代に江ノ島あたりまでドライブした事があるだけで、やはり鎌倉大仏も、鶴岡八幡宮も、長谷寺もあじさい寺も。。ぜ~~んぜん見たことがないのでした。やっぱり ぬえ、どこかアタマのネジが抜けているらしい。。GWの翌週末、ぬえは思い切って鎌倉を訪れることにしました。目的は建長寺のご本尊にご挨拶をし、ご祈祷を受けるためです。
というのも、この翌月には ぬえ、建長寺で『隅田川』を勤める予定になっていたからで、それはここでの催し「巨福能」をプロデュースしておられる金春流の師範格の方から ぬえに出演の依頼を頂いたからなのでした。このお話を頂いた ぬえは本当にびっくり。二十歳を過ぎてからこの道に飛び込んだ ぬえごときが、まさか他流の方から出演依頼を頂けるとは。。それも会場は鎌倉を代表する古刹・建長寺で、そのうえ指定された上演曲目も大曲の『隅田川』とは。。
ともあれ、「巨福能」の会場となる「龍王殿」では仏壇を背にして舞うことになるので、ご本尊にあらかじめ非礼をお詫びし、併せて無事の上演を祈願するために、催しの約一月前に、会場の下見を兼ねて建長寺へ参詣したのでした。
はじめて訪れた鎌倉は、山もあり海もあり、東京から交通は便利な割には どこか鄙びた風情もあるし、それに似合った人情もある。ああ、これは良いところですね。もっとも建長寺のほかに訪れた社寺では ぬえはいずれも鎌倉時代から続くような古式とか格式はほとんど感じられなかった。これは京都・奈良とは決定的に違うところです。おそらく。。鎌倉は一時は日本の事実上の首都であったわけだけれども、その後首都機能が再び京都に戻り、さらに江戸に移り。。この間に鎌倉は、残念ながら相当長い期間うち捨てられ、省みられなかった時代が続いたのだと思います。発掘すれば夥しい遺物や遺構が発見されるでしょうけれども、この地の空気は頼朝や北条の時代の息吹を今に伝えている、というわけではない。。
でもね。現代の鎌倉という土地は、京都や奈良のように重厚な伝統文化の重層を見るのではなくて、山や海を含めた「鄙」の風情を楽しむところなのではないかな、とも感じた ぬえではありました。古い由緒を持つ社寺は、省みられなかった時期があるため、それ自体が醸す雰囲気は中世のものではなくて、多分に近世のそれ。でも鎌倉では建築の重厚な美を愛でる、というよりは、むしろその屋根のうえで日向ぼっこするニャンコを まったりと眺めながら縁側でお茶を頂くべき場所なんだと思いますね。
さてその建長寺での「巨福能」は6月3日に催されました。ぬえにとって『隅田川』を手がけるのはこれで2度目。子方は前回と同じく チビぬえが勤めることになりました。実際のところ、会場は蒸し暑くて非情に苦しい舞台ではありましたが、やはり一度勤めたことのある能には新たな発見がたくさんありました。成果については批判も含めていろいろな方から ぬえにアドバイスを頂きました。見所も満員で、頂いたお仕事としては非礼がなかったのだけが救いでしょうか。
なおこの催しに毎回いらしている能楽写真家の渡辺国茂さんと ぬえはこの日はじめてお会いしたのですが、その後親交を深めて、渡辺さんはそれ以後 ぬえの舞台をたびたび撮影して下さっておられます。これまたありがたい出会いでありました。
平成19年に ぬえが最初にシテを勤めた舞台はこの建長寺の「巨福能」になります。その後は秋にかけてたくさんのシテを舞う機会があった年でした。