ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

茨城県~鹿嶋市・潮来市・神栖市のいま

2013-06-24 15:59:24 | 能楽の心と癒しプロジェクト
終末はオフだったのでマリカ姫と一緒に旅行に行っておりました。父が家を持っている茨城県の鹿嶋市。



震災以来、もう何度か訪れていますが、津波の被害があった、と聞いた割には鹿島港に行ったのは震災のあとではこれが初めて。近くの霞ヶ浦周辺にある「鹿行(ろっこう)大橋」が地震で崩落し、たまたま通りかかって巻き込まれた車があって死者が出たとの話も聞いてはいましたが。。橋は現在架け替えられ、旧橋は崩落の原因調査が進められているとか。

鹿嶋港ではかつて釣りもよくやりましたが、有料の「魚釣園」にまずは行ってみて、真っ白な真新しいコンクリートで漁港が覆われていることにまずは驚きました。その漁港の堤防の一部に作られていた「魚釣園」は跡形もなく。。それでも堤防は大きな被害を受けなかったようで、「立入禁止」の柵の向こうでは大勢の釣り客がいました。





さらに進むと、橋の向こうに水先案内人の事務所とか海上保安署の信号所‎などがある小島があるのですが、ここは落橋の恐れがあるとのことで車両通行止めになっていました。付近には、震災で壊れたのかどうかわかりませんが、航路に浮かべるブイの標識が放置されていたり。。











次に鹿島港の最奥にある「港公園」で展望台のチケット売り場のお姉さんに話を聞きました。すると、震災の時はこのあたりも大きな被害があって、午後3時15分に茨城県沖を震源とする震度6弱の地震によって付近一帯に拡がる工業地帯のうち住友金属の鹿島製鉄所ではガスタンクの火災が発生。津波の被害も深刻で、前述の魚釣園周辺のほか道路上まで来た津波によって港のコンテナや車が多数流されたり、「港公園」でも芝生がえぐり取られたそう。直後に停電になったため情報もなく、津波の犠牲者も1名出たそうです。



こちら「港公園」管理棟に展示されていた震災当日の鹿島港の写真。











展望台から見た鹿島港。





火災のあった製鉄所はこのあたりです。



「港公園」のお姉さんに教えて頂き、震災の被害が大きかったという神栖市の「堀割地区」と潮来市の「日の出地区」にも行ってみました。ここいらは「水郷」といって、昔から水路の多い、風光明媚なところですが。。



こちらは「堀割地区」ですが、液状化現象によって大きな被害が出たところで、震災から2年経ってもこの有様でした。





こちら「日の出地区」ではかなり広い範囲で道路が隆起したり陥没したり。さらに状況は悪いようです。家がすべて真っ直ぐに建っているのに塀や門はことごとく傾いていて、なんだか見ているうちに平衡感覚を失ってきます。







ガレージと道路に段差ができてしまった。(表札と車のナンバーは消してあります)



これほど土地が動いたのだから、家だけがそのままで建っているということはあり得ず、おそらく公的な助成などを受けて、被害程度の低い家は修繕をしたのでしょうね。

画像ではよくわからないかも、ですが、道路の片側だけ50cmほど隆起しています。



ぬえはずっと東北地方に目を向けていましたが、東京から近い関東の太平洋沿岸でも、ここまでの被害が出ていることを、はじめて知ったのでした。

不思議なことに、銚子市の方ではあまり大きな被害は出なかった模様。たまたまですが、最近神栖市の震災の様子を記録した写真集が出版されたと「港公園」のお姉さんに聞いたので、これを求めに神栖市の本屋さんを廻りました。ところが被害があった鹿島港の周辺とか堀割地区のあたりでは、この本はどこに行っても売り切れ状態でした。困って、神栖市内でもちょっと遠方の本屋さんにまで電話して在庫を確かめると、「ああ、ありますよ」」と言ってくれた本屋さんをようやく発見。すぐに車で向かったのですが、これが遠い遠い。。

たどり着いた本屋さんは、銚子市のすぐそばにありました。そしてそこではこの本がどっさり置かれてありました。なるほど、実際に周囲で受けた被害の有無によって、こういう本。。すなわち震災そのものに関心を示す度合いも変わってくる、ということもあるのかもしれない。「風化」、ということが ふと頭をよぎった ぬえでした。



あ、この神栖の震災を記録した写真集『未来への伝言』、Tさんの分も買っておきましたよ~