東新城オレンジで出会った起業家の方々に車に便乗させて頂き、3日後にプロジェクトで訪問予定の「鹿折復幸マルシェ」さんへ。まずはポスターをもう少し増刷するために、マルシェさんの少し先の仮設のコンビニへ行きました。ここであらかじめ笛のTさんが製作して送信しておいてくれたポスターをネットプリントで出力。便利な時代になりました~
このコンビニ、例の 津波で押し流された巨大漁船「第十八共徳丸」のすぐ前にあって、もう観光地となってしまった漁船を見る人でいつも賑わっています。
この日、ポスターを出力した ぬえには目的がありました。この漁船の下に取り残された車の残骸を見ておこうと。。
「第十八共徳丸」の下に車の残骸があることを知ったのは、今年の1月にこちらのブログ記事を見てから。
→ありふれた風景
。。恥ずかしながら、この記事を見るまで ぬえはこの車の残骸が船の下に取り残されていることを知りませんでした。もう2年も通っている場所なのに、いったい ぬえ、どこを見ていたんだろう。。
この日はじめて注意して見た ぬえは、確かにそれがそこにあるのを確認しました。ドライバーがいなかったことを祈るばかりの惨状で、船があるため捜索もされていないはず。。
ちなみにこちらが過去に ぬえが撮影した「第十八共徳丸」です。
2011年7月2日
当時はほかにも多くの船が陸地に打ち上げられたままになっていました。
2011年12月27日
2012年8月14日
2013年3月9日
5月末に見た漁船は、取り壊しが決定され、船の前に置かれていた祭壇も撤去、立ち入り禁止のロープが周囲に張られていました。船体には車の上だけ焦げています。車が炎上したのでしょうか。
すでに漁船の撤去は決定されたそうですが、その是非については、ずっと賛否両論の意見が戦わされてきました。ぬえが会った気仙沼市民のみなさんの大方の意見はいわゆる「震災遺構」として保存すべき、というものでした。どちらかというと ぬえはこのような負の遺物は残さない方がよい、という考え方だったのですが、早く被災建物を撤去した名取市の閖上で「何もなくなったけれど、人も来なくなった」という感想を聞いて、複雑な思いを持っています。
また、人的被害を起こした「遺構」については特別な感情を持つ方も多いでしょう。この漁船も間違いなくそのひとつで、ぬえもこの船を「凶器」と言った方も知っています。また福島県いわきの船主さんの元には「早く撤去してくれ」という苦情がたくさん寄せられているそうです(ぬえも以前、このコンビニの駐車場で、船を撮影している人々を苦々しげに見つめながら「チッ。。そんなもの撮っても面白くもないだろうよ。。」と舌打ちした人を見かけました。関係者かも。。)。そういえば「第十八共徳丸」はすでに廃船となり、この船主さんのもとで同じ名前の新造船が造られて、すでに就航しているそうです。船主さんにとっても、痛々しい船の姿をいつまでも晒しておくのは忍びないことでもありましょう。
でもまた一方、「この船も被害者」と言った方も ぬえは知っております。そうしてこの日「鹿折復幸マルシェ」さんで、またもうひとつの意見を伺うことができました。
このコンビニ、例の 津波で押し流された巨大漁船「第十八共徳丸」のすぐ前にあって、もう観光地となってしまった漁船を見る人でいつも賑わっています。
この日、ポスターを出力した ぬえには目的がありました。この漁船の下に取り残された車の残骸を見ておこうと。。
「第十八共徳丸」の下に車の残骸があることを知ったのは、今年の1月にこちらのブログ記事を見てから。
→ありふれた風景
。。恥ずかしながら、この記事を見るまで ぬえはこの車の残骸が船の下に取り残されていることを知りませんでした。もう2年も通っている場所なのに、いったい ぬえ、どこを見ていたんだろう。。
この日はじめて注意して見た ぬえは、確かにそれがそこにあるのを確認しました。ドライバーがいなかったことを祈るばかりの惨状で、船があるため捜索もされていないはず。。
ちなみにこちらが過去に ぬえが撮影した「第十八共徳丸」です。
2011年7月2日
当時はほかにも多くの船が陸地に打ち上げられたままになっていました。
2011年12月27日
2012年8月14日
2013年3月9日
5月末に見た漁船は、取り壊しが決定され、船の前に置かれていた祭壇も撤去、立ち入り禁止のロープが周囲に張られていました。船体には車の上だけ焦げています。車が炎上したのでしょうか。
すでに漁船の撤去は決定されたそうですが、その是非については、ずっと賛否両論の意見が戦わされてきました。ぬえが会った気仙沼市民のみなさんの大方の意見はいわゆる「震災遺構」として保存すべき、というものでした。どちらかというと ぬえはこのような負の遺物は残さない方がよい、という考え方だったのですが、早く被災建物を撤去した名取市の閖上で「何もなくなったけれど、人も来なくなった」という感想を聞いて、複雑な思いを持っています。
また、人的被害を起こした「遺構」については特別な感情を持つ方も多いでしょう。この漁船も間違いなくそのひとつで、ぬえもこの船を「凶器」と言った方も知っています。また福島県いわきの船主さんの元には「早く撤去してくれ」という苦情がたくさん寄せられているそうです(ぬえも以前、このコンビニの駐車場で、船を撮影している人々を苦々しげに見つめながら「チッ。。そんなもの撮っても面白くもないだろうよ。。」と舌打ちした人を見かけました。関係者かも。。)。そういえば「第十八共徳丸」はすでに廃船となり、この船主さんのもとで同じ名前の新造船が造られて、すでに就航しているそうです。船主さんにとっても、痛々しい船の姿をいつまでも晒しておくのは忍びないことでもありましょう。
でもまた一方、「この船も被害者」と言った方も ぬえは知っております。そうしてこの日「鹿折復幸マルシェ」さんで、またもうひとつの意見を伺うことができました。