障害者の病院で働いていると、
いろんな障害を抱えた患者さんが来院されるわけで、
時に、ほんとに重い気持ちになることがあります。
以前、ここで書いたと思うんですが、
北欧系アメリカ人(30代前半)の脳性麻痺の女性患者。
全介助、食事は胃ろう、排泄はおしめ。
言葉が発せられない、喋れない、寝たきり状態の方だけど、
周囲の様子や、言ってることはほとんど理解できている、
知能は高い子です。
知能は高い子です。
3か月前に介護者2人に「口の中を触らせない、どうにかして欲しい。」
と連れて来られ、
レントゲンを撮って診た結果、
顎の中に金属板とスクリューが埋め込まれていて、
それが炎症を起こし、下顎が腫れ上がっているということがわかったんですが、
顎が溶けるように陥没しているので、
口腔癌の可能性も含め、組織検査に出し、
金属板やスクリューも外す、大仕事が始まることになっていたんですが、
何にも状況は前進することなく、
3か月経って、また私のところに連れて来られました。
よくあるんです。こういうことって。
マジで怒りますよ。
「3か月も経ってるじゃね~かよ!何やってんだよ?!」って。
ところが介護者が、
「彼女、両親がいない、身元引受人も、保護者もいないので、
手続きが大変で、時間がかかるんです。」
と。
「来年の3月にとりあえず検査の予約が取れた段階です。」
と介護者。
「彼女、まだ若いのに、ご両親いないの?」
と小声で尋ねると、
「世話ができないので、見捨てられた形です。」
と聞かされて、胸が張り裂けそうになりました。
実は、泣きました。
なんかね、
どっち側の心情にもなるんだ。
もし私が、彼女の母親だったら、
ちゃんと世話出来るだろうか?
全介助の娘に加えて、他にも子供がいたらどうだろうか?
仕事なんかできただろうか?
自分の人生を楽しむ余裕なんかあっただろうか?
全介助の娘が自分の傍にいると、辛くなったりしないだろうか?
って、
物凄く母親の心情が分かる。
やっぱり、安易に母親を責められない。
イライラが募ってキツく当たったり、
心に余裕が出来ないなら、
やっぱり専門の施設に預けたほうが娘のためだろうと思う。
それでも、親子の縁を切る必要があるか?
会いに行ってあげればいいんじゃないか?
会うと罪悪感に苛まれるのか?
反面、
もし自分がこの子だったら、
どうやってあんな笑顔でいられるんだろう?
理解出来ていないと思って、
自分の横で大好きな両親が自分を見捨てるかどうするか相談しているのを聞いて、
どう思うだろうか?
自分の母親が、介護がしんどくて、
自分のせいで精神的に滅入っていく様子を見て、
辛いんじゃないだろうか?
一度も親も兄弟も誰も会いに来てくれないって、
寂しいんじゃないだろうか。
体が痛くても、周囲が駆け回って手続きしているのを
何か月も待っていないといけないのって、どういう気持ちなんだろうか?
食べる喜びもない。
食べ物の味も分からない。
人と話す楽しみもない。
朝起きれば痛い。
何もしなくても体のどこかが痛い。
私ならきっと、「死にたい」と思うだろうな…。
でも、自殺することさえ出来ない。
結局、本当の本当に手を差し伸べて欲しい人には
何もしてあげらられない。
という不甲斐なさに、打ちのめされそうになります。
とにかく、彼女に大きなハグをしました。
「きっと大丈夫。」としか言えなかった。
彼女みたいな患者さんに会うと、
凄く考えさせられる、「人が生かされる意味」。
私みたいな人間に「生きる意味」を考えさせるという大きな役割が果たせるのは、
彼女みたいな患者さんなんだ。
と思うので、
彼女と出会えたことに感謝します。
生まれつき障害がなく、自分のしたいことが出来、
食べたいものが食べられ、
学びたいことが学べ、
行きたいところへ行ける、
そういう環境にいる人間には、
課される、または果たすべき役割があると思う。
だから、その役割は何なのかを探す人生を歩むことになるんだと思う。
私は、他人に説得されても全く心に響かないタイプなので、
こうやって、障害者の患者さんが教えてくれるんだと思う。
今日のランチ。
「来年の3月にとりあえず検査の予約が取れた段階です。」
と介護者。
「彼女、まだ若いのに、ご両親いないの?」
と小声で尋ねると、
「世話ができないので、見捨てられた形です。」
と聞かされて、胸が張り裂けそうになりました。
実は、泣きました。
なんかね、
どっち側の心情にもなるんだ。
もし私が、彼女の母親だったら、
ちゃんと世話出来るだろうか?
全介助の娘に加えて、他にも子供がいたらどうだろうか?
仕事なんかできただろうか?
自分の人生を楽しむ余裕なんかあっただろうか?
全介助の娘が自分の傍にいると、辛くなったりしないだろうか?
って、
物凄く母親の心情が分かる。
やっぱり、安易に母親を責められない。
イライラが募ってキツく当たったり、
心に余裕が出来ないなら、
やっぱり専門の施設に預けたほうが娘のためだろうと思う。
それでも、親子の縁を切る必要があるか?
会いに行ってあげればいいんじゃないか?
会うと罪悪感に苛まれるのか?
反面、
もし自分がこの子だったら、
どうやってあんな笑顔でいられるんだろう?
理解出来ていないと思って、
自分の横で大好きな両親が自分を見捨てるかどうするか相談しているのを聞いて、
どう思うだろうか?
自分の母親が、介護がしんどくて、
自分のせいで精神的に滅入っていく様子を見て、
辛いんじゃないだろうか?
一度も親も兄弟も誰も会いに来てくれないって、
寂しいんじゃないだろうか。
体が痛くても、周囲が駆け回って手続きしているのを
何か月も待っていないといけないのって、どういう気持ちなんだろうか?
食べる喜びもない。
食べ物の味も分からない。
人と話す楽しみもない。
朝起きれば痛い。
何もしなくても体のどこかが痛い。
私ならきっと、「死にたい」と思うだろうな…。
でも、自殺することさえ出来ない。
結局、本当の本当に手を差し伸べて欲しい人には
何もしてあげらられない。
という不甲斐なさに、打ちのめされそうになります。
とにかく、彼女に大きなハグをしました。
「きっと大丈夫。」としか言えなかった。
彼女みたいな患者さんに会うと、
凄く考えさせられる、「人が生かされる意味」。
私みたいな人間に「生きる意味」を考えさせるという大きな役割が果たせるのは、
彼女みたいな患者さんなんだ。
と思うので、
彼女と出会えたことに感謝します。
生まれつき障害がなく、自分のしたいことが出来、
食べたいものが食べられ、
学びたいことが学べ、
行きたいところへ行ける、
そういう環境にいる人間には、
課される、または果たすべき役割があると思う。
だから、その役割は何なのかを探す人生を歩むことになるんだと思う。
私は、他人に説得されても全く心に響かないタイプなので、
こうやって、障害者の患者さんが教えてくれるんだと思う。
今日のランチ。

ベトナム料理のポークチョップ、ミートパティ、春巻き。
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