<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

酔芙蓉の花はまだ咲かない。

2024年05月26日 08時48分06秒 | Weblog

睡蓮は睡蓮の夏の池に美しくきらびやかに咲いたのに、酔芙蓉はまだ咲かない。どうしたんだろう?

もしかしたら、<咲くのを待っている人がいる>ということを確認するのに、手間取っているのかなあ?

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楽しみ配給センター

2024年05月26日 08時35分19秒 | Weblog

楽しみ配給センターがあって、地球上のみんなに配給されている。

でも、クロネコヤマトの宅急便は不要。

それはすでに配給済みで、「そこにある」ものばかりなんだから。

命令を発して、そこにある楽しみの心臓を、<電気ショック鼓動>させるだけなんだから。

配給センターの電子盤がきらきらきらきら光って、鼓動が発動してことを知らせている。

「ああ、美しい美しい地球だ。楽しい楽しい地球だ」と地球上のすべてのいのちが大きな声で叫んでる。

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楽しいことがあっても、なくても。

2024年05月26日 08時22分54秒 | Weblog

楽しいことがあっても、なくても、一日の24時間が過ぎる。

24時間、時の水車がまわったら、新しくなる。

新しくなったら、新しい楽しみが待っていてくれているような気がする。

楽しいことがあっても、なくても、その新しい一日も24時間で終わる。

朝が来ている。畑に茄子の花が咲いて、新しい美しい紫いろになっている。

今日の日の、わたしの楽しみを、何するか。

決めたら、決めた時点で、それがわたしの楽しみになる。

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お爺さんの一日がスタートしました。

2024年05月26日 08時12分24秒 | Weblog

挽き割り納豆をご飯にまぜて、朝ご飯しました。お爺さんは梅干しと赤紫蘇が好き。これも加えておいしく食べました。味噌汁には、我が家の畑の、韮。生えそろったばかりの韮がやわらかい。最後に、小さなコップのミルクを一のみに飲み干した。

使ったお茶碗、コップ、お箸を洗っておしまい。それから新聞に目を通しました。

お爺さんの一日がスタートしました。

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風は止まっている。村里は静かだ。

2024年05月26日 07時20分33秒 | Weblog

わたしは傲慢だから、傲慢だけで終わってしまうだろうなあ。

傲慢にわたしの全人生を差し上げてきた、ってことになるんだろうなあ。

それではつまんないだろうなあ。総決算のときが近付いて来ているけれど、傲慢100%だけでは、差し引きがいかにもいかにも軽すぎるだろうなあ。

・・・と、最後の最期まで傲慢が人生勘定の計算をしているよ。

庭には黄色の透かし百合が咲いた。空にシジュガラが鳴いている。風は止まっている。村里は静かだ。

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ご主人様(=わたし)の健康ばかりをひたすら願ってきた彼らに。

2024年05月26日 07時01分07秒 | Weblog

「目さん、耳さん、口さん、鼻さん、手さん、足さん、五臓六腑さん、こころさん、魂さん、お世話になりましたね。あなたたちのご苦労のお陰で、わたしは幸福な人間をして過ごせました。人間の終止符が打たれる前に、あなたたちにお礼を言います」

って、言っておくべきだろうなあ、と、ちらりちらり思っています。生涯ずっと休み無し、慰労なし、ペイなしの激務労務に就かせてばかりだったんですから。

それでも、一言の文句も吐かなかったんですから、ね。ご主人様の健康ばかりを願って、みんな働き詰めに働いて来たんですからね。

で、そのご主人様が、「わたしは不幸な人生でした」などと言って泣いていたら、悲しいでしょうね、ありったけの力をわたしに尽くして来た彼らは。

 

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死後、10000万年の沈黙が訪れる前に。

2024年05月26日 06時36分17秒 | Weblog

「もう一度、わたしを、人間にしてください」と、そうわたしはお願いをしているでしょう、きっときっと。小さい声で何度も何度も。聞き入れてもらえるまで、何度も。

わたしがいまの人間を終わった後の10年間、100年間、1000年間の沈黙の、瞬間瞬間に。

「どんなに苦しいことがあっても、かまいません。どんなに悲しい目に遭っても、それでもかまいません」などと言って、嘆願しているでしょう、涙声になって。

「美しい地球に降りて、人間をして生きられるのであれば、どんなことだって百千万の豪華な幸福魅力に値しています」と。

死後、10000万年の沈黙が訪れる前に、生きている今に、ここでわたしはどうしているべきなんだろう? 

それを考えています。わたしはすっかり老いていますが、それでも生きています。

ここではいま5月です。酔芙蓉の、たっぷりとした静寂が緑の葉をこんもりと茂らせています。近くでシジュウガラが鳴いています。

麦が熟れて、刈り取られて、鎮守の森を囲む小川には、日が落ちると、それはそれはたくさんのたくさんの蛍が火を灯して飛び交っています。

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嬉し泣き嬉し泣き嬉し泣きをしていてもいい。

2024年05月26日 06時25分47秒 | Weblog

嬉し泣き嬉し泣き嬉し泣きをしていていいのだろうと思います、いつもいつもいつも。

ここで、わたしが人間をして生きているのですから。わたしが人間をして生きて暮らしていると、光の朝が来て昼が来て、やがてしっとりした夜が来るのですから。朝が来て昼が来て夜が来て、その間間に絶え間なく、わたしは美しい地球からの「I love you !」が聞けるのですから。

目を開けて耳を澄まして、美味しい息を吸って、わたしが幸福に生きていけるようにしてあるんですから。

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どこからか美しい小鳥の声。

2024年05月26日 06時05分59秒 | Weblog

おはようございます。今日は5月26日、日曜日です。現在午前6時を少しまわったところです。畑のトマトが青い実をたくさんつけています。赤く熟れるのを待っています。

気温は18℃。ややひんやりとします。長袖を着込みました。最高気温は31℃、と予報では。風はありません。静かな朝です。どこからか美しい小鳥の声が聞こえて来ます。

今日は家内が、佐賀市の文化会館中ホールで、終日、フラダンスの発表会です。わたしにも入場券が渡されました。10時開場です。わたしも、スマホで素人カメラマンをします。

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