不安は安心の欠片。かけら。大岩の欠片。
欠片は土塊になって、千年万年後にやがてまた大岩の巌を成す。
不安は大空を行く雲。千切れる雲の欠片。消えてはまた生まれる。
不安は安心の欠片。かけら。大岩の欠片。
欠片は土塊になって、千年万年後にやがてまた大岩の巌を成す。
不安は大空を行く雲。千切れる雲の欠片。消えてはまた生まれる。
夜に入って本降りになってきた。雨音が高い。天気予報官の予報する通りだった。耳の邪魔にはならない。邪魔になったという人はいない。不思議なことだ。問題にしていないからだろう。問題にしても勝ち目はない。勝ち目がなければすんなり受け入れるしかあるまい。
雨は降っていても静かだ。雨が降っている方が、寧ろ、静かかも知れない。そういう錯覚に沈む。これで罷り通る。これでいい。どれだけの錯覚に慰められていることか!
雨の音雨の音雨の音雨の音雨の音。音の雨。
夜に入った。障子戸の向こうは暮れて闇。音だけしか聞こえてこない。音の雨が降っている。
湯も浴びた。あつ湯をした。温もった。冷えないように冬物長袖に腕を通す。もう寝てもいい。
3
造善ではなく造悪のわたしであったのに、そのわたしを目当てにして誓願があったのだ。この条件下で仏の誓願がわたしに向かって来たのだ。「救われ得ないわたしが救われる道」があったのである。
造悪と弘誓は相性がいいのだ。とろりと融け合うのである。
造悪者は涙涙涙になる。弘誓者も涙涙涙になる。人が泣いて仏が泣くのである。
それにしても、この話、あまりにも虫のいい話ではないか。
2
せっかくこの世に生まれながら、せっかく命を永らえながら、そのいのちはただただ悪を造ることに費やすばかりだった。そういう己が此処にいる。どうしようもない己がどうしようもなくして此処に居る。悔やむ。恥じる。
悔やんでも恥じても、懺悔しても、己では己を救えないのだ。
そのわたしの元へ阿弥陀仏がやって来る。己と仏が一対一で向かい合う。
阿弥陀仏は手に弘誓(ぐぜい=仏の誓願)を携えて来た。造悪の己を船に乗せて仏果の国に渡すというのである。わたしは渡って行く。
1
一生造悪値弘誓 親鸞聖人「正信偈」より
(いっしょう ぞうあく ちぐぜい)
一生造悪して弘誓に値う
*
一生を悪を造って暮らせども、我は阿弥陀仏の弘誓に値(もうあい)ぬ。
わたしは悪を造って一生を過ごして来たのに、それでもそのわたしに、56億7千万年掛かって、阿弥陀仏の誓いが届いて来た。
わたしが救われないでは、法蔵菩薩は阿弥陀仏にはなれなかったのである。
沈黙に圧(お)されたる夜にふたりあれば梟(ふくろう)が来て冬ものがたる 薬王華蔵
*
このふたりはどういうふたりか。恋人か。友人か。老いた夫婦か。若い兄弟か。ともかくふたりには会話が途切れて、長く沈黙をしている。長い沈黙に圧し潰(つぶ)されている。或いは眠れないでいるのかも知れない。
梟が鳴くのは真夜中。梟は夜行性だから。人が寝静まった頃に鳴きだして来る。梟は人間達の沈黙を気遣ったようにして、冬物語の今年の物語を聞かせてくれる。ホーホーホーホー、山麓から谺して来る。
割れているアケビは秋の山の耳 人の跫音(あおと)を呼びつけて聞く 薬王華蔵
*
木通(あけび)は割れると耳になる。耳の形をする。幾つも耳が山の中の高い木から垂れている。耳だから、聞く。人が近づいて来る。跫音が複数する。子ども等も雑じっている。木通は里中の人たちには人気者なのだ。自分では村里に下りていけないから、人を呼びつける。そして人間のにぎやかな跫音を聞く。聞いて、秋の賑わいを楽しむ。
ミツバケビ。ムベアケビ。どちらも赤紫色をして、そのうちに割れて、中の実を小鳥たちが来て啄めるようになる。甘い。砂糖のように甘くはないが、上品に甘い。
山へ入ると耳がある。ぷらりと垂れた耳がある。そこを歩いて行けば幾つも幾つもある。わたしの動きを耳傾けて聞かれている。
*
でもこれは落選歌だった。
嫗(おみな)の背まるくまがりぬ うつくしく老いてしずかな影の坐す秋 薬王華蔵
*
嫗は、「おうな」とも「おみな」とも読む。年老いたご婦人のことだ。人は老いてうつくしくなれる。とりわけ影がうつくしくなる。影がやわらかになる。その場にマッチして動かずにいる。縁側に坐している。背中が丸く静かに曲がっている。生涯を働きづめに働いた人にこれが多い。秋が来て秋日が膝元に射している。「人のいる絵」が生まれている。嫗はうとうとして眠っているのかもしれない。
2
日本の総理は、世界第2位にのし上がった中国を訪問している。「競争から協調へ」に舵を切るらしい。テレビが伝えるところでは、中国の若者達の間では日本ブームが起きているらしい。自由を謳歌しだした中国のお嬢さん方は、美を競う心が逸って日本の化粧品を買っているらしい。