<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

雨が止んでいる今のうちに。

2024年05月27日 17時46分07秒 | Weblog

雨が止んでいる今のうちだと思って、即決して、さささっと着替えて、畑に出た。

裏のズッキーニの根株がでかくなっている。そこへ頑丈な茎が伸びて大型の葉を広げている。堂々としている。もう何個も大きな実を着けた。収穫してばかりじゃいけないと判断して、化学肥料の粒剤を追肥をすることにした。葉っぱに残らないように注意して、根元周辺にばらまいた。合計8株のズッキーニに。

とそこで、雨が降り出した。ばらばらばらっと降り込んだ。着ているシャツが濡れてしまった。気持ちが悪い。畑を去って、家の中に駆け込んだ。怠け者が仕事をしようとすると、決まってこうなる。

これから夜に掛けて又降り出すらしい。肥料が熔けて土に染み入るだろう。

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言葉がない蝸牛には。

2024年05月27日 09時28分17秒 | Weblog

言葉がない蝸牛には、この世がどう見えているのだろうか?

蝸牛角の下辺あたりに、目らしきものがある。

言葉を持つ人間は、言葉の修飾を糧にして、ものを見ている。

緑の草の葉の、「緑」は、言葉があったので、緑になっているのではないか。

紫陽花の枝を、蝸牛が這っている。雨が角を濡らしている。

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問う自分と問われる自分とが、いる。

2024年05月27日 09時12分47秒 | Weblog

雨が止んでいる。耳が聞いていた雨音が、ぴたりとしなくなった。静かな朝が来ている。風もない。茄子の葉っぱが、静止画になっている。

畑のほうれん草の、若い芽立ちが2列、夜中ずっと降りしきった雨を飲んで、青々としている。生きがいい。あざやかだ。その隣の列の、牛蒡の緑も、同様だ。

人間の僕は、では、今日をどう生きようか。問い直してみる。問い直してみたら、それで即、明快な答えが出て来るというのでもないが。問う自分と問われる自分が、これで向き合えることになる。

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酔芙蓉の花はまだ咲かない。

2024年05月26日 08時48分06秒 | Weblog

睡蓮は睡蓮の夏の池に美しくきらびやかに咲いたのに、酔芙蓉はまだ咲かない。どうしたんだろう?

もしかしたら、<咲くのを待っている人がいる>ということを確認するのに、手間取っているのかなあ?

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楽しみ配給センター

2024年05月26日 08時35分19秒 | Weblog

楽しみ配給センターがあって、地球上のみんなに配給されている。

でも、クロネコヤマトの宅急便は不要。

それはすでに配給済みで、「そこにある」ものばかりなんだから。

命令を発して、そこにある楽しみの心臓を、<電気ショック鼓動>させるだけなんだから。

配給センターの電子盤がきらきらきらきら光って、鼓動が発動してことを知らせている。

「ああ、美しい美しい地球だ。楽しい楽しい地球だ」と地球上のすべてのいのちが大きな声で叫んでる。

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楽しいことがあっても、なくても。

2024年05月26日 08時22分54秒 | Weblog

楽しいことがあっても、なくても、一日の24時間が過ぎる。

24時間、時の水車がまわったら、新しくなる。

新しくなったら、新しい楽しみが待っていてくれているような気がする。

楽しいことがあっても、なくても、その新しい一日も24時間で終わる。

朝が来ている。畑に茄子の花が咲いて、新しい美しい紫いろになっている。

今日の日の、わたしの楽しみを、何するか。

決めたら、決めた時点で、それがわたしの楽しみになる。

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お爺さんの一日がスタートしました。

2024年05月26日 08時12分24秒 | Weblog

挽き割り納豆をご飯にまぜて、朝ご飯しました。お爺さんは梅干しと赤紫蘇が好き。これも加えておいしく食べました。味噌汁には、我が家の畑の、韮。生えそろったばかりの韮がやわらかい。最後に、小さなコップのミルクを一のみに飲み干した。

使ったお茶碗、コップ、お箸を洗っておしまい。それから新聞に目を通しました。

お爺さんの一日がスタートしました。

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風は止まっている。村里は静かだ。

2024年05月26日 07時20分33秒 | Weblog

わたしは傲慢だから、傲慢だけで終わってしまうだろうなあ。

傲慢にわたしの全人生を差し上げてきた、ってことになるんだろうなあ。

それではつまんないだろうなあ。総決算のときが近付いて来ているけれど、傲慢100%だけでは、差し引きがいかにもいかにも軽すぎるだろうなあ。

・・・と、最後の最期まで傲慢が人生勘定の計算をしているよ。

庭には黄色の透かし百合が咲いた。空にシジュガラが鳴いている。風は止まっている。村里は静かだ。

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ご主人様(=わたし)の健康ばかりをひたすら願ってきた彼らに。

2024年05月26日 07時01分07秒 | Weblog

「目さん、耳さん、口さん、鼻さん、手さん、足さん、五臓六腑さん、こころさん、魂さん、お世話になりましたね。あなたたちのご苦労のお陰で、わたしは幸福な人間をして過ごせました。人間の終止符が打たれる前に、あなたたちにお礼を言います」

って、言っておくべきだろうなあ、と、ちらりちらり思っています。生涯ずっと休み無し、慰労なし、ペイなしの激務労務に就かせてばかりだったんですから。

それでも、一言の文句も吐かなかったんですから、ね。ご主人様の健康ばかりを願って、みんな働き詰めに働いて来たんですからね。

で、そのご主人様が、「わたしは不幸な人生でした」などと言って泣いていたら、悲しいでしょうね、ありったけの力をわたしに尽くして来た彼らは。

 

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死後、10000万年の沈黙が訪れる前に。

2024年05月26日 06時36分17秒 | Weblog

「もう一度、わたしを、人間にしてください」と、そうわたしはお願いをしているでしょう、きっときっと。小さい声で何度も何度も。聞き入れてもらえるまで、何度も。

わたしがいまの人間を終わった後の10年間、100年間、1000年間の沈黙の、瞬間瞬間に。

「どんなに苦しいことがあっても、かまいません。どんなに悲しい目に遭っても、それでもかまいません」などと言って、嘆願しているでしょう、涙声になって。

「美しい地球に降りて、人間をして生きられるのであれば、どんなことだって百千万の豪華な幸福魅力に値しています」と。

死後、10000万年の沈黙が訪れる前に、生きている今に、ここでわたしはどうしているべきなんだろう? 

それを考えています。わたしはすっかり老いていますが、それでも生きています。

ここではいま5月です。酔芙蓉の、たっぷりとした静寂が緑の葉をこんもりと茂らせています。近くでシジュウガラが鳴いています。

麦が熟れて、刈り取られて、鎮守の森を囲む小川には、日が落ちると、それはそれはたくさんのたくさんの蛍が火を灯して飛び交っています。

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