最近、映画「硫黄島からの手紙」や書籍の「玉砕の硫黄島から生還した一兵士の回想」、「硫黄島からの手紙」など、東京から南へ1250キロ離れた、小笠原村に属する硫黄島についてクローズアップされるようになった。
この本は今年の10月に発売されたものだが、「硫黄島からの手紙」の影響もあってか、amazonでは在庫切れ、図書館流通センター提携のオンライン書店ビーケーワンでは在庫があったので、即注文。
1500円以上なら無料で翌日配送、首都圏なら別料金で当日お届けといったサービスを受けられる。
JR東日本のsuicaが使えるエリアなら、駅コンビニでの受け取りもできるので、JRを毎日利用される方にとっては便利かも。
「写真で見る日米激戦地の地 鎮魂の摺鉢山 硫黄島」というタイトルの写真集だけど、著者が今年の8月に撮影した、戦跡の様子が見られます。
硫黄島が小笠原島庁に編入されたのは1891(明治24)年。およそ1000人が入植、漁業や硫黄の採鉱、サトウキビの栽培などで生計を立てていた。
1940(昭和15)年、町村制がしかれ、「東京府硫黄島村」を設置。(父島に現在の村役場周辺の「大村」、現在の天皇陛下がお泊りになられたVIPホテル「ホライズン」周辺の「扇村袋沢村」、母島の北部に「北村」、今の集落が形成している沖港周辺に「沖村」を同時に設けた)
1941(昭和16)年12月8日、日本軍の真珠湾(ハワイ)攻撃により太平洋戦争開始。
1944(昭和19)年、アメリカからの攻撃を予測し、硫黄島の島民を内地(本土)に強制送還。
1945(昭和20)年初め、本土攻撃を容易にするように硫黄島をB29の着陸や給油の基地にするため、5日間で奪取を計画。
計画通りに2月19日から23日の爆撃で摺鉢山に星条旗がひるがえったが、今度は日本兵の攻撃が始まり、持久戦に展開。
その持久戦があったからこそ、B29による本土爆撃の被害を少なくしていた。
日本軍約21,000人、米軍約28,000人に及ぶ死傷者を出し、最大の激戦地だった。
終戦後、硫黄島はアメリカの占領下に置かれたが、1968(昭和43)年6月26日、日本に返還と同時に「小笠原村」発足。
島民の帰島が許されず、現在は航空基地として400名程度の自衛隊が暮らしている。
島の中央部に空港があり、横田基地または入間基地からの物資輸送が行われている。
硫黄島の郵便番号を調べたところ、硫黄島の細かな地名までも表示、すべて100-2100(小笠原局)で統一。どうやって運ばれるのか、謎だらけだ。
電話番号も小笠原の市外局番は04998、硫黄島に割り当てられた市内局番は4。
こんなところでも電話がつながるなんてすごいと思ったら、NTTパラボラアンテナの静止衛星回線でやりとりをしているらしい。つまり、インターネットもできるのだろうか。
小笠原村もついに来年(07年)の夏あたりから衛星回線を使った地上波デジタル放送が始まる見込み。それと同時に光ファーバーも導入するらしい。現時点では、電話回線のアナログよりも携帯電話FOMAでネットにつないだほうが速いだとか。
本土と変わらないネット環境と地上波デジタルが見られるのなら、今すぐにでも移住したいな(笑)