ここは三宝港の新堤から見た、風景。
初めて青ヶ島に来たとき(1999年)はまだ工事中だったのですが、貨物船の黒潮丸が旧堤(大きな岩の見えるところ)に近づくと水深が3~5メートルしかなく、座礁してしまいます。
沖合に停泊している黒潮丸まで荷物を取りに行く、はしけ作業が行われていたのは青ヶ島が国内最後(2000年)だそうです。 昭和30年代の三宝港。
港とは名ばかりで実際は「船着き場」。
東京~八丈島間の定期船の青ヶ島延伸便が出るのは年に数回。
もちろん、当時は大きな岩を防波堤にして、沖合に停泊している大型旅船に向かうわけだが、ちょっとした波が出ると作業が難航し、そのまま引き返してしまうことも何度かあったそうです。
昔のはしけ作業の様子。
(「青ヶ島島史」の資料より)
今みたいに「青ヶ島に行ってきまーす」と出かけると、3~4ケ月は戻って来れずに(仕事を)クビにされるのは間違いない。
艀に成功し、物資を陸揚げすると、小屋で待機していた牛たちの出番。
牛の背中に物資を積み、集落に向かっていたそうです。
そんな牛たちを感謝する「牛祭り」が毎年8月10日に行われるようになりました。
ここで青ヶ島ブログのオーナー、青ヶ島MANさんと巡り会えました。
ブログのコメントでいつもコミュニケーションをしているのに、会わずに帰ってしまうのは心残りになってしまうので、noriさんの協力を得て人探し。
人口200名の小さな村なので、探そうと思えば、必ず出会えるのですねぇ・・・。
やはり私の予想していたとおり、いかにもパソコンに詳しそうな顔つきでした。