1個下の記事にカナちゃんから興味深いコメントが寄せられました。
だいぶ前に、TVで、南鳥島気象観測所の特集が放映されました。
それを見た小学生が手紙を書いて、宛先に
「日本で一番東の島の気象観測所のみなさんへ」って書いたそうなんです。
後日…TV局が取材したところ…
最初は北海道の郵便局に送られ…最終的は南鳥島に届いたそうなんですよ~(笑)
郵便番号一覧では 小笠原村父島100-2101、母島100-2211 その他 100-2100と載っています。
しかし、日本郵便の約款「交通困難地・速達取扱地域外一覧表」によれば、硫黄島と南鳥島は交通困難地の指定を受けており、それらの住所を記載しても郵便物は届かないのです。
コメントから推測すると、「日本で一番東の島の気象観測所のみなさんへ」なので、北海道の根室かと思って引き受け。
根室郵便局で仕分けをする途中、日本最東端は南鳥島だと気付いてしまったかも・・・。
根室から気象庁に引き渡した時点で郵便局としての任務は完了、今度は南鳥島行きの物資輸送機でお届けになっただろうか・・・と思います。
100-2100 東京都小笠原村南鳥島 気象観測所御中 と書いて出しても、引受の支店が交通困難地として差出人に差し戻すか、気付かず「おがさわら丸」に積んで父島に行ってしまっても、「父島から南鳥島への交通手段がありません」と、戻って来るかも知れません。
小学生からの手紙を大切にちゃんと届いたのは素晴らしい。
南鳥島観測所も郵便物を心待ちにしていたかも知れませんね。
「100-2100 小笠原村硫黄島」と書いても届きません。
硫黄島を管轄する自衛基地の住所と宛名を書けば、自衛基地までは日本郵便、自衛基地から硫黄島までは自衛隊が輸送機で配達のようです。 2006年12月8日放映された、フジテレビの「戦場の郵便配達」。
家族からの手紙を木更津航空隊に託し、命をかけて硫黄島の飛行場に到着。
今の時代だと空港コード「IWO(硫黄島)」を設定し、レーダーでの自動操縦で着けるのですが、戦時中はどの島を通過したかを目視で確認し、その都度、円盤を見ながら角度を変えるように操縦していたみたいです。
テレビでは青ヶ島、須美寿島、鳥島・・・の地名も出ていました。 逓信省から派遣された現地の軍事郵便隊員が郵袋を受け取り、郵便所で仕分け。
郵便隊員も戦争が激しくなると戦闘隊として参戦しなければなりませんでした。
内地からの手紙やはがきはほとんど「木更津航空隊気付 ○○様」と書かれてあり、赴任先は家族でさえも知らないそうです。 自分の居場所を特定するような表現や戦場の様子の内容は墨で消されてしまいます。
兵士から出す手紙はすべて検閲し、問題がなければ消印の代わりに「検閲済」のスタンプと検閲官の印鑑。
軍事郵便については、下記のサイトで詳しく書かれています。
・ある兵士の手紙から
インターネットや携帯電話の普及により郵便で手紙を受け取ったり、出したりすることは減ってしまいました。
戦時中は今の時代以上手紙をとても楽しみにいたので、郵便隊員も1通1通大切に命がけで戦場と内地に残っている家族のところまで配達していたそうです。