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三峰口駅のSLイベント・回転台

2010-06-03 00:37:55 | 日記・エッセイ・コラム

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  三峰口に到着したC58 363号機はバックしながら、回転台に入ります。



201006030002  回転台で方向転換し、熊谷方面に。
 いったんバックし、熊谷方面の客車に付け替えます。
 蒸気機関車王国だった、昔は終着駅に着くたびに回転台で方向変換など、とても大変な作業だったに違いない。


201006030003 クハニ29号車両履歴書によれば、大正11年(1922)製造、昭和28(1953)年に改造、昭和63(1988)年引退と書かれていました。
 (車両年齢は88年)
 


201006030004 大正11年製造のはずなのに、なぜか昭和28年の銘版。
 国内で最も古く、最後まで現役で頑張っていたのは、山口県の小野田線・本山支線のクモハ42(昭和8年・1933年製造)。
 鶴見線のクモハ12(昭和4年・1929年製造)も平成8(1996)年まで67年間活躍。

 山口県のクモハ42は昭和8(1933)年から平成15(2003)年までの70年間。
 部品の確保が難しく、現役を退いたわけだが、今も部品さえ生産していれば、まだまだ乗れていたのであろう。

201006030005_2 88歳の老兵だが・・・・今にでも動けそうな気がします。
 「ボロ呼ばわりにされてもいいから、かつて花形電車として活躍していた路線を疾走してみたい」と訴えているかよう。



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 動輪を動かすエネルギーが燃えカスになり、吐き出たものです。

201006030008  帰りの電車は旧国鉄101系。
 銘版によれば、昭和38(1963)年製造。
 計算してみると、47年も頑張っています。
 首都圏の国電で活躍したものを秩父鉄道が買い取り、大切に使われています。

201006030007  国電時代なら当たり前の光景。
 民営化に伴い、言葉が広く使われていた「国電」から「E(イー)電」に変わりましたが、定着せず「死語」になってしまいました。
 E電の案内表示は平成元年頃まではそれ以降はぷっつり消えました。
 「JR線」、またはその路線名の名称を冠する呼び方(例:中央線、総武線)に変わり、現在に至っています。

201006030009 
 今の新しい電車だと運行情報を盛り込んだカラー液晶のモニターだらけなのに、こちらは極めてシンプル。



201006030010 国鉄がなくなってしまったのは1987(昭和62)年。
 23年前なのに、JNRマーク健在。
 国鉄のオレンジカードを数十枚、未使用のまま引き出しのなかで眠らせたまま。もちろん国鉄からJRに引き継ぎ、現在も自動券売機等で使えますが、JRの収入はゼロになってしまうかな。JRさんにはすまないけど。

 蒸気機関車回転台の様子をビデオにおさまりました。

コメント
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