三峰口に到着したC58 363号機はバックしながら、回転台に入ります。 回転台で方向転換し、熊谷方面に。
いったんバックし、熊谷方面の客車に付け替えます。
蒸気機関車王国だった、昔は終着駅に着くたびに回転台で方向変換など、とても大変な作業だったに違いない。 クハニ29号車両履歴書によれば、大正11年(1922)製造、昭和28(1953)年に改造、昭和63(1988)年引退と書かれていました。
(車両年齢は88年)
大正11年製造のはずなのに、なぜか昭和28年の銘版。
国内で最も古く、最後まで現役で頑張っていたのは、山口県の小野田線・本山支線のクモハ42(昭和8年・1933年製造)。
鶴見線のクモハ12(昭和4年・1929年製造)も平成8(1996)年まで67年間活躍。
山口県のクモハ42は昭和8(1933)年から平成15(2003)年までの70年間。
部品の確保が難しく、現役を退いたわけだが、今も部品さえ生産していれば、まだまだ乗れていたのであろう。
88歳の老兵だが・・・・今にでも動けそうな気がします。
「ボロ呼ばわりにされてもいいから、かつて花形電車として活躍していた路線を疾走してみたい」と訴えているかよう。
動輪を動かすエネルギーが燃えカスになり、吐き出たものです。
帰りの電車は旧国鉄101系。
銘版によれば、昭和38(1963)年製造。
計算してみると、47年も頑張っています。
首都圏の国電で活躍したものを秩父鉄道が買い取り、大切に使われています。 国電時代なら当たり前の光景。
民営化に伴い、言葉が広く使われていた「国電」から「E(イー)電」に変わりましたが、定着せず「死語」になってしまいました。
E電の案内表示は平成元年頃まではそれ以降はぷっつり消えました。
「JR線」、またはその路線名の名称を冠する呼び方(例:中央線、総武線)に変わり、現在に至っています。
今の新しい電車だと運行情報を盛り込んだカラー液晶のモニターだらけなのに、こちらは極めてシンプル。 国鉄がなくなってしまったのは1987(昭和62)年。
23年前なのに、JNRマーク健在。
国鉄のオレンジカードを数十枚、未使用のまま引き出しのなかで眠らせたまま。もちろん国鉄からJRに引き継ぎ、現在も自動券売機等で使えますが、JRの収入はゼロになってしまうかな。JRさんにはすまないけど。
蒸気機関車回転台の様子をビデオにおさまりました。