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昭和32(1957)年8月2日の青ヶ島

2010-11-11 01:13:08 | 青ヶ島

 今の時代だと天気がよければ、羽田空港からおよそ2時間半で日本一の秘境、青ヶ島。 
 (全区間船旅だとおよそ15時間ですが・・・)
 今年の夏は青ヶ島までどのくらい離れているか実感したくて、ずっと船旅。
 帰りは空路、日本一の秘境からあっという間に戻ってしまいました。

 時代は遡り、昭和32(1957)年の青ヶ島。
 昭和25(1950年)、東京から4ヶ月かけて青ヶ島に上陸した若き教師、高津勉先生。
 それまで厳しい自然環境、しかも船が年に4、5回しかないので、青ヶ島小中学校に赴任して次に来る船(といっても、数か月後)で逃げてばかりだというのに、高津勉先生は己を捨て、子供たちのために10年かけて少しずつ教育改革を施した。
 改革のひとつとして、島から出たことのない子供たちのために内地の文明を社会見学させる小中学校初の修学旅行を赴任7年目に実施。
 もちろん、東海汽船の臨時便を要請し、青ヶ島から東京へ直行。

201011110001 8月2日に出発してから4日目の5日、千代田区の九段中学校に訪問。
 青ヶ島では蛇口をひねっただけで水が出る水道や水洗トイレ、電気もまだなかった頃なので、非常に驚いたそうです。
 東京の文明に憧れ、中学校を出たら是非東京で働きたいと書かれています。
 そりゃ・・・私も何もない漁村で暮らしていた頃は東京に憧れ、いざ暮らしてみると挫折。
 田舎暮らしに逆戻りし、今はなぜか青ヶ島に憧れています。ちょっと変ですけど・・・。

201011110002  青ヶ島小中学校の歴史は古く、明治時代に創立してから80年経つのに、1度も修学旅行は実施していない。
 「東京というところを1度でもいいから見てみたい」という子供たちの憧れに応えるべく、高津勉先生が自ら引率する修学旅行を実施。
 初めてなので、準備も念入りだったそうです。

201011110003  念願かなった、青ヶ島の24人。
 青ヶ島からの修学旅行は非常に珍しく、新聞各社がそのことを取り上げられていました。
 銀座のショーウィンドウや路面電車に初対面、島にないものばかりなので、キモをつぶしたそうです。

 あれから半世紀・・・交通の不便さは除き、生活水準の格差はなくなりました。
 今の小学生は日光と東京、中学生は広島、奈良、京都、最後に東京。

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