今日はカウンターの出番なし、ずっと事務室での仕事でした。
カウンターなら広い空間に2階の部分も吹き抜けなので、エアコンが入ってもちょうどよい暑さ。
狭い事務室だとエアコンがキンキン効いていて、ドアを開けると冷蔵庫なのか?と間違われるくらい。
しかも自分の席だとエアコンの冷風がじかに当たって寒いし、頭もズキズキ、肩こりもひどくなってしまいました。
古い機種なのか、まんべんなく部屋に行き渡らないみたい・・・。
エアコンから出てくる冷風が大っ嫌いというわけではないけど、電車の「弱冷房車」みたいに外気の温度差を2度程度下げただけでも涼しく感じられるのに・・・。
ここでぶつぶつ・・・と文句を言っても仕方がないのですが、エアコンの当たりすぎはやはり夏風邪の原因になるので、くれぐれもご注意を・・・。 庭にあった、お盆の風物詩「ほおずき」。
セミもたくさんいました。
生きているセミが2匹、仰向けになったものが1匹。
私が小さいときにセミを見ただけで「巨大なハエだ!」と不気味がっていました。
でも、セミは5年間を暗い地中で暮らし、地上で生きられるのはほんの1~2週間だそうです。
セミさんよ、思いっきり夏を謳歌してね・・・。
今日は青ヶ島の市街地をご紹介しよう。
国語辞典で「市街地」の意味を調べたところ、「人家や商店が密集した、にぎやかな土地」になっていました。
村役場作成のリーフレットでは、「市街地」の表示になっています。
まあ、定義とのずれが大きいですけど、それでよしとするか。
写真には写っていませんが、あちこちの道端にお墓が点在しています。
ヘリポートにもあったし、村役場前のメインストリートにもありました。
内地(本土)だと、夜、お墓のある場所に行くのに結構勇気がいりますが、青ヶ島はなぜか怖くありませんでした。
島民たち、しかも訪ねてきた観光客と一体化しているかような空間。
(青ヶ島で亡くなられると、そのまま土葬される習慣が残っています。
小笠原村は今年5月から父島南部の州崎に火葬場落成。
それまでは「おがさわら丸」の普段使われていない部屋を霊安室にしてご遺体を運んでいたそうです) ヘリポートから見た市街地。
8月になれば、クリアーになるのですが、7月下旬だとご覧のとおり晴れていても霧で霞んでいますね・・・。
ヘリポートの先にあった、金比羅神社。
天明5年(1785年)の大噴火で荒廃した青ヶ島(噴火直後およそ50年間は無人島)に還り、人が住めるように復興させた、佐々木次郎太夫が守護神として祀られています。
青ヶ島に還って住めるようになったという意味をこめて、八丈~青ヶ島の船に「還住(かんじゅう)丸」と名づけたそうです。
台風などの自然現象を鎮めようと神頼みにしていた時代に建てられた神社が島内に4ケ所。
小さな島に4つも神社があるのは多すぎたと思いますが、青ヶ島では昔から神々の島だと呼ばれていたみたいです。 ヘリポートから徒歩10分程度で神子ノ浦にたどり着けます。
この先も遊歩道らしきものがあったのですが、サンダルでは歩けずに断念。
この道は1785年噴火の避難道であったそうです。
あの場所で泳いでみたいのですが、この高さからにすると降りるのも苦労するし、這い上がるのも大変。
まさしくサバイバルになってしまいますね。 ヘリポートから村役場への道です。
丘の上にある、真新しい建物は青ヶ島小中学校。 島内唯一の自動扉がついている、十一屋商店。
中に入るとエアコンがキンキン効いていて寒い~!!
正式名称は「じゅういちや」だけど、島民のあいだでは「といちや」。
野菜、果物、豆腐、牛乳、ひんぎゃの塩、菓子、飲料類、酒、青ヶ島オリジナルTシャツ、アイランドタイムズDVD、書籍、生活用品・・・何でも揃えているお店。
noriさんが突然驚いた顔で「おばさんが、君のことを覚えているって」と通訳。
「ええええええーっ!前回来たのは5年前なんですよ!5年前でもしっかり覚えてくれたの!?」
青ヶ島に訪ねてくる、奇抜なろう者はあまり来ないからしっかり覚えてくれたのかな?
おばさんに尾山展望台への行きかたを教えてもらい、そこへ徒歩で出発!
しばらく更新をさぼってしまいました。
世間ではお盆休暇中、私のブログもしばらくお休みをいただきました~(笑)
No.7の続き。
昨夜(7月28日)は美味しい居酒屋さん風のお料理にジョッキ、焼酎を飲みすぎてしまったのか、部屋に戻るなり爆睡してしまいました。
気が付いたら、朝。 朝ごはん。
島アジの開きがついていました。
高級食材の明太子も・・・。
明太子といえば、博多(福岡)が名物のはず、なんで青ヶ島にあるだろうか?(@_@)
朝食後、noriさんと今日はどうするかと簡単な打ち合わせをしたところ、「午前中は集落散策、午後からは港で泳ごう」ということになった。 郵便局の前を歩いたところ、電気もついていて、どうやら営業中のようだ。
無集配郵便局(街角の小さな郵便局)になってしまったので、日曜日は閉まっているかと思ったのにラッキー。 青ヶ島のポストは郵便局前と村役場前の2ケ所。
ポストに投函すると、「新東京」の消印が押されてしまいますが、窓口で出せば従来の「青ヶ島」の消印。
8時までに出せばヘリコプター、11時までなら船で運ばれるそうです。
「ポストに投函すると、「新東京」のスタンプが押されるのですが、実際はここで押されるのですか?」と局員さんに尋ねると、「はい、そうです。新東京になりますが、窓口ですと青ヶ島になります」 さっそく、はがきに風景印の依頼。
横で見ていたnoriさんも「友人に出したいので、宿に戻って住所録を取りに行く」。
私も昔は住所録を持ち歩き、旅先からハガキを出していたが、今はほとんどケータイでのメールになってしまい、あまり出さなくなったような・・・。
檜原郵便局で風景印を依頼したときはピンセットで日付の差し替えをしていたが、ここでは朝からすでに当日の日付をセッティングされていました。
私みたいな青ヶ島マニアに備えてか、準備がいいですねぇ・・・。
初めて押印を依頼したのは1999(平成11)年。
見比べてみると、押印頻度が多かったのか、印影が少し磨り減ったみたい。 ついでに普通日付印も。
「青ヶ島」の3文字だけかなと思ったら、都道府県名入り。
大きな郵便局だと市(区)名だけ、市内の小さな郵便局は市名を冠するが、町や村は都道府県名が入るみたいです。
毎年8月10日は青ヶ島の「牛祭り」。
今年で31回目になります。
「牛祭り」の由来は・・・むかし、むかし、自家用車が普及していない時代の運搬手段はもっぱら牛でした。
昔から青ヶ島の生活を支えてくれた「牛」に感謝するお祭りなのです。
青ヶ島のブログによれば、今年はお天気がよく、前夜祭では花火が打ち上げたみたいです。 今日は昨日の続きを書こうと思っています。
まず、ふれあいサウナから集落までの動画ビデオをご覧になってください。
すべて録画してあるのですが、似たような景色で見ていると眠くなりそうなので、ハイライト部分だけ収録。
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(1分34秒)
到着すると、庭でビアガーデンが始まっていました。
ここの宿では季節限定のビアガーデン、パン焼き、テイクアウトのお弁当、毎週日曜日はオープンスペースを利用してのカフェなど、島にないものを次々と開発するのがお得意のようです。
今度は館内に無線LANを設置、持ち込みのパソコンはもちろん、Windows Vistaでのインターネットコーナーが欲しいな~。
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青ヶ島の物価は高いはず、東京の居酒屋よりは安いです。
1泊3食だが、金曜日・土曜日に開かれるビアガーデンは別途支払うことになるのかなと気にしながら少しずつオーダー。 東京と同じメニューになっていて、青ヶ島らしいものはなかった。
「青ヶ島特産のものをください」とオーダーしたところ、刺身が運ばれてきました。
大好物の生春巻。
プリプリのエビが入っています。
ちくわの磯部天とおまかせ焼き鳥。
カレー春巻。
他2品はスペースの都合上割愛させていただきます。
7時半ラストオーダー、夜8時でお開き。
会計しようと伝票をレジに持っていくと「食事は宿泊料金に含まれています。ただし、飲み物だけはチェックアウトのときに清算させていただきます」
あ、あの~、それを先に言ってくれれば・・・(笑)
5本の春巻きだとしたら、残り1個は半分ずつといったように、ちびちびと味わったのですよ。
しいていえば、納豆オムレツ、ぱりぱりビアッソーも食べてみたかった~(^O^)/
今日(8月8日)、次の11日(日)発のおがさわら丸の乗客は1000人近くの満員らしいです。
父島はダイビング、シュノーケル、ドルフィンウォッチなどのガイド屋さんがたくさんあって、ゴールデンウィーク、夏休み、お盆、年末年始だと観光客でごった返します。
この時期の父島は新宿の歌舞伎町(大袈裟?)に似たような賑わいを見せますが、南へ50キロ離れた母島はとても静か。
「小笠原に行くならいつも母島へ直行」・・・というのが私の行動パターンなので、「八丈島より青ヶ島」に似ているでしょうか。
今日の「あおがしま日記」はふれあいサウナの話をしようと思っています。 ここは三宝港から徒歩20~30分(実際はレンタカーで数分だけど・・・)の360度見渡す限り、緑のカーテンで覆われたかような「ふれあいサウナ」周辺。
緑のカーテンの向こうはもちろん、大海原。 映画「アイランドタイムズ」に出ていた、ロケ地。
「緑のカーテンに覆われた場所に丸いテーブルと丸椅子って、どこにあるんだっけ?」と村役場に問い合わせたところ、ふれあいサウナの近くの小さな丘の頂上にありますと教えてくれました。
ここに何度か通ったのに、見落とすなんて・・・(笑) このあたりだと地面が熱く、水蒸気も吹き出ている場所なので、草木はほとんど生えてきません。
この土地に適した植物はこの「竜舌蘭(りゅうぜつらん)」。
映画の場面にも出ていましたが、先の尖った部分をもぎ取り、文字や絵を描くと日が経つにしたがって、傷をつけた部分が乾燥し、浮かび上がるそうです。
あの映画では主人公が「夕希」と書いたはず、その跡が見られるのかなと探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。 営業時間は平日14:00から20:00
土・日・祝日 13:00から20:00
(毎月末の火曜日と毎週水曜日は休館日)
大人 200円 子ども 100円
1人の管理人さんがおられますが、受付では無人カウンターになっていました。
入館者名簿に氏名を記入、小銭受けにお金を置くだけで入館できます。
おつりがある場合はどうぞご自分でお取りくださいとのこと。
完全に来館者を信頼しきっていますね。
前回来たときは、氏名のほかに住所の欄もついていて、最も遠いところから来た人がいるのかなとノートをめぐるだけでも楽しかったのに、今は個人情報保護法の施行により 島民・島外の区分しかなくなりました。 「ふれあいサウナ」というネーミングから温泉ではないと今まで思い込んでいたのですが・・・
「分析の結果、本噴気の大部分は水蒸気である。
従って、温泉法第二条の温泉に適合する」と書かれていました。
「ふれあいサウナ」の頭に「あおがしま温泉」を冠すべきでは・・・??
小笠原村に温泉が湧き出ている場所と言えば、硫黄島の千鳥ヶ浜天然温泉。
硫黄島への上陸は自衛隊員とか特殊な人間でないと上陸できないので、ここが東京都最南端の温泉になります。
湯船は2人しか入れない大きさ、青ヶ島らしくこじんまりしています。
立派な鍵付きのロッカーも備え付けていましたが、わざわざ閉める必要はなさそうです。
人口200名の島なので、それだけ信頼関係を築いてきたということでしょう。
今日のビデオ動画はサウナ周辺の「緑のカーテン」をお楽しみください。
あっという間に暦の上では立秋・・・。
太陽の昇る位置もかすかに変わったり、日の入りも夏至に比べると多少早くなってしまったような気がします。
梅雨が明けたのは8月1日、あっという間に夏が終わってしまうのはむなしくなってしまいますねぇ・・・。
皆さん、思いっきり夏を楽しんできましたか?
いや、まだまだこれからなんでしょう。(笑)
私の夏といえば、ほんの3日間の青ヶ島だけなんです。
もっと青ヶ島のことを知りたく・・・(青ヶ島マニアの領域を超えてしまいそうですが・・・)
わが図書館のレファレンスを通して、国立国会図書館に所蔵してある本を貸出申請をしてしまいました。
これなら自宅でゆっくり読める・・・と思いきや・・・
「相互貸出(県内図書館相互貸出、または他県から取り寄せた本)のように自宅に持ち帰って読むことはできないのです。館内でしか読めないので、閲覧席で読むようにしてくださいね」とのことでした。
「ええええーっ!そうなんですかぁ・・・。昨日国会図書館に行ったときも自動改札機を通す前にかばんをロッカーに預け、携行品は透明の袋に入れるようにと指示があったし、帰るときも貸出をした本をすべて返却したという記録がなければ改札機の扉が閉まるとか、「超」が付くほどの徹底さでしたよ」
「そうですねぇ・・・。国会図書館の本は後世に残すべきなので、大切に扱わなければならないのですね」 今回申請した本は・・・「青ヶ島の生活と文化」
青ヶ島村教育委員会発刊 1984年 1053ページ。
青ヶ島村立図書館にもあったし、泊まった宿にもありました。
辞書のように分厚い本なので、全部読みきれずに本土で読めるところは・・・と模索したところ、やはり国会図書館にありました。
自宅に持ち込めないのは残念だけど、たっぷり調べるつもりです。
現代の青ヶ島は悪天候時を除き、365日ヘリコプターが発着しているし、還住丸も原則として毎週日曜日を除き、毎日就航。(海が荒れているときは欠航のときもありますが・・・)
飛行機、ヘリ、船をうまく使えば日帰りで青ヶ島に行けるのですが、昭和30~40年代だと、青ヶ島延伸便の黒潮丸が月に数回か来ても、波や風が出ると艀(はしけ)が出せずに、島民の見ている前で引き返す苦悶は計り知れないのです。
はしけに成功するのは年に数回程度なので、年賀状が4月、新年度の教科書が7月に届くのが当たり前になっていたらしいです。
手紙を朝8時までにポストに投函すれば、その日のうちにヘリコプターで運ばれるので、宛先が首都圏なら翌日にはもうお届け。
(11時までなら還住丸に積むので、翌々日)
50年前だと、まず、郵便物を島民に配布、その場で開封。
次に来るのは3~4ケ月後なので、その場で返事をしたため、今来た船に手紙を積めるようにしていたとのこと。
天気がよければ、2泊3日の旅程など自分の予定通りにスケジュールが組められるのですが、50年前だといったん上陸してしまえば、3~4ケ月は島に幽閉されるはめになるのですね・・・。
各市(区)町村立図書館だとスペース確保のため、読まれなくなった古い本をリサイクルに回したりしていますが、国立国会図書館では国内で発刊された古い書籍すべてを所蔵しています。
もちろん、青ヶ島に関する資料もたくさん所蔵されていますので、今日は行ってみました。
興味のあった本は・・・
・「青ヶ島島史」 1980年 出版地 青ヶ島村 出版者 青ヶ島村役場
・「くろしおの子 青ヶ島の生活と記録」 1955年 著者 高津勉
・「黒潮のはてに子らありて」 1961年 著者 高津勉
・「青ガ島教室」 1955年 著者 高津勉
国会図書館は敷居の高そうなイメージがしますが、18歳以上ならどなたでも閲覧できます。
玄関に何台か設置されている「利用者カード発行機」で名前、電話番号を入力するとICチップのカードが出てきます。
カバンを持ったまま自動改札機を通そうとすると、すかさず警備員に呼び止められ、カバンは無料のコインロッカーに預けるようにとのこと。
さらにノートや筆記道具、財布は中身がわかるように透明な袋に入れて携行するようにとのこと。
でも、ここには市町村立図書館みたいに自由に手に取ってみる一般開架コーナーがありません。
インターネットカフェなのか?と間違えられるほど無数のパソコンが・・・。
案内係に書き写したリストを見せながらどうすればよいのかと聞いてみると、「あそこにあるパソコンでタイトルを入力し、申し込んでください。20分ほどで貸出カウンターに本が届きます。
カウンターの手前にカードのID番号で本の到着を知らせるモニターがありますので、表示されたら、IDカードとともに貸出カウンターにお越しください」とのこと。
なるほど・・・こういう手間のかかる閲覧システムだけど、厳しい管理のもので大切に保管されていることがわかります。
巨体な図書館なので、リクエストされた本を職員またはロボット(?)が探し、自動運搬装置に乗せ、貸出カウンターまでお届けなのかどうかは私にはわかりませんが・・・。
自由に手にとってみる本もなく、20分待つのは結構長く感じますね。
1度に申し込めるのは3冊までなので、残り1冊は読み終えた1冊を返却後、パソコンから申し込めるそうだ。
著者の高津勉先生は昭和25(1950)年、青ヶ島小中学校に赴任。
10月に出発し、青ヶ島にたどり着いたのは12月。
当時を描く青ヶ島は想像を絶するほどすさまじい。
今のように港がなく、岩礁で成り立っている船着き場から艀(はしけ)で「エイサ、エイサ」という掛け声とともに、波で艀が旅船のデッキに上がったところを見計らい、乗客を降ろすやり方。
高津先生も青ヶ島に赴任した日の夜は内地の人には通じない島言葉にカルチャーショック、「こんな外国のような島に来るんじゃなかった、次の船で帰ろう」とランプの下で泣き明かしたそうです。
すぐに帰ろうと思っていたのに、図書館の設置、赴任5年目で読み書きの成果でもある文集「くろしお」の創刊、校歌制定、7年目で島内史上初の修学旅行実施など学校教育の充実に尽くされた方なのです。
青ヶ島に赴任した教師たちは次の船(といっても3~4ケ月後)で内地に帰ってしまうのがほとんどなのに、高津先生は青ヶ島における教育を変えようと結局10年間は教鞭をとった。
高津先生はこの間の「思いっきりテレビ」で出演、80歳になられましたが、お元気でやっておられます。
大変興味のある文献でした。
昭和30年頃の青ヶ島・三宝港。(高津勉先生の本)
港とは名ばかり、実は船着き場だそうです。
石ころは今でも水中を覗けば残っているみたいです。私の憶測ですが・・・。 当時は艀作業の組合があったらしいです。
艀は波が出ると作業ができないので、物資を乗せた大型客船が目前にやってきても、そのまま引き返すことが何度かあったそうです。 2007年の三宝港。
今でも船着き場だった頃の岩が見えますね・・・。
※国立国会図書館は館外持ち出し不可ですが、市(区)町村立図書館のレファレンスカウンターを通しての貸出は可能です。その際にかかる、往復の送料は無料です。
原則として、都道府県内での相互貸出ですが、今回の青ヶ島みたいに国会図書館しかない本はこのサービスを受けられます。
※複写サービスはやはり、IDカードでパソコンからの申し込みでした。
申込票がプリンタから出てきて、複写したいページを記入。
しおりをはさんでおき、複写サービスカウンターに持っていきます。
到着案内モニターに自分のIDカード番号が表示されたら、受取りと支払い。
1枚25円でした。
初めての人だと迷いやすいところですが、職員たちは親切に案内してくれます。
<おまけ> 秘境の写真ばかりなので、 都会的なものを載せました。
東京に行くのに便利なアクアライン高速バスの発着している品川駅東口の夕景。
8月5日。梅雨が明け、全国的に本格的な猛暑日になりました。
日中でもカラっと乾いた、田舎特有のよそ風が吹いてくるので、それほど暑いなとは思えないのです。
エアコンも気温高めの設定をしてありますし、二酸化酸素排出減少に努めようと思っています。
連日のように青ヶ島の話ばかり書き綴っていますが、もう飽きちゃったのかな・・・?
私は「青ヶ島大使」(?)という大役を担っているので、全国の皆さんに青ヶ島の魅力をもっと宣伝したいと思っています。
「今日もまた青ヶ島の話」なんて思わずに最後までお読みいただけたら幸いです。
船が空を飛ぶ風景が見られるのは、青ヶ島だけかと思われますので、たまたま撮れた動画とともにご紹介しよう。 青ヶ島ならごく当たり前の光景になっていますが、内地の人が見たらびっくりするかも知れません。
大海原(おおうなばら)に突き出ただけの港なので、入り江が全くありません。
漁船を港に停泊させたままにすると、波が出てきたときに船が港のコンクリートに打ちつけ、壊れてしまう心配もあります。
原則として港では道路交通法でいう駐停車禁止ならぬ駐停泊禁止。
放送があったらしく、noriさんが「今から空飛ぶ船が見られるぞ」と教えてくれた。
船を出すときは駐船場からリモコンのコントローラーで操作し、クレーンで吊るされた船がゆっくり移動。
駐船場から港までおよそ10分かかりましたが、出漁のたびに20~30分もかかるなんて大変なんですねぇ・・・。
青ヶ島旅行記はこれで4枚目になってしまいますが、ヘリコプターで午前中のうちに降りてしまったため、午後遊べる時間がたーっぷりあったわけです。
太陽が少し傾いてしまったので、「今度はあれに行こう」とある場所に指差した。
ある場所とは・・・空を見上げると、ちょっとだけ突き出ている空中ベンチ。 あの場所に行くには、青宝トンネル入口左側の道。
トンネル手前の駐車スペースに車を停めるだろうかと予測していましたが、noriさんは躊躇なく、そのまま突入。
しかも7人乗りのバスのような大型乗用車なんですよ。
うわっ!そのままあの場所に這い上がるつもり!?できるかな・・・「よし、進めー!ジクザクだー!」と指で「Let's Go!」のサインを出しながら大はじゃきの私。
横で運転していたnoriさんが「こ、こ、こえーっ!かえりたーい」とつぶやき。
<ご覧になっている皆さんへ・・・あの場所は通行止め、車を回転させるスペースはありません。無理にして車で突っ込まないようにお願いします。ジクザク急勾配でのバックは大変な労力を強いられます> noriさんいわく「軽トラックなら曲がりきれるけど、この車だと曲がりきれんわい。バックして戻り、歩いて登ろう」
でも、ここでも前がつかえていて、なかなか前に進めずに爆発寸前だった新宿駅前の道と同じく、東京都が作り上げた都道236号線なんですよ。
同じ都道といっても、大きなギャップが・・・。 ここの地形は非常に珍しく、外輪(外側の火口縁)なので、トンネルが貫通する前まではその急勾配を這い上がり、集落まで行っていたみたいです。
もっと奥に進めば、村役場周辺の集落に通じますが、崖崩れのため通行止め。
むしろ、そのほうが近道だけど、青宝トンネルを経てプリンのような形をした丸山、そして平成流し板トンネルのルートが大動脈になっています。 急勾配から見える、海。
なんだか、心が洗われる風景ですな・・・。
青年団が島に若者を呼び戻そうと作り上げた、島内最高のデートスポット。
この空中ベンチでキスしたカップルは60%の確率で結ばれるそうです。
青ヶ島移住に憧れている若い男女がここで出会えてしまえば、永遠に住めそうですね。 太陽の光が宝石のように輝いている、三宝港の全景。
今の時刻は3時半頃だが、夕方7時前に行けば、太陽が海に沈むときの美しい夕焼けが見られるらしい。
では、また動画をアップしました。
<script src="http://slide.alpslab.jp/scrollmap.js" type="text/javascript"></script>
地図では、微小な修正が行われていないみたいですが、左折し、青宝トンネルの上を通る形になっています。空中ベンチのおおまかな位置です。
今日は疲れ気味、動画編集は見送り。
図書館って暇そうだなとまわりの人によく言われるのですが、今日はカウンターに立ったり、弁償・寄贈本の装備や登録・・・などで結構忙しいのです。
勤務中にふと青ヶ島を偲んでしまうのですが・・・(笑) 一見、焼きそばに見えるのですが、実は新メニューの「ビリ辛あおがしまパスタ」なのです。
ハン尚宮(母)の工夫で「青ヶ島産 マツミおばさんちの秘法島だれ」を麺にからませているので、茶色になっています。
コロッケにも合いましたし、スパゲティにも合うなんて、驚きです。
この暑い夏、唐辛子のビリ辛さは食欲が進みます。
「五」の付くパスタ専門店(全国チェーン店展開中)はいろんな種類のパスタがあり、選ぶのに一苦労してしまいます。
メニューを開いたとたん、上空から撮った青ヶ島全景に「期間限定!ビリ辛あおがしまパスタ 秘法島だれでからませた唐辛子風味の絶品!」といったものがあれば、注文も殺到し、この島だれの生産に追いつかなくなるかもしれないのですね。
これで青ヶ島の振興につながっていれば・・・と思っています(笑)
先日このブログで実施しました、「青ヶ島といえば・・・・」の投票箱を開けてみると、「一生に一度は行ってみたい」と思う方が半数を占めていました。
「絶対に行ってみたい!」という気持ちを興させるように画像や動画を用い、青ヶ島の魅力をたくさんご紹介したいと思います。
テレビは東京と同じくNHKと民放全局映りますが、もう1つのチャンネルは24時間流し続ける、三宝港のライブ。
三宝港から集落までおよそ4キロ離れているため、三宝港の様子は空きチャンネルを回せばリアルタイムで見られます。
テレビを見たところ、よく晴れていて海水浴日和。しかも凪いでいました。
レンタカーといっても、7人乗りの大きなクルマ。
noriさんのマイカーはバスのような大型乗用車なので、運転はお任せし、私はビデオ撮影。 今回は丸山に霧がかかっていて、いい色が出せなかったので、5年前のよく晴れた日の丸山を載せました。
見比べてみてくださいね。
私はここから見える景色が大好きです。
まるでお椀にプリンが乗っているような二重カルデラ地形、世界的には珍しくなっています。
丸山は1785年の噴火で出来た山なのですが、プリンのような形をしているのは人の手で植えられた椿です。
水中撮影の技術がまだまだ未熟なので、こんなふうになってしまいました。
レンズに指がかかっていたり、泳いでいるウツボ(ヘビのように細長い魚)とかを撮ったつもりでも映像には入っていませんね・・・。
陸地ならカメラの構図に入っているかどうか確認できますが、水中だと見えにくくなってしまいます。(T_T) 三宝港の全景。
断崖絶壁なので、港に通じる道が崖崩れで通行止めにならないように崖から切り離す青翔(せいしょう)橋が新しく取り付けられました。
水中撮影。
水深3~5メートルだったと思いますが、底がはっきり見えるほどの透明でした。
今年に入って初泳ぎは青ヶ島。
2年前も小笠原。
千葉でも海水浴場がたくさんありますが、どうも・・・。きれいな海でないと泳げない体質になってしまいました。
写真ではわかりづらいですが、岸に立ったときの水中です。
私の憶測ですが、港が完成する前までの石ころ海岸だった頃の面影が見えます。
奇しくも今日の「思いっきりテレビ」は昭和30年代の青ヶ島中学生24人が修学旅行で東京へというテーマで放映されました。
大型旅客船からボートに乗り移す艀(はしけ)作業だったのですが、石ころの海岸でした。
もしかしたら、昔の光景が海の中に沈めているかも知れません。 昨日の夕食は・・・・
山口の伯母から送られてきた、サザエのつぼ焼きとサザエ炊き込みごはん、夏野菜のグラタンでした。
サザエのつぼ焼きは磯の香りがして、私の故郷を思い出せるような一品でした。
そういえば・・・青ヶ島の海ではサザエやあわびを見かけませんでした。
サザエやあわびはエサになる海草や藻に棲みつくのですが、青ヶ島は海があまりにもきれいなのか、寄せつかないみたいです。
ビデオの中にあったとおり、海底まで透明になっていて、石もツルツルになっていましたね。
自宅を出たのは朝6時過ぎ、9時45分にはもう青ヶ島に到着。
飛行機とヘリコプターに乗り継げば、3時間ちょっとで行けちゃうのです。
ちょうど、自宅から首都高速を経て檜原村数馬あたりまでの要所時間とほぼ同じ。
でも、檜原村へは「そうだ、行こう!」と思えばいつでも簡単に行けるのですが、青ヶ島へは1日に1便しかなく、天気のよい日でないとなかなか行けないのです。
欠航などで足止めを食らったことなく、予定通りに青ヶ島に降りれたのは運がよかったなあと思っています。 今回の民宿は今年5月に増築したばかりの新築でした。
予約のときに特に何も言わなければ、この新館に案内されます。
(女将さんにブログに載せることを承諾いただきました。
人口200名の小さな村ですので、個人を特定できないように気をつけなければならないので・・・) 本館は伝統的な文化住宅を民宿にしたものです。
この建物・・・どこかで見たことがあるな・・・と思ったら、なんと!!
映画「アイランドタイムズ」に出ていた、主人公の家だったのです。
興奮気味の私が女将さんに「となりの家はアイランドタイムズに出ていた主人公の家だったのですか?」と聞くと、驚かれていました。
(よほど青ヶ島マニアだなと思われたかも知れませんね・・・(笑)) 女将さんに屋内を案内してもらいました。
noriさんの通訳を通して「この木材はすべて青ヶ島で伐採されたものが使われています」とのこと。
なるほど・・・港のなかった昔は建材を内地から輸送する方法もなかったため、家は現地の建材で組み立てたらしいですね。 昼ごはん。
島では食堂がないため、昼、夕、朝食付きの3食なので、さっそく昼ごはんをいただきました。
ごはんが進むほど、美味しいです。
部屋です。 地上波デジタル放送対応の液晶テレビになっていました。
薄型で壁掛け式なので、部屋のスペースを取らないのはいい工夫になっていますね。
2011年に完全にアナログ放送が廃止されるので、その頃になっていれば映像もくっきり、字幕も付くようになるかも知れませんね。
青ヶ島で携帯ワンセグが見られるのはいつ頃になるだろうか・・・。
初めて青ヶ島に来た頃に比べると、「青ヶ島産」の商品が増えてきたような気がします。
青ヶ島を代表するお土産といえば、焼酎の「あおちゅう」と黒潮本流の天然海水だけを原料に造られる「ひんぎゃの塩」。
「ひんぎゃ」は青ヶ島の方言で火口の噴気孔という意味で、その地熱を利用し、ゆっくり時間をかけて塩の結晶を作り上げるそうです。
そのため、他の天然塩よりもミネラルやカルシウムが多く含まれています。
青ヶ島のロングセラー商品になっていますが、最近になって見かけたものは右の「伊豆諸島青ヶ島産 マツミおばちゃんち 秘法 島だれ」という商品です。
ふれあいサウナのショーケースに飾られてあった(これはたぶん非売品?)のを見かけたのですが、「秘法」ってどんな味なんだろう?とずっと気にしていました。
すると・・・八丈空港の売店で売られているのを見つけ、買ってしまいました。
蓋を開けてみると、コチュジャン(韓国の唐辛子で作られた味噌)のような香り、空港で見かけた商品説明では「どんなお料理にも合います」とのこと。
これは青ヶ島ごはんではなく・・・自家製の夏野菜をふんだんに使われた千葉ごはん(ハン尚宮(母)の作ったもの)
あの香りだと韓国風の焼肉にかけるものではないかと半信半疑で手前のかぼちゃチーズコロッケにかけてみると・・・
今まで味わったことのない、美味しい幻の味でした!!
まさしくラベルに貼られてあるとおり、「秘法」の島だれだったのです。
まるで韓国ドラマ・チャングムの母が水刺間(スラッカン=王の食事を調理する場所)のどこかで隠した秘法レシピで作られたかようですよ。
マツミおばさん、いつまでもお元気でいらっしゃいますように・・・。
かくいう、このおばさんは初回、2回目の青ヶ島でお世話になったことがあるのです。