雨に似合う花、あじさいのきれいな季節になりました。
数日前から雨が降ったり、曇りの日が多くなったので、もうそろそろ梅雨入り宣言かな?と気象庁のホームページで確認しても、今のところ発表はまだのようです。(6月6日 0:00現在) 普通とはちょっと変わっている、ガクアジサイ。
青ヶ島で咲くアジサイの9割以上はこの品種だそうです。
(青ヶ島に暮らす+++1/200シンプルライフの情報より)
周りの花びらだけ咲くので、額縁のように見えるので、「額紫陽花」と名付けているそうです。
今まで全然知らなかったのに、青ヶ島のブログから知識を吸収中。(笑)
児童向けの本ですが、表紙に惹かれてしまいました。
タイトルは
「ローカル線を救った 町の物語 猫のたま駅長」
西松 宏 作 ISBN 978-4-89295-638-6
ハート出版 定価1,200円+税
この本の舞台は和歌山電鐡貴志川線の終着駅、「貴志駅」。
利用者減少による経営難の理由により、南海電鉄が廃線を検討しようとしたのは2003(平成15)年11月頃。
貴志川線の廃止を知った、沿線の住民たちがなんとか存続して欲しいと請願運動を続けた結果、2006年4月1日から和歌山電鐡に引き継ぎ。
貴志駅売店の店主さんが開業記念式典を終えた直後の社長さんに「猫たちを駅舎の中で住まわせてもらえないか」と相談。
見知らぬ社長になでられても逃げずに「私、駅長します!」と言いたげな様子だったという。
「招き猫」になって欲しいと願いをこめながら、駅長任命し、制帽も和歌山電鐡とまったく同じデザインを特注。
駅長の仕事はただ客を招いたり、愛嬌を振る舞うだけでよい、と思っていたのに、マスコミに報道されたことにより、たま駅長に会いに来る観光客が増えた。
その経済効果がすさまじく、2008年1月から課長相当職の「スーパー駅長」に昇進。
四六時中、観光客や利用客になでられてばかりでしたが、当年4月に出札窓口跡を個室の駅長室に改修。
駅長だけではなく2匹の助役も仲良くそこで仕事をしている、といったような小学1、2年生でも読めるような内容になっていました。
たま駅長勤務時間
夏季 9:00-17:00
冬季 10:00-16:00
定休日は 日曜日。
廃線も危ぶまれていた貴志川線も「たま駅長」のおかげで「日本一心豊かなローカル線」に転身。
千葉県の小湊鐡道も高滝駅にねこ駅長をはじめ、助役がいっぱい棲みついているので、こちらも脚光を浴びたいなと思っています。
ハン尚宮(母)の新しい、沖縄料理。
何もレシピを見ずにゴーヤーを使ったサラダを開発。
スパムは戦後、アメリカ軍の保存・常備食として持ち込まれ、もはや今の沖縄では一般家庭料理に欠かせなくなったもの。
ピリ辛ドレッシングで和えたみたいだけど、これだけでも野菜をたっぷり摂取できます。
うちなー(沖縄)からいきなり北海道。
北海道から取り寄せた、新鮮なアスパラカスに豚肉を巻いたもの。
共通点はありたきりの場所ではなく、「最果て」。
青ヶ島も伊豆諸島最南端、母島も東京都の一般人の行ける、最南端。どちらもお気に入り。
韓国に行くと、おのずと北へ、北へ・・・で国境目前まで行ってしまう、私はちょっと変わり者かも?? 伯母から送られてきた、日本海側で獲れたアジの塩焼き。
今まで沖縄、小笠原の塩も試してみたけど、最高に美味しいと思えるのは青ヶ島の「ひんぎゃの塩」。
黒潮のミネラルたっぷり、地熱で十分乾かした塩なので、味も変わるほど美味しくなります。
故郷の山口で長い間お世話になった方が東京観光を兼ね、ここへ遊びにいらっしゃいました。
写真は庭先で咲いていた、ドクタミ。
故郷ではこの葉を乾かして、よくお茶にしていましたが、ここではあまり飲まなくなりました。健康によいみたいですが・・・。(笑) ハン尚宮(母)が5年ぶりの再会を楽しみにしながら「今日は沖縄、韓国、山口の献立にしよう」と張りきっていました。
こちらは沖縄のゴーヤチャンプルーの材料。
(ブロッコリーは別ですが・・・) ハン尚宮(母)の故郷、韓国。
チャプチェ(??)の材料。
日本製の「春雨」でも代用できるが、こちらは本場の韓国から。
ゴーヤチャンプルー、チャプチェ、山口の伯母から送られてきた刺身、青ヶ島の島だれ、山口産のグリーンピースごはん、タコ酢もの(これも山口産)。
はるばる遠いところの山口県からのお客さんだというのに、山口の新鮮な刺身とはちょっと複雑だったかも。
そういえば、親が山口で暮らしていた頃はお客さんが来たときは日本海で取れた刺身を出していました。
1000キロ離れていても、まさか、同じようなことができるのは思わなかったのでびっくり。
山口の伯母に感謝です。 富士フィルムの「会えルンです」を使って、故郷の方々と同時ライブ。
パソコンのWebカメラでチャットしても、手話の動きが滑らかではなかったり、レスポンスが多少遅かったりして、うまく相手に伝わらなかったりすることもあったのですが、「会えルンです」という機材は、ブロードバンド回線に接続、映像モニターをテレビにすると、目の前で会話しているかような錯覚になります。
最近の映像技術はすさまじく進歩したことになります。
5年ぶりなのか、積もる話で盛り上がっていました。
今年の3月頃だったと思います。
「中国人のろう者が演ずる千手観音は是非見に行ったほうがよい。親はずっと田舎暮らしで都心に出たことがないので、連れてくれたまえ」と目玉が飛び出すほどの高額なチケットを国王さまが手配して下さったので、これは見に行かないわけではない!とマイカーで東京へ。
田舎から都心を素通りし、目的地が檜原村や奥多摩ならマイカーが便利だが、今回は東京。
親は都心でも車でなきゃ駄目だそうなので、マイカー。
ろう者だけではなく、盲人と一緒になって演ずるものなので、会場のお客様はほとんど聞こえる方でした。
ろう者は両手をあげ、ヒラヒラさせながら視覚的な拍手するのに対し、今回はほとんど聴者なので、パチパチ・・・になっていました。
「千手観音」は21名のろう者が構成。
舞台の見えない場所に指揮者、聞こえなくても音楽に合わせながら手を使った幻想的な芸術を演じていました。
動画を撮ることはできなかったのですが、ネットで探すとYouTubeで公開されていました。
音が出ますので、ご注意ください。およそ6分間です。
もはや、生活の一部になってしまった「青ヶ島BLOG」。
お友達の家に行っても、稚内や沖縄、島旅に出かけても携帯電話でしょちゅうチェックしていたサイトなので、突然の「おもうわよう」にど肝を抜かれ、大変ショックを受けました。
※「おもわよう」は青ヶ島の方言で「さようなら、向こうに行って青ヶ島を思い出してよ」を意味するそうです。
締めくくりの画像は「おもわよう」の横断幕を持った島民たちのお見送りでした。
最終回にふさわしい、画像ですね。 毎朝パソコンの電源を入れると、青ヶ島の天気状況や還住丸やヘリが就航するかどうか、島民でもないのにチェックしていました。
最終回の1個前は、普段と同じように朝のお天気状況なので、まさか、その日が離島日だったとは全然思わなかったのですよ。
ブログオーナーの青ヶ島MANさんは青ヶ島で10年過ごされ、観光案内サイトや、2006年1月から始めた「青ヶ島BLOG」を年中無休で1日3回も発信し続けてくださいました。
このブログのいざない(誘い)で青ヶ島に興味を持つようになった方々や観光に訪ねた方々も少なくはないかなと思います。
本当にお疲れ様でした。どこかのつながりでまた会えるのを信じつつ・・・。
新天地でのご活躍をお祈りします。
最近、新しい青ヶ島のブログを見つけたので、ご紹介したいと思います。 このサイトは主に植物を中心に取り扱われている、「青ヶ島図鑑」。
さっき、アクセスしてみたところ、また青ヶ島にTVの取材が来たそうですね。
2006年フジテレビの「アイランドタイムズ」映画ロケ、
2007年7月のNHK「ふるさと自慢」、2008年8月のテレビ東京の秘境に暮らす・・・なんとかの番組、今年はテレビ東京の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」だそうです。青ヶ島図鑑さん情報提供ありがとうございます。
「所さんの学校では教えてくれない」は毎週金曜日夜9時から放送なので、録画するためにチェックしなくちゃ・・・。
これもたぶん、青ヶ島BLOGの功績もあって、テレビ局も青ヶ島に注目し始めたかも知れませんね。