ネットショップから「ゆうパックで発送しました。問い合わせ番号は・・・・」と連絡が入り、追跡状況を確認すると、7時55分に最寄りの支店に到着、持ち出し中と表示。
そろそろ配達に来るかも~?と思いきや、ファックスの着信ランプが光った。
まさか?在宅を確認する電話では?でも、最寄りの支店はゆうパックの差出に何度か利用しているので、私のことはよく知っているはず。
なかなか配達に来ないのにおかしいと思い、追跡状況を見ると「ご不在のため、持ち戻り中」。
あれ?配達に来てましたっけ?とポストの中を確認すると、不在票は入っていなかった。
さっきの電話で不在と決めつけるのはあまりにもいい加減すぎる。
そもそも、宅配業者は在宅を確認する電話はご法度。
最寄りの支店に「朝から在宅していましたのに、配達に来た形跡もなく、追跡状況を見るとご不在のため持ち戻り中になっています。在宅を確認する電話がかかってきたみたいですが、電話に出ることができません。速やかに配達をお願いします」とファックスで連絡を入れた。
ところが・・・いつまでも経っても「ご不在のため持ち戻り中」。
「何回もファックスをしなくてもよいように返事を乞う!!」と3度目のファックスでようやく返事が来た。
赤帽のクルマがこの近くに見えたときは、郵便の赤い車じゃないから私のところではないだろうと思っていたら、しきりに謝りながらゆうパックを届けてくれました。
「ゆうパックは日本郵便が最後まで責任を持って配達して欲しい。在宅を確認する電話は適切ではない」と最寄りの支店に話してありますが、最近は配達を民間に委託するなんて思わなかった。
今までトラブルのない宅配業者はクロネコヤマト。不在票が入っていても、再配達の連絡もスムーズ。ファックスを入れただけでも、私の代わりにドライバーに連絡が入るのですぐに届けてくれたことも。
青ヶ島滞在中、テレビ局のスタッフが大勢来ていました。
八丈島から同じ船に来て、同じ船で帰る予定でしたが・・・・、スタッフ全員ヘリコプターの臨時チャーター便を乗っ取るのは、公平さに欠くという村役場の判断だったのか、数人のスタッフを青ヶ島に取り残されたまま私は八丈島へ。
ヘリコプターは9人乗り、スタッフは3人、私たちと同じ観光客の仲間(2組4人)、島民2人だったような気がします。
せっかくテレビ局のスタッフと仲良くなり、放送日までこっそり教えてくれたのに、ごめんなさいね・・・。
あのときは本当に複雑な気持ちでした。
9月19日(日曜日)の21:00~21:30の30分間、「青ヶ島へ行こう!」が放映されます。
放送範囲は、伊豆諸島全島、小笠原も含む東京都内、東京タワーからの電波が届く首都圏(千葉県、神奈川県、埼玉県の一部)。
チャンネルは 9チャンネル。
(チャンネル設定で受信地域を「東京都」に合わせると、9チャンネルは「TOKYO MXテレビ」が割り当てられます))
・TOKYOBOY 9月19日放送内容の紹介
青ヶ島に興味のある方々、牛祭りの様子を是非ご覧になってください。
ここは残念ながら、東京タワーの地上デジタルが届くエリア内ギリギリのため、地上デジタルは映らず。皮肉にもアナログは受信感度がよいのか、ここでも見られるのですが、画質はちょっと粗い・・・。
観光バスの「京の早回りコース」と同じく、今度は金閣寺で~す。
コースにない、銀閣寺まで欲張ろうと思っていましたが、夕方5時で閉場。
実は父母も修学旅行でここに訪ねたことがあるそうだ。
ここでも多くの修学旅行の学生たちが行き交っていました。
父母にとって、学生たちを見かけるたびに昔を思い出したに違いない。 ここでも清水寺と同じく世界遺産に選ばれており、入場受付で日本語・韓国語・中国語・英語で書かれたリーフレットをいただきました。
ハン尚宮(母)いわく、「私が学生の時に見たときは、そんなに黄金色に輝いていなかった。これは数年前の修復工事で金箔の張り替えが行われたでしょう」とのことでした。
調べてみると・・・歴史は足利将軍によって統治されていた室町時代に遡ります。
金閣寺が建てられたのは、1397年。その以降、日本人同士のいくさが行われ、焼失したり、再建したり・・・。
1950(昭和25年)7月2日未明、放火により焼失。
1955(昭和30年)10月10日に復元竣工。
1994(平成6年)に世界遺産認定。
2005(平成17年)に金箔張り替え工事完了。
この建物は室町時代からあったわけではなく、昭和30年に当時とまったく同じ姿の復原工事が行われ、現在に至っています。
金閣寺の「金」と日本庭園が見どころになっているので、外国人観光客にとっては大変人気なスポットになっています。
ちょっと動画を編集してみました。
今日、友人から複写サービスを頼まれました。
毎日新聞社「ともに歩く」のシリーズでした。
新聞を確認してみて、シリーズならもしかするとインターネットでも同じ内容が見られるかも?と思い、調べてみると掲載記事と同じ内容が公開されていました。
聞こえる人が圧倒的に多い「聴者社会」で、聞こえない人はどんな思いを紡いでいるのか。聞こえない世界を知りたいと思った。今年春、「目の探訪記」で見えない世界をルポした僕は、この夏、手話で暮らす人々を訪ね歩いた。
(シリーズ冒頭の部分を転載)
・ともに歩く:手話の探訪記
シリーズを全部読んでみると、まったく知らない面もあり、目からうろこでした。
複写サービスを利用しなくても、ネットでも同じ内容が載っていると掲載URLを教えました。
私も口の形を読み取って、何と言っているか想像してしまいますが、やはり限界を感じます。
たとえば、「住宅地図、ありますか?」の口の形は「すうがく(数学)・・・ありますか?」に見えてしまうし、「鹿児島のガイドブック」は「あおがしま」。でも・・・、青ヶ島に行くようには見えない。
そんなときはメモと書くものを差し出して、書いてもらうようにしていますが、字を書くのが苦手だと感じたら隣か、空いているところに案内しています。
このシリーズで聞こえない世界を少しでも理解していただけたら・・・と思います。
明治天皇が東京に移す前までは京都が長らく日本の都であり、歴史も古い。
青ヶ島も300年くらい前の歴史が今も語り続けられています。
ここは尾山展望台から続く道を辿り着くと、東台所神社。
「ひがしだいところ」と読んでしまいそうですが、「とうだいしょ」が正しい読みです。
観光ガイドブックによれば、
「縁結びの神社。1757(宝暦7)年、悲恋の末、島民7人を斧でたたき殺した新神 浅之助の霊を祀っている」とのことです。
赤い本堂の向かいに写真のような小さな小屋がありました。
ドアを開けて、中で祀っているものに一礼しようと思いましたが、あいにく施錠中でした。
青ヶ島にとっては神聖な場所。
窓越しから中をのぞいてみると、囲炉裏があって神を祀った神棚。
巫女たちの儀式なにかで何かを燃やした形跡がありました。
でも、長年も使われていないような雰囲気が漂います。
青ヶ島郵便局の風景印のデザインになっている「オオタニワタリ」。
沖縄では新芽を食用にしているみたいですが、ここ青ヶ島では食べる習慣がないようです。
今週の新刊案内全点に載っていた本の中で目星を付けた本。
表紙写真は八丈小島の美しい夕暮れ。
<データー>
伊豆諸島に属する、九つの有人島の過去と現在。大島・利島・新島・式根島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島・青ヶ島の歴史・民俗・自然・人物・名所旧跡・産業・文化財などを紹介。
著者:樋口 秀司
1945年生。伊豆大島出身。早稲田大学文学部卒。大島高校で歴史を担当し、長年高校野球の監督を務める。八丈町、青ヶ島村、大島町の元中学校校長歴任。
出版社:東京堂出版 2010年9月8日発刊
ページ数:349
値段:¥2940円(税込)
ISBN:978-4490107883
さっそく、「図書館にあってもよい本です!」と購入希望サイン。
図書館は特定のジャンルに偏らず、バランスよく選定し、買わなければなりません。
伊豆大島から青ヶ島まで伊豆諸島全地域のあらゆる情報だけで分厚い349ページ。
ページ数からみると、2940円は妥当な価格だと言える。
千葉県から伊豆諸島へ旅する人が多く、図書館での利用見込みありと購入決定されていれば嬉しい。
のどから手が出るほど欲しいですけど、現物を手にとり、自分にとっては必要な情報なのか吟味してみたいところです。
青ヶ島のことはもう充分知っているつもりでも、この本書でもっと「知」を追求したいな~。
連日の炎暑がうそみたいに気温が下がりました。
それでも職場ではエアコンが入るので、ちょっと寒いな~と思える1日。
京都旅行をこの涼しくなる週末にすればよかったのに、先週は30度を超える猛暑でした。
京都に着いたら、観光バスの「京の早回り」(コースは清水寺と金閣寺)を利用しようと思っていましたが、○時○分までに集合すること!とか、バスガイドさんのアナウンスも全然聞こえません。
観光バスよりもレンタカーで自由自在に回るというのが私のポリシーなので、予約しておいたレンタカーで出発!!
カーナビの「きよみずてら」を設定すると、京都駅からわずか3.6キロ。遠いかと思ったら、近いじゃん!?
ハン尚宮(母)はゴージャスセレブのようにどこに行くのもドアからドアまでクルマなので、今回も清水寺真正面まで横付けしたいところですが、私は庶民。
少し離れた民間駐車場にクルマを停め、少し上り坂の参拝道を500メートルくらい。
夏休みも終わっているので、人も少なく京の趣を味わえながらの参拝道になるだろうと思っていたのに、修学旅行の学生でものすごくごった返していました。
青ヶ島が大好きな私にとっては、こういう人混みをかき分けながら歩くのはすごく苦手・・・。
やっと清水寺に着きました~!!
世界遺産に選ばれ、創始はおよそ1200年前の778年。
本堂は徳川家光の寄進により1633年に再建されたもので、釘1本も使われていないようです。 建立は1633年なので、なんと377年前の国宝です。
やはり修学旅行の定番コースのようで、たくさんの児童・生徒たちが行き交っていました。
どこから来たのかな~?と名札をつい見てしまいますが、地域の地名で始まる学校名なので、都道府県名はなかなか特定できず。
学校の教育方針により、子供たちにとっては面白くないこのような場所になってしまったわけですが、清水寺の歴史を知ると奥深いものです。 音羽の滝。
ご利益は写真の左から健康・学業・縁結びだと言われているようです。
今日は長蛇の列なので、その水を飲むことはできませんでした。
流れる滝の水を全部飲んでしまえば、3つのご利益がありそう・・・!?
9月だというのに、紅葉はまだまだ青い。
秋の訪れはずっと先になりそうです。
昨日までは秋とは思えぬほどの熱帯夜、今日(14日)からはようやく秋らしくなりました。
牛祭りの翌日はまるごと青ヶ島秘境探検。 今日みたいなお天気なら、お勧めルートは・・・・
標高400メートルに位置する、集落から徒歩15分くらいでたどり着ける「尾山展望台」。
ここからは360度大海原が見渡せます。
テレビ番組の「田舎に泊まろうでタレントが「360度海が見渡せる田舎に行きたい」とリクエストがあれば、間違いなくここに連れ出されるはずなので、そうして欲しいと数年前のブログに書いた記憶はあります。 タレントがそういうリクエストが出なかったかわりに、私の願望を実現にこぎつけてくれたのは、「ポチたま」のだいすけくん。
全国の電話帳から「東京都八丈・青ヶ島版」を引き、ページを開いたところは偶然にも青ヶ島(たったの2ページしかない)だというのは、天文的な確率ですよ・・・。
最終回の美を飾ったのは、だいすけくんの青ヶ島を満喫するシーン。
ここから見える景色は世界一です!!
3年前に来たときはあいにく真っ白な雲に覆われ、その景色を見ることができませんでした。
1785年の噴火(天明の噴火)により、外輪山の中央に出来てしまった、内輪山を丸山と言います。別名「オフジサマ」。
ここは標高400メートルですが、丸山は223メートル。新旧の火口跡があり、プリンのようにツバキが植林されています。 青ヶ島の都道236号線はまるでアップダウンの激しいジェットコースター。
上から見渡せると、その地形に納得しました。
崖っぷちの山腹に道路が敷かれてあります。
三宝港から集落まで行くのに、西側の都道上手のほうが近道ですが、10年くらい前に道路がまるごと崩落。
現在も難工事さながら復旧中ですが、全線開通はいつごろになるか未定。
三宝港の状態が悪いときの補完港としての南東部に大千代港もあるのですが、これも崖崩れにより寸断。せっかく桟橋ができているのに、使用不可の状態です。
青ヶ島の厳しい自然環境をご理解いただけたと思います。
京都の話ばかり続いていたため、今度は東京の青ヶ島に切り替えます。
「東京」の地名由来は、1869(明治元)年に明治天皇の即位に伴い、京都から東京に移ったことにより、「東の京」だそうです。
もし、明治天皇が東京に移らなかったら、京都が日本の首都になっていたかも知れませんね。
青ヶ島はイメージ的に京都ではないですけど、東京都に属していますので、「東の京」に含まれるのは確かですな~。 「船は今日も欠航で~す。その代わり、臨時のヘリコプターが3便(臨時早朝便、定期便、夕方の営業終了後の臨時便)飛んでくれるので、ヘリポートの受付窓口でキャンセル待ちを申し込んでください。乗れる可能性もありますから・・・」とアジサイ荘の女将さん。
朝ごはんを食べて、すぐにヘリポートへキャンセル待ち。
「えっと、定期便のキャンセル待ちを承りましたが、今回は船も欠航していますので、乗れる可能性はありません」
キャンセル待ちが出ましたよ~の電話が来なかったので、キャンセル待ち1番でもただの紙切れに・・・。
「夕方の臨時便が飛んでくる可能性があるので、9時45分の定時便が出た後、またここにいらしてください。キャンセル待ちの受付を行います」と村役場職員。
スラスラ・・・と筆談の字を書くことに慣れているのに驚き。
空港のある大島と八丈島は東邦航空の職員、ヘリポートの利島、三宅島、御蔵島、青ヶ島は村役場職員が対応することになっています。 八丈島がくっきり見えるほどのよいお天気なのに、船が欠航とは信じられませんな~。
昔の「あおがしま丸」みたいに、港に波がかぶってでも寄港するのは助け舟のヘリコプターのない時代なので、無理にしても寄港できたわけだ。
9時45分の定期便を見送り、キャンセル待ちの申し込み。
「夕方の臨時便は飛ばない代わりに、明日の早朝臨時便になります。1番と2番(私と友人分)は確保できました」
「えーっ!?この方はどうなったのですか」
アジサイ荘で仲良くなったお二人さんも私と同じ日程で出島する予定なので、はぐれてしまわないか心配していました。
「はい、お二人さんももちろん確保しております」
はあ、よかったです。まるでバクチまたは合格発表で「合格」を知らされたような気分。
本来なら、13:30発で八丈島に戻り、そこの予約しておいた民宿にする予定でした。
夕方の臨時便も飛んでくれたら、予定通り、八丈島の民宿に泊まれるわけですが、明日の朝になってしまったので、「大変申し訳ございませんが、青ヶ島からの船も欠航し、夕方の臨時便が明日の朝に変更してしまったので、キャンセルさせていただきます」と携帯からメール。
青ヶ島をまる1日楽しめることになったので、レンタカーを使わずに観光プランを考えてみた。(続く)
2006年、沖縄。2007年も沖縄、2008年は最北端稚内、2009年もまた沖縄のパターン。
いずれ、日頃の買い物等で貯めていたANAマイレージマイルの恩恵もあり、沖縄や稚内でも家族全員分の無料航空券をゲット。(100円の買い物でもクレジット決済し、1マイルをゲットするなどのセコさも出ていますが・・・)
今のマイル数を見ると、家族全員分のマイル数は達していないし、父母のリクエストは京都だということもあり、今回は珍しく航空機利用ではなく、鉄道を利用しての旅行です。
JR東日本のえきねっと会員なので、出発当日駅でネット予約しておいた新幹線指定席券を発券。
総武横須賀線快速ホームから新幹線ホームまでたどり着くのに時間がかかるので、ゆとりをもって出発したのに、快速電車が30分遅れで東京駅到着。
E217系(1994年、平成6年登場)の車内案内表示は「次は○○」のみの単純なもの。
今の真新しい電車(E233系)はバリアフリー対応、外国人でも情報が伝わるように英語での遅れの案内が付く液晶モニター付きだが、E217系は古い。遅れが出ると、表示が出なくなり、真っ黒の状態。
諦めモードで東京駅地下ホームに滑り込んできたのは、5分後に新幹線が出てしまう時間。
乗り換えに5分は到底無理な話。
指定席券は、乗り遅れても次の指定席券に変更するのは不可。無効扱いになり、払い戻しも不可。
乗り遅れてしまった場合は、救済措置としてその日の自由席になってしまいます。
(券面に指定された出発時刻までに変更したいと思えば、無料で1回限り可。出発時間に間に合わなかった場合は払い戻し不可の無効、その日の自由席になってしまいます)
今回は乗り換え時間30分を考慮したのに、30分遅れてしまったのはJR東日本の責。
みどりの窓口も同一社線のJR東日本・東京駅窓口に交渉すると融通が利き、自由席ではなく指定席券(指ノミ券)に発行替え。
変更後の新幹線はわずか10分後に発車してしまう。急げ~!父母も駆け足でダッシュ。
変更後も新型N700系にしたいというこだわりもあったかも・・・。
JR東日本・東京駅のみどりの窓口職員の配慮なのか、駆け足ダッシュでもすぐ車両に乗れるように階段からドアに直結できるような11号車に指定してくれたおかげで間に合いました。 昼は車内販売の駅弁。
東海道新幹線沿線の名産がたっぷり詰まっている、幕の内弁当。
初めて「ひかり」に乗って東京に行ったのは小学生で当時は0系。
ありたきりの幕の内弁当だったのに、今回は豪勢な弁当になっていました。
N700系も0系に比べものにならないほどハイグレード。
お弁当も追随するかように、ハイグレード。 堪能しているうちに名古屋。
ここから京都までの途中駅は岐阜県の岐阜羽島、滋賀県の米原。
それらの駅は通過し、わずか40分後に着いてしまう。
東京からわずか2時間20分で京都。
京都も蒸し暑いだろうと思いきや、気温は30度超えていても空気はカラッと乾いている。その影響なのか、蒸し暑さもなく涼しい。
N700系のトイレもすごい。
とても広くて快適なところ・・・・。
盗んだ自転車で東京―下関1000キロ
山口県警は12日夕、東京都内で自転車を盗んだとして、住所不定、無職村松二矢容疑者(25)を占有離脱物横領容疑で逮捕した。本州の西の端の山口県下関市までの約千キロを自転車で来たという。
長府署の調べでは、村松容疑者は8月28日午後10時ごろ、東京都豊島区の路上にあった自転車を盗んだ疑いがある。12日昼ごろ、下関市の大型商業施設で飲み物を盗んだとして同署員が駆けつけ、自転車の防犯登録を調べたところ、東京都港区白金台の男子高校生(15)が以前に盗まれたとして、8月1日に被害届を出していたものだった。
逮捕されたとき、所持金はなかったという。同署はどこに行くつもりだったのかなど、動機について調べている。
(朝日新聞社のネットニュース 9月12日 19:28 より転載)
私の故郷に関する記事が出ていたので、記事を残そうと転載しました。
8月28日午後10時頃、東京都豊島区の路上で自転車を盗み、ひたすら西へ。
9月12日に逮捕なので、日数は延べ15日。
計算してみると、1日あたりおよそ66キロを移動すれば、達成できる。
長府警察署管内の大型商業施設といえば、下関マリンホテル前のイオンショッピングセンター。そこから国道9号沿いに走らせば、関門トンネルの人道入り口にたどり着ける。
自転車の通行料金は20円、原則として人道トンネル内では乗らずに押しながらになります。捕まっていなければ、九州に上陸するつもりであっただろうか。
東京からクルマで山口の故郷まで帰ったことはあるのですが、2人で交代しながらの要所時間はおよそ12時間。1人運転は途中で休憩しながらになるので、15~6時間。
若かった頃は東京から山口までぶっ通しでもへっちゃらだったけど、今はもう歳を取ってしまったのか、現地でレンタカーです。(笑)
自転車で1000キロとはどすごい根性やな・・・。
京都から無事帰りました。デジカメやビデオでいろいろ撮ってきましたので、後日アップされる記事をお楽しみください。
青ヶ島の続きはたくさんありますが、両方とも交互にアップしていきたいと思います。
主に今日は、京都ショッピング。
20分くらい前にホームで待ったのですが・・・・
のぞみ 東京
こだま 東京
ひかり 東京
のぞみ 東京
のぞみ 東京 数分おきに出ているじゃないですか~!?
青ヶ島だったら、1日2便(定期ヘリコプター1便、船1便)しかないのに、この時刻表はあまりにも贅沢すぎる。
数分前に見送った「のぞみ」の次はわずか数分後。
始発は博多、プレートは「JR西日本」なので、車両は西日本所有。
東京に着くと、自社基地のある博多に帰ってしまいます。
博多からおよそ1200キロかけて東京に着いたばかりなのに、行先を「博多」に変え、Uターン。
往復2400キロ、本当にお疲れさん。
九州新幹線が博多まで直結すると、
東京から博多まで JR東海・JR西日本の共同運用。
新大阪から鹿児島中央まで JR西日本・JR九州の共同運用になります。
新大阪で九州新幹線の「みずほ」に乗り換えれば、3時間47分で鹿児島中央。
東京から新大阪まで2時間半なので、東京から鹿児島まですべて新幹線だとするとおよそ7時間で行ける計算。
昔の国鉄0系は小倉から東京まで6時間かかったのは記憶しているので、プラス1時間くらいで鹿児島からでも可能なのは時代とともにスピードアップ。
0系は振動がすごく激しかったのに、N700系はすごく滑らかでした~!!
2010年12月から、東北新幹線の八戸から新青森間開通。
さらに来年(2011)年3月から新八代から博多間開通。
新青森から鹿児島中央まで新幹線で結ばれると、全区間の運賃や要所時間はどうなるか気になるところ。
鴨川沿いに各飲食店の納涼川床。
ここからホテルまで2キロ。食後はタクシーに頼らず、ウォーキング。貴族VIPみたいにドアからドアまでクルマだった、ハン尚宮(母)にとっては、ちょっときつかったかな?とても明るい商店街、ショーウインドーを見ながらのウォーキングは楽しいけど、違うのは空気。京都の空気は排気ガスでちょっと汚れていました。青ヶ島でのウォーキングは空気が美しく、すごく気持ちよかったけどね…。沖縄では近距離でもクルマだけど、ここは京都。公共交通網やレンタカーの代わりにタクシーをうまく利用しています。

鴨川といえば、川床で食事するところで有名になっています。しかし、ハン尚宮(母)のリクエストは外で食べるより中がいい、とのこと。
店名が中国語になっていて、漢字は出せません。箸袋に書かれたローマ字のつづりでは「とうかさいかん」でした。
いざメニューを開いてみると、中国語の漢字ばかり。日本語訳もついているが、すごく長くてどんな料理なのかさっぱりわかりません…。
「予算に合わせて、料理を任せていいですか?」とお願いすると、次々と北京料理が運ばれてきました。 満腹できるような、美味しい料理を選んでくれました。とても美味しいです。中国語読めなくても助かりました~。(^O^)