10月の天気はほとんど荒れていたのに、11月になったとたん、爽やかな秋晴ればかり続きます。
八丈~青ヶ島の黒潮はほとんど凪なので、今週はほぼ就航しているかな。
天気予報の「波高予測」では太平洋側はほとんど真っ青(波が出ていない)になっています。
さて、10月の就航率はたったの3割でした。
毎週日曜日は運休なので、就航しなければならない日数は26日。
その3割だとしたら、たったの9日!?まさか・・・?
小笠原行きはほぼ100%予定を立てやすいのに、青ヶ島はちょっと難しいなぁ。
昭和30年代の年に5、6回程度に比べるとずいぶんよくなっています。(当時の年賀状は4月に配達、新学期に配布すべきの教科書も7月にずれ込んでいました)
職場から見えるイチョウの木もそろそろ見納めになってしまうかな。
数日後、枝だけの寂しい風景になってしまいます。
4月はピンク色に染まっていたのに、今度は赤。
再び、色づくのはほぼ5ヶ月後かな。
今日はもったいないくらいのよいお天気、紅葉がとても美しい奥多摩・檜原へ今すぐにでも飛んで行きたいな~。
千葉の奥座敷、養老渓谷はまだ青葉のようです。見ごろは11月下旬から12月中旬あたり。
今の時代だと天気がよければ、羽田空港からおよそ2時間半で日本一の秘境、青ヶ島。
(全区間船旅だとおよそ15時間ですが・・・)
今年の夏は青ヶ島までどのくらい離れているか実感したくて、ずっと船旅。
帰りは空路、日本一の秘境からあっという間に戻ってしまいました。
時代は遡り、昭和32(1957)年の青ヶ島。
昭和25(1950年)、東京から4ヶ月かけて青ヶ島に上陸した若き教師、高津勉先生。
それまで厳しい自然環境、しかも船が年に4、5回しかないので、青ヶ島小中学校に赴任して次に来る船(といっても、数か月後)で逃げてばかりだというのに、高津勉先生は己を捨て、子供たちのために10年かけて少しずつ教育改革を施した。
改革のひとつとして、島から出たことのない子供たちのために内地の文明を社会見学させる小中学校初の修学旅行を赴任7年目に実施。
もちろん、東海汽船の臨時便を要請し、青ヶ島から東京へ直行。 8月2日に出発してから4日目の5日、千代田区の九段中学校に訪問。
青ヶ島では蛇口をひねっただけで水が出る水道や水洗トイレ、電気もまだなかった頃なので、非常に驚いたそうです。
東京の文明に憧れ、中学校を出たら是非東京で働きたいと書かれています。
そりゃ・・・私も何もない漁村で暮らしていた頃は東京に憧れ、いざ暮らしてみると挫折。
田舎暮らしに逆戻りし、今はなぜか青ヶ島に憧れています。ちょっと変ですけど・・・。 青ヶ島小中学校の歴史は古く、明治時代に創立してから80年経つのに、1度も修学旅行は実施していない。
「東京というところを1度でもいいから見てみたい」という子供たちの憧れに応えるべく、高津勉先生が自ら引率する修学旅行を実施。
初めてなので、準備も念入りだったそうです。 念願かなった、青ヶ島の24人。
青ヶ島からの修学旅行は非常に珍しく、新聞各社がそのことを取り上げられていました。
銀座のショーウィンドウや路面電車に初対面、島にないものばかりなので、キモをつぶしたそうです。
あれから半世紀・・・交通の不便さは除き、生活水準の格差はなくなりました。
今の小学生は日光と東京、中学生は広島、奈良、京都、最後に東京。
11月になっても咲く、夏の花。
今年の夏は本当に長く、勘違いしているでしょうか。 今日は11月10日。
青ヶ島の牛祭りは毎年8月10日と定められているので、あれからもう3ヶ月。
最後にヘリコプターの動画を載せるつもりですが・・・・
なかなか島から出たがらないのか、しばらく温存。
ブログの世界なので、青ヶ島から出るかどうかは自由自在なんですが、現実の世界は予定通りに行かないと、とても厳しい。
万が一帰れなくなった場合を考え、あらかじめ予備日を2、3日入れておいたほうが良さそうです。
今年2010年は台風の発生が非常に少なく、黒潮も安泰。
毎日船が出るはずだと計算に入れたのが大きな誤算に・・・。
臨時便の予約はまるでバクチのようですが、今回は運よく取れました。
恥ずかしながら、ヘリポートカウンターでへばり付いたのが功を奏したかも知れません。
上の建物はご主人が建てた、アジサイ荘の新館。
3年前の2007年にオープンした直後、真っ先に駆けつけましたっけ・・・。
ガラス張りのテラスが玄関になっていて、レストランのようなキッチンテーブル。
右側は客室3部屋。1号室、2号室は定員3名。3号室は広くて5名。宿泊者専用のトイレと洗面室、浴室。
左側は厨房、その奥はオーナーの住宅になっていました。
とてもおしゃれな近代的な民宿。
宿泊料金は新館3食付きで9500円。
こちらは、映画アイランドタイムズのロケに使われていた、昔からの伝統住宅。
昭和3、40年代は建材を内地から送られてくるのは難しく、木材はすべて島で伐採されたものが使われています。
予約するときに特に指定しなければ、優先的に新館になってしまいます。
「青ヶ島伝統住宅で泊まってみたい」とそう伝えるとよいでしょう。料金は新館より若干安めになっていまして、お食事と入浴は新館になります。
エアコンはついていませんが、内地みたいに暑苦しいということはあまりなさそうです。
エアコン付きの新館で泊まっても、就寝中はオフにして窓を開けていました。
内地だと1階は戸締り慎重ですが、青ヶ島はわざわざ鍵をかけなくても大丈夫。
1987年か1988年(昭和62、63)年に大きな事件発生。留置所がないため、駐在所で当時の青年団員数名が交代しながら終夜監視。翌日、八丈署から来たお巡りさんに引き渡しといった話をどこかで聞いたような気がします。手元に資料がないため、この情報は100%正確だとは言えません。
その事件を最後にずっと事件が起きていない(平成時代に大千代港の工事中に転落し、亡くなられた方も出ていますが・・・)ので、とても平和な島なんです。
青ヶ島駐在所のおまわりさんも拳銃やワッパ(手錠)を装備していても、それらの出番はなさそう?
あのときに厚かましくも、「ここは平和なので、拳銃やワッパの出番はなさそうですよね?」「道路交通法違反の取り締まりは?」「青切符や赤切符はここでも常備してあるのですか?」とか積極的に取材しとけばよかったな~。今度の青ヶ島はあらかじめ知りたいことをまとめ、突撃かな?(笑)
おまわりさんの任期は1年なので、せっかく島に根を下ろしたのに牛祭りが終わってしばらくすると交代しなければならないのです。
郵便局へ用事。
集配を行う、最寄りの支店では私のことはもう顔見知り。
郵政省時代の古い切手を何枚か貼付、視聴覚障碍者向けの録音資料の無料差出、配達について苦情を言う有名人になっているみたいなので、今回は人知れずもっと奥の高滝郵便局へ。
奥といっても、クルマで数分で行けるところです。
郵便局に向かう前に髙瀧猫驛長さんに会いに行きました。
会ってみたいな~と思えば、すぐ出迎えてくれます。
駅員さん同士。
左のネコがしっぽに近づけ、くんくん匂いを嗅いでいました。
すると、ブンブンとしっぽを振りながら追っ払い。
ここからの眺めは四季を感じさせるので、好きな構図。
すると、ネコ駅員さんが「無札でホームに入ってはあかんニャー!入場券が必要ニャー」と私に近づけました。
しばらく、ネコ駅員さんと戯れました。
「太陽が気持ちいいニャー」とコロンと寝そべったり・・・。
新しく生まれ変わった髙瀧駅内装。
去年の今頃は落書きだらけで殺風景な内装だったというのに、ネコ駅長さんが「落書きだらけでは気持ち悪いので、リニューアルしたまえ」と本社に指示を出したらしいね。
駅名看板のまわりは暖かい木の温もりが感じられる雰囲気に変わりました。
里山も少しずつ秋の風景に・・・。
今日は長そで1枚でも暖かい日でした。
郵便窓口に目を引くような切手が・・・。
美しいデザインに惹かれてしまい、購入。
郵政省時代の珍しい切手ばかり貼られた「ゆうパック」を差し出し、この切手も買っているので、「ポストのあるまちなみ2011年」のカレンダーをもらってしまいました。
あまり利用しない郵便局だというのに、すみませんねぇ・・・。
金子みすゞといえば、故郷の山口県長門市。
故郷を懐かしく思い出せるカレンダー、嬉しいです。
北九州、下関の奥座敷、川棚温泉。
東京の奥座敷は奥多摩、檜原村の温泉。
千葉の奥座敷は養老渓谷温泉街。
伊豆諸島は地熱を利用した青ヶ島ふれあいサウナかな。
(「奥座敷」の定義は都市近郊の温泉街なので、青ヶ島はちょっと例外かも・・・?でも、サウナは温泉として認定されていますし・・・。ゆっくりお湯に浸かるとしたら八丈島ですね)
故郷の駅から4つ目の川棚温泉駅。
この付近でしか味わえない郷土料理があります。
それは・・・老舗の「元祖瓦そば たかせ」。
明治10(1877)年、西南の役で熊本城を取り囲む野戦の合間に兵士たちが瓦を用い、野草、肉などを焼いて食べたというヒントを得て、日本瓦を用い、茶そばに、牛肉、錦糸卵、海苔、もみじおろし、レモンなどを配し、秘伝製法のつゆを添えて「瓦そば」と名付けたそうです。川棚温泉「元祖瓦そば」の創始者、高瀬慎一氏の特許。
ちょうど京都から取り寄せた「宇治茶のそば」があったので、瓦の代わりにホットプレートで作ってみました。 「たかせ」の味に近づけようと作ってみましたが、なかなか叶いませんでした。
でも・・・カリカリと焼けた麺が美味しかったで~す。 これはハン尚宮(母)の手作りしゅうまい。
既製品ではなく、さまざまな材料を用い、イチから手間かけて作ったものです。
伯母の秘伝レシピによれば、エビ、椎茸などなど・・・いろいろ。
2010年のゆめ半島・国体千葉大会のマスコットキャラクターとして登場し、県内市町村の各種イベントに現れることが多いです。
図書館のイベントに何度か現れてくれたので、イベントに「チーバ君現す!」を盛り込むなど大忙しです。
これはなんと、食べてしまうのがもったいないくらいのチーバ君のパン。
食用紅が使われているのか、真っ赤なパンになっています。ちょうど横から見ると千葉県の形をしていて、耳は銚子市、黒い鼻は野田市(旧関宿町)足のつま先は館山湾付近に相当。
舌が浦安なので、常に舌を出しています。
図書館にチーバ君が現れてくると、その姿を見ようと小さなお子さんからお年寄りまで人だかりができてしまうほどの人気キャラクター。国体が終わってもチーバ君を見かけるようになりたいと思っていたところ、なんと!千葉県の森田知事が今後も千葉県のマスコットとし、来年の1月から昇格させることに決定しました。
デザインしたのは市川市の絵本作家・イラストレーターの坂崎千春さん。千葉県の地図が動物のように見えたところからヒントを得たといわれている。
まるで犬のような感じですけど、犬でもなく、未知のものに立ち向かうときほど勇気と情熱がわいてきて、からだが赤く輝く不思議な生物だそうです。
しかし・・・おなかあたりがメタボっぽい感じなので、大人気のチーバくんがメタボなら私も安心・・・と錯誤してしまいそう。
これは私が撮ってきたものではなく、写真添付で近況を知らせてくださったので、許可をいただいたうえで載せています。
レトロ小海線のディーゼル機関車、DD16。
5月に乗ってきた、秩父鉄道のパレオエクスプレスは比較的新しい12系に置き換えられてしまい、ずっと昔みたいに旧型客車はもう乗れなくなったかなと思いきや、今も現役で乗れるところがあるのですね。
少し前に乗ってきたという、レトロ軽井沢号。
ボロ客車でも私が小さいときの通学でよく乗っていたものなので、思い入れがあります。(山口県の山陰本線)
うわっ!!懐かしい。スハフ42の車内。
今のような自動扉ではなく、完全に止まる前にホームに飛び降りするスリル感を味わうなど、ワンパク盛りでしたな~、あの頃。
見かねた車掌さんが学校に連絡が行ったらしく、しゅっちゅう怒られたのを思い出します。
私の記憶にあるのはこの車両。(オハニ36)
半世紀以上前の昭和30(1955)年製造。
お魚を取り扱う行商カンカン部隊も乗り合わせていて、魚のにおいと、ニス塗りのにおいが混ざっていたのを懐かしく思い出します。
照明器具はなんと!白熱灯でした。
山陰の日本海側なので、鮮魚ばかり食卓に並ぶのは日常茶飯事。
小さな小骨がのどにつっかえたときは、ごはんを飲み込めばよくなることもあるのに、この日に限って刺さったまま。
自分の背丈くらいあるブリキ箱を担いで毎日行商に出かけるNさんというおばさまは不思議な力を持っていました。
そのおばさまに「魚の小骨がのどにつっかえたままで困っています」と伯母を通して電話でお願いすると、あら、不思議。本当に小骨が取れたらしく、痛みも消えてしまいました。
祈祷するシーンは見たこともなく、遠隔治療という本当に不思議な体験でした。
私は2回ほどだったけど、姉は子供のころ何回も・・・だったらしいです。
やがて成人を迎え、東京の多摩で暮らすようになりました。(今から10年以上前のハナシ)
ある日、珍しく魚が出て、よくかまずにかぶりついてしまいました。
食事が終わっても、のどに小骨が刺さったような違和感がします。
ごはんで飲み込めばなんとかなるさと何度か試行錯誤してもなかなか取れません。
友人に「そういえば・・・山口のNさんに連絡すれば取れるかも?」と勧められましたが、ここは東京。
1000キロ離れていようか、不思議な力は変わらないはずだと思うのですが…当時の連絡手段はファックスしかなく、親に余計な心配をかけたくないのか、夜でも開いている救急病院に駆けつけ、医療用の細長いピンセットで抜き取ってもらった思い出があります。(笑)
最近、イチョウの木が黄金色に変わったりして、すっかり「晩秋」の風景になってしまいました。
10月までは実質的に「夏」だったというのに、今年の「秋」はあっという間に過ぎ去ってしまったような気がします・・・。
夕方5時前に暗くなり、退勤時はもう真っ暗。
猛暑が続いたため、色づくのはこの先かと思っていたのに少しずつ赤色に染まりました。 友人からポスト型はがきが届いていました。
風景印と消印をよく見ると・・・・
「広島・もみじ」
まさしく、今の季節にピッタリです。
ちゃっかり、ご当地切手の日本三景、厳島神社の切手付き(第3次国宝シリーズの第4集、1988(昭和63)年6月23日発行)。
ポスト型はがきは定型外、120円なので、60円切手2枚でちょうど。
演出度100%ですね。 「もみじ郵便局」があるのは初耳でした。
風景印も「もみじ」の形、図案は宮島の厳島神社になっています。
しかし・・・珍しい郵便局なので、風景印の押印も多いのか、少しすり減っているような気がします。
青ヶ島郵便局も伊豆諸島最南端の秘境なので、風景印も大人気。
22.2.22記念押印のときは完璧にすり減ってしまい、大ショック。
「文字が見えなくなるほどすり減っていますねぇ・・・そろそろ新品に取り替えて欲しいな~」とこのブログにアップしたところ、ちゃんと新品に取り替えてくれたのにビックリ!!
場所は広島県廿日市市、JR宮島口駅から徒歩25分くらい。
今の季節にぴったりなお便り、ありがとう。
話を聞くと、北九州から広島まで往復鈍行(各駅停車の普通電車)だそうです。
片道200キロ以上もあるのに、全区間普通電車とはすごいですな~。
(東京から静岡県の掛川までとほぼ同じくらい)
山陽本線は電車だし、となりの駅までかなり距離があるので、4時間も電車に揺らされてもストレスもなさそうですね。
ソーミンチャンプルー。
沖縄では昔から「ソーメン」が重宝がられています。
ソーメンは保存が効くので、台風で食材が足りなくなったときにソーメンをさっと取り出し、調理に取り掛かりやすいとか。
レシピでは、ニラと玉ねぎさえあればOK!となっていますが、「チャンプルー」はごちゃ混ぜなので、モヤシ、人参、ニラ、玉ねぎ、ツナの缶、スパム、ぶなじめし(エンギリも可)豚肉・・・・いろいろ入っていたほうが美味しくなりそうです。
作り方はすごく簡単。
4人分を作るなら、材料はソーメン4束、ニラ1袋、もやし1袋の2分の1、ニンジン2分の1、玉ねぎ半分、ツナ缶1個、スパム缶の半分、ぶなじめし適量、粉のだしの素少量、ナンプラー(アジアの調味料で日本語にすると魚醤)少々、ゴマ油少々、塩、コショウ、ブラックペパー、オリーブオイル。
まず、固い材料のニンジンと玉ねぎを炒めて柔らかくしておきます。
今度はぶなじめし、最後にニラともやし。
ソーメンを3分茹でて、充分水を切ります。
ツナ缶からツナを取り出し、茹でたソーメンに絡ませておきます。
ツナ缶がローカロリーのノンオイルタイプなら、オリーブオイルを中さじ1杯入れておきます。
これは野菜と一緒に炒めるときにソーメンがパサパサにならないコツ。
ソーメンを炒めすぎるとのびてしまうので、あらかじめ炒めておいた野菜と混ぜて、ナンプラー少量、ゴマ油少々、塩、コショウ、ブラックペパーを追加し、手早く炒めて出来上がり!!
ネギもあれば、刻みネギを盛り付けると見栄えもよくなるかも知れません。
もう11月だというのに暖かい日が続きます。
11月1日は午後から次第に晴れてきて、爽やかな青空になりました。 ちょうど熟手のドックおじさん(父)がホウレンソウを買ってきたので、レシピ通りではなく、分量もデタラメに作った「ポパイパスタ」。
生クリームのパッケージを見たところ、カロリーがすごく高すぎる。
少々からませておいたが、味がちょっとどこか抜けている。
最強の隠し味は青ヶ島の「マツミおばちゃんちの秘伝島ダレ」を少々。
島の唐辛子たっぷり入っているので、味もパワーアップします。 ついこの間までは7時になってもまだ明るかったのに、最近は4時を過ぎるとこんな風景になってしまいます。
16時15分、外の気温22度。
11月になっても異常なほど暖かい。
しばらくすると、ちょうど電車が通り過ぎたのでパチリ。
田舎町なので、車内はまるで空気を運んでいるかよう。
自宅真上の空、16時50分。
今日は雲1つもありませんでした。
手前のホウレンソウもやっと発芽。
真ん中は韓国の??(サンチュ)と豆苗のリサイクル、大根。
向こう側は白菜。
サンチュは摘んでも摘んでもまた生えてくるので、とても経済的なサラダ菜です。
形はソフトバンクのiphone4に似ていますが・・・
わざわざソフトバンクと契約しなくても、無線LANで接続するipod touchです。
月曜日の朝10時半。
何気にipod touchの着信履歴を見たら、数分前に国王様からの着信あり。
テーブルに置いたままなので、なかなか着信に気付かないこともあります。
音ではなく、フラッシュの光で気づかせる機能が欲しいな~と思っています。
数分前なので、今、コールすればつながるかも?と思ったら、アメリカにつながりました。
これはインターネット回線なので、高額な国際電話ではないのです。
「日本時間何時ですか?」
「ええと、朝の10時半」
「えっ!?向こうは朝10時半なのかい!?こちらは10月31日の夕方6時半。もうすぐハロウィンだから、私が子供たちにお菓子を配ることになったんだ」
今度はアメリカ人の友人が出てきて、自宅の様子を公開。
アメリカ人だというのに、日本手話で説明してくれました。
容姿はアメリカ人、手話は日本。
アメリカ人が流暢な日本語をしゃべっていると同じような感覚ですねぇ・・・。
日本好きが高じて、日本手話を覚えてしまったとのことです。
アメリカ人は何でもビッグサイズなので、家もかなり豪邸でした。
その後、ハロウィンの様子がアップされました。 こちら です。
アメリカの子供たちもお菓子をもらえるのが楽しみで家に訪ねたら、出てきたのは日本人。びっくりしたかな?
今年もやってきました、ブックリサイクルフェア。
除籍処分した古本を利用者に還元する大イベントです。
去年は11月15日でしたが、今年は10月31日に実施しました。
書庫から会場に段ボール箱を搬入したり、レイアウトを整えたり・・・数日前からの準備なのに、台風14号の動きが怪しい。数日前の予想では、31日の朝は関東地方にもっとも接近なので、玄関の外で並ぶのに苦労してしまいます。
幸いにも当日の朝はすでに房総半島の太平洋側に抜けているので、朝からよいお天気でした。 雑踏を避けるために当日の朝早くから並んだ人に整理券を配布し、30分ごと40人入場制になっています。
9時30分から10時までは1番から40番、
10時から10時30分までは41番から80番の整理券というふうに。
できるだけたくさんの本を持ち帰ってほしいので、午後からはフリータイムになり、会場の状況により随時入場。
バーコードを抹消する「リサイクルシール」貼付場所。
おひとり様 図書20冊、雑誌12冊までなので、冊数を数えたうえでシールを貼ります。 入場待ちの待合室。
リサイクルシールが貼付された本が返却されてきても、再び棚に戻ることはありません。
必要な人に再び使ってもらいたいので、「ご自由にお持ち帰りください」コーナーを作りました。
せっかくご寄贈いただいても、所蔵方針により棚に置くことの出来なくなった本も含まれています。 自宅の本棚を整理したときに出た本たちも「お持ち帰りコーナー」に入れさせていただきました。
ずっと昔・・・免許を取りたての頃は速度超過による赤切符(免停相当の6点以上)と青切符(速度超過30キロ以下)をもらってばかりなので、納得できない取締りをする警官に立ち向かってやる!!とこういう本ばかり買いあさっていたのですが・・・赤切符をもらいたくなければ、道路交通法遵守が原則。
しかし、安全運転を心がけているのに「20キロオーバーです!!」と不意に取り締まられるケースが多い。こういう本はちょっと役に立ちそう。
たくさんのお客様がお見えになりました~!!
段ボール箱いっぱい詰めてあった本が次々となくなってしまい、補充に大忙しです。
シール貼り担当4人ではさばききれないほど大行列ができてしまいます。
毎週新しい本を購入し、スペース確保のため書庫に入りきれない古い本は除籍してしまいます。それをご自宅の書庫に加えれば・・・と思います。
国立国会図書館は国内で発刊された本は除籍せず、永年保存が決まりになっているので、毎年増え続ける本の保管スペースはどうしているだろうかとふと思うこともあります。