8月31日(火曜日)の只見線はよいお天気だったのに、翌日の9月1日は・・・雨の予報が出たとおり、朝から雨が降っています。駅前なので、傘要らず。
朝食会場は1階。
宿泊代は朝食込みなので、どれか選んでくださいとのこと。せいろ蒸しにするか、ローストビーフ。迷いましたが・・・
やはり洋食のローストビーフ。中国ウイルス対策のため、バイキング形式ではなく定食で運ばれてくるので、少しは楽かな。
郡山駅の北口から入場。
経由欄が「磐西・東北・水郡」と印字されていますが、郡山から1つとなりの安積永盛までの4.9キロは東北本線だけど、水郡線の汽車は便宜的に郡山まで乗り入れ。山陰本線も京都から幡生までだけど、汽車は便宜的に山陽本線の下関まで。関門トンネルもJR九州が担当する山陽本線。下関で小倉までのきっぷを買うと、経由欄は「山陽・鹿児島線」と印字されます。
9時18分水戸行きだけど、水戸までの距離は142.2キロ、水戸駅に着くのは12時39分。3時間20分の汽車旅になります。ものすごく長くって退屈になりそうですが、車窓の風景を楽しむとあっという間に着いてしまいそうです。
水郡線のホームは改札口に入ってすぐそこではなく、少し離れている場所なので、わかりやすく誘導するためのサイン。
あと50m先。
国鉄のキハ40や47だったら、山陰本線を懐かしむことはできるんですけど、新型のキハE130でした。平成の初め頃は国鉄のキハ40や47。平成の10年代を迎えるとキハ110。JR東日本管内でキハ40や47はもうすべて撤退し、小湊鐵道に譲渡。秋田支社からキハ40を3両、只見線からの2両、あわせて5両在籍。JR西日本は古くてもモノを大切にしているのか、山口県の山陰本線は子どもの時からずーっと変わらずのキハ40や47。もし、山口県で活躍しているキハ40を小湊鐵道に譲ってしまえば、子どもの時に通学で乗った車両がン十年の歳月を経て再び私のところにやってくるのはいつになるのやら。
2021(令和3)年3月のダイヤ改正で廃駅になるはずだったけど、築100年近くの木造駅舎をずっと後世に残したいという気持ちがあるので、地元の町内会が反対。駅としての維持代は稚内市が負担することになりましたので、現在も現役です。
改札付近でも、玄関フード。除雪道具が多く置かれています。
作業が終わり、帰着したら報告を忘れずに!と社員向けの張り紙。施錠されていますが、駅事務室を作業員休憩所にしているようです。煙突もあるので、冬季はストーブを焚いているのかなと思います。
1984(昭和59)年から出札、改札を行わない旅客業務に関しては無人駅化。閉塞(信号保安)に関しては自動化されていないので、運転要員は駐在。1986(昭和61)年に信号が自動化され、完全無人駅になりました。
駅としての継続が決まり、駅名標を新品に取り替えたようです。
前回訪ねたのは2018(平成30)年。その頃は管理を稚内市に移管する前なので、そんな防犯カメラはついていませんでした。駅舎が100周年を迎え、駅舎が骨董クラスに相当する。変な人が駅を荒らしに来ないか常時監視中。動くものを捉え、こまめに記録してくれるので実質24時間監視中ってことになります。
反対側のホームに渡る踏切の手前で後ろを振り向いた様子。
本数が少ないからと油断はせず、駅舎に戻り、時刻表を確認。列車は来ないとわかっていても、指差し確認。
出前を注文するのに、金銭の出し入れは皆さんに任せているんですけど、日々によっては多かったり不足することがしょっちゅうなので、「お金の出し入れはしっかり指差呼称を!」と注文票に表示させたら、この頃はぴったり。金銭に関する書類でも指を差した先の数字に間違いはないか、しっかり確認。「あっ!間違えた、危なかった」ということもあったので、ミスに気づいてくれる指差しは大切。
向こう側のホームに渡ったときの全景。オレンジ色に塗られたボックスも前回はなかったんですけど、何か備品でも入っているでしょうか。
向こう側の駅名看板は古いままでした。駅舎近くのほうが駅の顔とも言えるので、新品の看板に取り替えたかも。
まもなく100年を迎える駅舎。1世紀前の日本人平均寿命は40歳前後。50歳生きていれば長寿と言われていた時代。その頃造られたものなので、大正時代にタイムスリップしたかような雰囲気。古き良き鉄道遺産なので、いつまでも存続できますように。山口県の美祢線も古い駅舎が残っているし、九州の肥薩線も。
10月16日のまだ16時だというのに、ちょっと暗くなりかけています。
これはたぶん・・・雪がどのくらい積もっているか積雪計だと思います。冬季の間は線路に積った雪を除雪するラッセル車が出勤するけど、ホームの除雪作業は地元の町内会がやっていただくことになっているそうです。本当にありがたいです。
11月13日土曜日。本日の船は欠航になりました。昨日の予想は五分五分でしたが、今日の海上状況は厳しいようです。さて、明日は日曜日ですが、臨時就航が予定されています。明日は無事に入港できますように。海が凪いでいれば、日本一の秘境、青ヶ島でもアクセスしやすいけれど、海が時化てしまうと唯一の交通手段はヘリしかなく、定員は9名。満席のときは当日の予約はキャンセル待ちが出ない限り厳しいときもあるので、絶海の孤島になってしまいます。
天竜峡行きの電車がやってきました。朝一の豊橋発6時の電車が8時31分平岡駅到着。93.8キロの要所時間は2時間半。6時頃何をしていたかと言いますと・・・まずは朝ご飯。その後、4階の温泉で朝風呂。
駅直結なので、出発時刻の10分くらい前にチェックアウト。
平岡駅を出た直後。天龍村の中心地なので、住宅が密集。
次の駅も、4.7キロ先の為栗駅です。要所時間は6分。
平岡駅で乗ってきたお客さんの特徴を覚え、速攻で行き先をお伺いし、携行POSで発券。
今度は私のところで「きっぷはお持ちですか~」とのことなので、提示。「たもと、ですね。ありがとうございます」とお辞儀されましたが、(この人、田本で降りてどうするつもりなんだろ?)って思われたかも知れません。
川の色がすごく綺麗です。
おそらく、青く見えるところは深いところになっているかも。
為栗駅。ここでも秘境駅です。この先も秘境駅が続きますが、特に田本駅は断崖絶壁に佇む場所として、秘境駅度は上位にランキングされています。
昨日通ったばかりなんですけど、再び通ります。都区内から都区内ゆき、一周するような乗車券だと小和田で下車すると反対方向へは逆戻りはできません。それで、別途乗車券をあらかじめ用意。
片道 小和田 → 平 岡 昨日のうちに使用。
連続1 平 岡 → 田 本 今回行使
連続2 田 本 → 小和田 田本から帰りに都区内から都区内ゆきのきっぷに接続
11月12日金曜日。今日も朝からよいお天気なのに、海は時化ています。今日も欠航です。明日は微妙なんですけど、条件付きか欠航のどちらか。来週は再び凪ぎそうなので、時刻表通り船は来られそうな予感はします。中国ウイルスが落ち着いているのに、「お客様のご搭乗予定の飛行機が中国ウイルスの影響に伴う需要減退に鑑み、欠航します」と。今まで何度も何度も他の便や違う空港に振替するなど結構振り回されたのに、今回もか!?時刻表を確認すると、北九州便は5割欠航。山口宇部便は1往復だけ欠航。福岡便は数が多いさなか、2往復だけ欠航。なぜ北九州行きは5割も欠航するんだろうか。予約したときは、座席がほとんど埋まっていて需要があるはずなのに、突然欠航させられては、搭乗予定のお客さんたちに他の便に振替やスケジュールの変更をさせられては迷惑なのにね。全額払い戻しまたは、他の日付や便に振替のどれか選択は可能ですが、さらに区間変更の選択ができれば嬉しい。例えば、北九州が欠航したとしても、近くにある福岡または山口宇部に変更して、スケジュール通りに修正できるとか。目的地を変更する区間変更はネットではなく電話で問い合わせれば対応はしてくれるけど、電話するのに自分の情報を伝え、最初に予約した内容は欠航したため、目的地を変更したいと通訳を通して伝えるのも時間もかかる。ネットで区間変更をさっとできるようにシステムの改修をしていただけたら・・・。
会津若松からの磐越西線。ガラガラな状態ではなく、座席がほとんど埋まっている状態だし、日没後なので、駅の写真は撮れず。
次はあこがしまです、あこがしま。青ヶ島熱狂ファンが聞いたら、「あおがしま」と聞き間違えそうな駅名。
Kさえ取ってしまえば、あおがしま、そのもの。宮崎県の日南線にも「あおしま」駅があります。こちらは「ヶ」を入れてしまえば、青ヶ島。
1時間15分かけて、郡山駅到着。
新幹線停車駅だけど、在来線改札口から出て、明日の時刻表を確認。
9時18分を乗り逃してしまうと、なんと13時43分まで汽車がないとは・・・。まるで北海道のダイヤなんだけど、福島県の郡山と茨城県の水戸を結ぶ「水郡線」。
腕時計のバンドが外れてしまい、さあ、困った。ちょうど目の前にヨドバシカメラ郡山店があったので、時計コーナーに駆けつけ。商品を購入して交換手数料は無料で取り付けていただきました。ネット通販でもお世話になっているんですけど、夜の20時から22時頃までポチッとすると、ほとんどは翌日中に配達されます。ゆうパックなんですけど、深夜時間帯に「新東京(ヨドバシ)」中継。翌朝、最寄りの集配局に到着。青ヶ島や小笠原宛てでも「ゆうパック」は離島追加料金がかからないので、島民のユーザーは多いそうです。青ヶ島でポチっとすると、48時間以内に玄関まで運ばれてくれるのでビックリするといった話を聞いています。
たぶん・・・・
11月11日(木) 20時から22時頃注文
11月12日(金) 未明 新東京郵便局中継
11月12日(金) 東京発のたちばな丸搭載
11月13日(土) 八丈島到着、あおがしま丸に積み替え
11月13日(土) 午後、青ヶ島の発注者にお届け済 →48時間以内にお届け
小笠原宛は・・・
11月11日(木) 20時から22時頃注文
11月12日(金) 未明 新東京郵便局中継
11月19日(金) 東京発おがさわら丸搭載
11月20日(土) 父島到着。その日のうちにお届け済。→9日間かかります。
今夜の宿は駅の向かいにあるホテルです。
字幕チェック。ありました!大丈夫。およそ10年前の地上デジタル黎明期、ホテル仕様のリモコンはほとんど「字幕」ボタン付かず。私が何度もクレームを入れたおかげもあってか、字幕が使えるリモコンを配備。
ここでは珍しく、トイレと浴室は分離。
素晴らしい!!
電車で来ますと予約したおかげもあってか、駅側の部屋でした。
我が家のジローさんとふてにゃんの様子を確認するため、「見守る君」のアプリを立ち上げた状態。異常なし、ヨシ!
ここは郡山だけど、国内だけではなく、およそ2万キロ離れた地球の裏側のブラジルでもWi-Fiさえあれば、リアルタイムで確認できます。動く物体をキャッチして録画するので、霊が通ったときでもその前後をちゃんと録画するので、あり得ない動画を見つけたときはドキッとします。
虫かホコリが浮遊したときも動く物体として捉えますが、あとで確認して、なんだ、ほこりかと気にしない程度だけど、人の輪郭が見えるときはコクオウ様に通報。秘書伝いの霊能者に鑑定してもらって、悪さをしない霊と言われてしまえばもう安心。10月18日、稚内から帰った日。部屋で洗濯物を干すときに、人形ちゃんがピクッ!と片方だけの足が動いているのが瞬時見え・・・・長旅の疲れで見間違えかも?と片付くつもりでしたが、念のため霊能者に診てもらったところ、「この場所は居心地が悪そうです。場所を変えたい」と言っているようには見えますと。ん!?居心地が悪いんですか?とよく見たら、謎が解けました。DVDケースの上に座らせているので、足を瞬時に動かし、私に知らせたかも知れません。今は1階のリビングで安置中。霊能者は人形の言いたいことを理解できる能力があるなんて。私は全然気づきませんでした。
NHK手話ニュース。毎日20時45分になれば、Eチャンネルに回します。最近、新人さんがデビュー。男性は竹村君、女性は加藤さん。お二人さんもご両親は「ろう者」の方です。
旅先に出かけたら、必ず現地の牛乳を購入。
福島県で生産された牛乳でーす。全国どこでもおんなじ味ではなく、地域ごとに味が微妙に異なります。
稚内駅の次はノシャップ岬。水平線に沈む夕陽が絶景だと言われていますが・・・
今日は雲が多いので、美しい夕景は見られないかも・・・。
稚内市街地を運転して気づいたこと。コンビニはほとんど「セイコーマート」。内地の大手コンビニは見かけず・・・・。内地と全く同じ商品を安定した供給ができるエリアは旭川から90~100キロ圏内の美深町あたりまで。
日が暮れないうちに抜海駅へ向かいます。稚内から南稚内までは飲食店、コンビニ、いろんなショップ、住宅街などで街が形成されていますが・・・・市街地を抜けたとたん、このような風景。
内地で見かける標識のキロ数とはケタ違い。
なーにもない原風景にポツンと抜海駅があります。開業は1924(大正13)年6月25日。駅舎もその頃建てられているので、今年で97年目になります。開業当時は抜海駅周辺の人口が多く、駅の利用者もかなり多かったそうです。
ところが今はご覧のとおり。駅前の風景なんです。
駅舎に入ると、前室。北海道では防寒のため、一般家庭でも二重窓や玄関が二枚扉になっている玄関フードになっているところがほとんどです。
前室の右側はお手洗い。もちろん、汲み取りのボットン。
前室は10Wの蛍光灯でした。
2019(令和元)年、JR北海道より抜海駅は利用者ゼロの状態が続き、これ以上維持代などの負担はできないので廃駅にしたいと稚内市に通告があったときに、駅近くの町内会が反対。維持代は稚内市が負担するとし、廃駅は免れました。また、町内会が定期的に清掃を行っているので、駅舎の中はとても綺麗です。
この掲示物を拝見すると、この駅は愛されているんだなと実感できます。
3年前の2018(平成30)年に来たときも全く同じです。3年経っても劣化なし。抜海駅の話は長くなりそうです・・・。
豊橋18時20分発の特急ワイドビュー伊那路3号飯田行きが20時15分平岡駅停車。しかし・・・誰も乗っていないガラガラな状態で発車。
もしかしたら、運転士と車掌さん2名で飯田まで空気輸送!?JR東日本は来年3月ダイヤ改正で中国ウイルスの影響により、首都圏も含めて東日本全域を対象に本数を減らすそうです。この特急も秘境駅ばかり続く駅を通過して飯田までではなく、乗客が見込めそうな本長篠あたりまでにしたほうがいいのでは・・・。
23時。平岡駅の夜間停泊。翌朝、平岡駅発は6時20分伊那松島行き、6時48分豊橋行き。乗務員専用の宿泊室が備え付けているはずなので、もしかしたら、この旅館のどこかにあるかも知れません。
根室駅5時31分発も夜間停泊。根室駅の事務室で泊るのではなく、乗務員宿泊室になると思います。
全国で1番秘境って言われている夜間停泊は備後落合駅。周辺にコンビニや飲食できるお店も全くありません。翌朝6時の出発に備え、なーにもない秘境の備後落合駅で宿泊。漆黒の暗闇にしんと静まりかえったところなので、そこで泊るなんて心細いかも。
翌朝。夜間停泊した電車が2本到着。上下出発に備え、待機中。
運転士さんもゆっくり寝る暇も無く、タイマーセットしておいたベッドが起き上がる自動起床装置が作動し、出勤。特に始発を担当する運転士は朝寝坊しましたとは絶対にできないので、音が鳴る目覚まし時計ではなく、ベッドが動き出し、自動的にむくりと起き上がる装置。JR九州の新幹線駅で駅員さんが起床装置のタイマーセッティングを忘れたため、始発の新幹線に乗れなかったハプニングが起きたばかり。
今日の天気は曇りか・・・雨降らずが幸いかな。
1階のレストランで朝食です。
ごはんはおひつごと出されましたが、1人にしては超大盛りですよ・・・。お椀一杯盛れる程度の量にしなさいってば・・・。
飲食できるところは1階と4階。
一般客の宿泊フロアは3階だけど、乗務員宿泊室はこのどこかにあるはず。
秘境だというのに、立派な施設になっているのは郵便局のかんぽ保険で融資されたものでした。私もかんぽ保険に加入しており、お世話になっています。入院はしたくはありませんが、万が一、もしもに備えて・・・。
朝食を終え、部屋に戻ると、可愛らしい来訪者が・・・。
カーテンを開けて、こっそりと様子を拝見。鳥さんですね・・・。
スズメのような大きさだけど、なんと言う鳥さん?
しばらくしたら、相棒が飛んできました。
楽しそうにおしゃべりしていますねぇ・・・。いったい、何の話??鳥さんが飛び立ち、しばらくしたあとはチェックアウト。
無人駅なので、前日、JR東海の東京駅八重洲側窓口で発券してもらった切符には入鋏省略。
11月9日火曜日。低気圧の影響により、東京発八丈島行きの「たちばな丸」が欠航しました。「あおがしま丸」も欠航です。明日(水曜日)も厳しいかと思います。明後日(木曜日)は東京積み荷作業のため、運休。11月上旬は船が順調だったのに、今はずーっと欠航続き。旅人は振り回されてしまいますが、年に数回しか来なかった半世紀以上の昔(昭和30年代)に比べると今はまだマシなほうです。年賀状も3~4月に配達、学校の教科書も新学年になる4月に間に合わず6月~7月に配達ってこともあったそうです。数日程度待てば絶対に船は来ます。
只見線の汽車が会津若松に到着する時刻は17時18分。郡山行きの磐越西線に接続するのにおよそ1時間後の18時13分。1時間待ちなんて接続が悪すぎる・・・と思いながら改札を出ました。
「会津若松」の途中下車印を捺印。
会津藩は山口県の長州藩を嫌っている理由は・・この百虎隊。あれからもう150年経過しているので、どうにか、山口県を遺恨しないようにお願いいたします。ちなみに、会津若松市の市名を表す手話表現は握りこぶしを腹に横へなぞる。つまり、百虎隊が自決したと同じように切腹と同じなんです。会津若松市出身の人と会話を交わしたときに切腹の手話だったので、それってどこの方なんですかと改めて聞くと、「福島県のね、あいづわかまつ、というところです」それでピンときたので、私は山口県が故郷だと言えず、千葉県ですと返答。そんなエピソードがあります。
少しお腹が減ったので、軽く食事でもしますか・・・・
ラーメン屋さん、みっけ。軽くラーメンで一杯し、今夜の最終目的地の郡山でまた夕食のつもりでした。行列ができているので、きっと美味しいに違いないと前の人が自動券売機のボタンを押すのに、すべて「小」。この人は「小」。次の人も「小」。
なんで、みんな「小」ばっかり押すんだ!?
みんな「小」なら、何かあるかも?と警戒し、私も「小」ボタンを押下。
出されたラーメンを見て、納得。
どう見ても、大盛なんでしょ、これ!!!
軽く「一杯」のところが、夕食の食事に変わりない。郡山での夕食はパス。地元の人を真似てよかった。もし、「大盛」を選んでしまったら、ギャル曽根に出してもおかしくないほどのバカでかいどんぶりにてんこ盛り、になりそうです。
発車時刻になり、あたりは暗くなりました。駅構内が一斉にLEDが灯ります。少し前までは「蛍光灯」だったけれど、時代の移り変わり。
快速ではなく、各駅停車。郡山まで64.6キロ、要所時間は1時間18分の旅です。主要駅しか停まらない快速だと1時間4分。
11月8日。またもや、青ヶ島から「超超超速達便」が届きました。土曜日の「あおがしま丸」に積んで、日曜日は八丈空港から羽田空港まで空輸。翌日の朝、配達を行う集配局に到着、すぐ配達にかけつけてくれました。青ヶ島からといえば・・・お魚尽くし!!
宇和島で食べた鯛めしが美味しかったので、それを真似て「あおがしま鯛めし」。
鯛の切り身で余ったアラをすまし汁。海が凪いでいると、青ヶ島から遠く離れた千葉の食卓に青ヶ島のお魚が登場!!潮の流れが険しい黒潮で泳いでいる魚たちなので、ほとんど身が引き締まっていて、ぷりぷりとした食感です。いつもお送り頂き、ありがとうございまーす!!
すごくたくさんありますので、冷凍保存して、あおがしま白身魚のフライにして頂く予定です。
青ヶ島でも中国ウイルス感染者が減少し、皆で集まってワイワイするようになりましたとのこと。そろそろ内地でもワイワイは解禁かな?
2019(令和元)年12月 中国武漢で原因不明の肺炎が流行。その頃の日本は対岸の火事だととらえ、重く受け止めなかった。
2020(令和2)年 1月 武漢から帰国者が中国ウイルスを持ち込み、国内第1号の感染者。ウイルスの形状が王冠に似ているからコロナと命名。第1号感染者から次々と感染し、雲行きが怪しくなったのは2月の中旬頃。
2020(令和2)年 3月 志村ケンが中国ウイルスにやられてしまい重篤。のちにご逝去。
2020(令和2)年 4月 中国ウイルス感染者第1号が見つかってから3ケ月。日本各地に感染が拡がっているので、第1回目の緊急事態宣言発令。渋谷や新宿もゴーストタウン化。
<<その間も中国ウイルスに振り回されて・・・・>>
2021(令和3)年 7月 全国的に感染者が急増しているさなか、東京オリンピックを敢行。コロリンピックと揶揄される。
2021(令和3)年 8月 中国ウイルスの第5波ピークを迎え、その後減少に転じる。
2021(令和3)年11月 都内における感染者は10名から20名。ピークだった5千人から数名程度に減少。それでも中国ウイルスはどこかで存在しているはずなので、アルコール消毒やマスクを・・・。
中国ウイルス対策のおかげで・・・・
令和2年から今までにかけて、風邪や花粉症などで医療機関にかかったことがありませんでした。お薬手帳を確認すると、令和元年までは何度か医療機関にかかった記録はあるのに、令和2年からはお薬手帳にシールは貼っていない状態。
つまり・・・・・徹底的な手洗い、アルコール消毒、マスクなどで風邪のウイルスにかかったことは全く無し、ということになりそうです。
11月8日、月曜日。11月に入ってから船は順調に動いたのに、今日は欠航です。太平洋に低気圧があり、時化ています。明日も低気圧の置き土産により、厳しそうです。次に来るのはおそらく4日後の12日(金曜日)になりそう。これはあくまでも私の予想ですので、絶対にその通りになるとは限りません。船が欠航するとわかり、すぐヘリコプターに飛びついても、9人乗りなのでキャンセル待ちが出なければ難しいです。青ヶ島への交通手段はまさに綱渡りの状態です。
日本最北端の宗谷岬から見える堤防だけど、あれが本当の最北端ではないかと勘ぐり、グーグルマップで確認すると不思議。今立っている場所が本当の最北端。ここよりももっと北に突っ張っているように見えるのに、あそこはここより少し南にあります。
宗谷岬から稚内駅までカーナビを設定するとなんと30キロ!!到着時間予想時刻はおよそ35分後。これを見て驚愕。23区内で30キロを一般道路で移動するだけでも1時間以上。首都高速に乗っても渋滞にはまるともっと時間がかかる。さすがに北海道。東京の感覚とは大きなギャップが・・・。
ここは稚内駅の改札口。4代目の新しい駅舎がオープンしたのは2011(平成23)年4月なので、もう10年の歳月が流れています。10年って本当に早い。今の時間は14時50分。次の列車は17時44分発特急「宗谷」。およそ3時間後ですね・・・。
みどりの窓口は6時10分から17時45分までなので、17時44分の特急が出た直後、店じまい。最東端の根室駅も朝5時31分発の汽車があるため、営業時間は5時20分から17時00分まで。
「最北端の線路」。前の3代目駅舎時代は車両止めの先にありましたが、今はここに移転
稚内駅の時刻表です。真っ白でスカスカな状態が寂しいんですけど、稚内駅の駅員さんは6時10分から17時45分まで駐在。8時間勤務なので、2交替になっているかも知れませんが・・・。
最北端の自動券売機。稚内駅員さん手作りの「操作の仕方」マニュアルを写真付きで解説。昔と違って新型のタッチパネル式だけど、高齢者にとっては使いづらいようです。近所のスーパーが10月下旬から新型レジスターを導入し、タッチパネルに操作して決済する方法に変更。つまり、店員さんは商品をレジに通すだけで現金のやりとりやクレジットカードの受け渡しはしないということになりました。中国ウイルスがついているかも知れないお札や硬貨を触った手で食料品に触るなんて・・・と以前からずーっと思っていたんですけど、これでもう安全。
ジローさんってば・・・タッチパネルに優しくタッチすれば反応してくれるのに、猛烈な力で押すのでタッチパネルがゆっさゆっさ。昭和の人間なので、大昔のスイッチみたいにカチッ!と反応するまで力任せにしなくても・・・。
「ものすごくのパワーで押さなくても大丈夫ですよ、もうこれから小指で軽くタッチ!!」
最北端でもオレンジカードが使えるのを確認できました。「国鉄」や「JNR」のロゴマークがついている未使用のオレンジカードを多量眠らせたままで出番なし。オレンジカードを優先に使えばいいのになぜかIC系交通カードで直接改札機にタッチ。
新駅舎が出来てから早10年。
今の新駅舎が出来る前は右側のホームがあって、ここに車両止め。ここが本来の車両止めだけど、現在は駅舎の奥に移転。
でも・・・車両止めの場所からでも線路が続いている跡があります。
今のサハリンが北緯50度までが大日本帝国領土の「樺太」だった頃、400m先の「稚内桟橋駅」まで線路が結ばれていました。そこから連絡船に乗りかえ、樺太の大泊港まで。樺太でも大日本帝国が敷設した線路が現在もロシアに引き継がれています。韓国も釜山から京城(ソウル)まで線路を日本が敷設。1945(昭和20)年、広島、長崎と立て続けに原爆投下。8月9日から6日後の15日に大日本は敗戦を認める降伏。それにより、日本列島のまわりにある台湾、朝鮮半島、樺太、南洋諸島などを手放し、終戦の10日後、稚泊(ちはく)連絡船は廃止するとともに稚内桟橋駅も廃駅となりました。
<<戦前>>
稚内(今の南稚内)ーー稚内港(今の稚内)ーー稚内桟橋
<<戦後>>
南稚内ーーーーーーーー稚内
こんな遷移を持つ稚内駅です。
長野県下伊那郡天龍村、平岡駅前の風景。
Googleマップで確認すると、コンビニや飲食店はありませんが、すべて複合施設の平岡駅の中にあります。
駅側の部屋にしたいと予約時にリクエストを出したとおり、駅側の部屋を割り当ててくれました。駅側ではない部屋は、高台から眺めた天龍村中心地の眺めになりますが、駅側の眺めもいいんじゃないかな。
1階はレストラン、2階は駅改札口、売店、旅館のフロント、3階は宿泊フロア、4階は会議室、レストラン。予約したサイトの口コミでは「部屋の中がタバコ臭くって。私はヤニカス(※)ではありませんから!!」と苦情の書き込みがあるのに気になり、チェックインの前にタバコのにおいが酷かったら、消臭対策をお願いしたいと連絡したら、「当館は令和元年より全館禁煙となりましたので、どうぞご安心くださいというお返事があったとおり、部屋のタバコ臭さに関しては心配無用でした。ホームページの更新方法など詳しい人がいないせいなのか、基本情報のデータは古いままです。
(※)ヤニカス 喫煙者を侮辱している言葉。
4階の温泉では、誰も居なかったらカメラを取り出して撮影するつもりでしたが、何人か日帰り温泉の利用者がいらしていたため、断念。温泉からの眺めは絶景でした。
今度は夕食付きで、と予約したので4階の温泉と同じフロアにあるレストランへ。
レストランからの眺めなんですけど、温泉からの眺めも同じでした。
ご飯が運ばれてきました。
湯上がりにキンキン冷えたビールがうまい!!朝からずーっと鉄道旅に小和田駅探検。これで疲れが取れました。
8月7日の18時40分頃。8月過ぎると、日没時間が早くなったような気がします。
ろう者の方なので、メモに書いて伝えるコミュニケーションリテラシーは合格。でも、ご飯が大盛になっているんでしょう・・・。私の容姿を見て大盛だっ!とか?
夕食付きで頼んだものの、自動的に鶏照り焼き定食になったんですけど、素泊まりにして、この中から好きなものをオーダーすればよかったんじゃないかな。もし、鶏が苦手が人が泊りに来て、あちゃー!だったら、どないすんねん?
19時前。まわりは暗くなってしまいますが・・・・
平岡駅ホームは非常に明るいです。
かつては直営駅で「みどりの窓口」があったのに合理化が進み、無人駅化が進んでいます。特にJR西日本。対面販売のみどりの窓口を撤去し、その代わり、リモートで対応する「話せる券売機」が増えています。「話せる」という名称付きだけど、実際はカメラを通しての筆談が対応なので、実質対面販売の「みどりの窓口」と変わりない機能が備え付けています。