最後に残った事が、工場の不動産でした。
3年越しで第2会社を作り、難しいと思われていた
得意先の口座も取れて機械設備も全部移しました。
事業の継続は出来ましたが、肝心の不動産だけは片付いておりません。
成形工場なんて都会では極端に減りました。
家は成形機が5台、中に大型成形機まで有ります。
都会のど真ん中で何時まで仕事が出来るか解りませんが、今はこれらの
機械が設置されているこの土地で無ければ仕事が出来ません。
新しいところに移転すると、安くも3000万は懸かるでしょう。
必要資金と言っても、個人の箪笥をかき回しても100万と揃わないでしょう。
銀行は保証協会まで入れて5行、1番抵当は保証協会が1億5000万、
2番はM銀行の8,000万です。
後は、只担保になって居るだけで所謂無剰余です。
最近不動産って相場ががた落ち、この不動産も1億4千万がよいところ。
交渉対象は保証協会1本で考えればよいでしょう。
叔父の旧会社の社長は気苦労からか体調を壊し、
人と交渉できる体では有りません。
甥が経理をして居た彼が新会社の社長で有りながら、
かつ旧会社の交渉役です。根はスポーツマン、経理の頃から
さっぱりした性格が好かれて居たせいか、どの銀行も
そのことに苦情を云わないどころか好意的です。
小当たりに当たった保証協会はある程度の金額を旧会社として
返済を続けてくれれば 競売は当分しないと云う意向です。
「締めた此れで当分は此処で仕事が出来そうだ。他の担保設定者の
意向も聞き、どうせ無担保であるから今の内にハンコ代で担保の
抹消を交渉してみよう。」
保証協会で気分を良くした彼は意気貢献、2番のM銀行に交渉に
出かけたのです。
「当行は、そろそろあの不動産を売却して頂こうと考えていました。」
担当は彼の考えとは正反対のことを言い出し始めました。
「売却しても配当が無いのでは?」
「幾らくらいと考えていますか。」
「普通では1億2-3000万、幾ら高くても1億500以下と思います。」
担当の眼が一寸光ったみたいです。
「冗談ではないですよ、当行はあの物件は安くて2億2000万、
良ければ2億5000万に売れると見ています。」
物凄い見方の相違です。
幾ら近隣の不動産屋の出した評価書をもって行っても納得しません。
挙句の果てが「では私どもが競売を申請しましょう。」と云うことに
なりました。再度土地バブルの到来が来る少し前です。
「お金があったら自分で買いたいな。でも最悪引越しか。」
引越しの覚悟です。其の費用は全然有りません。
第2会社を作って3年になっては居ますが銀行はお金を貸してくれるでしょうか。
好意的な口を聞いたはくれますがどうでしょうか。あたって砕けろ、彼は
旧会社の時に付き合っていた銀行全部と交渉を始めたのです。
世間は甘くは無い。殆どの銀行はお断りです。
ところが殆どが相手にもしない融資の話を、ある公庫が載ってきたのです。
「貴方と貴方の父親の自宅を一緒に担保にしてくれたら2億5000万、
20年返済で用立てします。それで工場を買い戻したらどうですか。
不動産価値は私どもも、M銀行さんの見方に賛成します。」
自分ばかりでない、関係の無い父親までを撒きこまねければならない。
其の上毎月150万が返せるだろうか。
引越しとの天秤はどうだろうか。
引越しよりまだ買ったほうがよいでは無いだろうか。
考えても理詰めで決まることでは有りません。
「銀行が担保で貸すと云うからには価値があるだろう。やってみることだな。」
決断したのです。
あれから4年一寸経ちました。
今期の決算も黒字を保てました。
彼の背水の陣の心中を従業員も感じ取ったでしょう。
工場の雰囲気が変わりました。
成形工場らしからぬ清潔です。そして何よりみんなにやる気が出てきたのです。
不動産はあれから上がり、又下がりました。
しかし売らずにもっているならば不動産価格なんて幾らでも構いません。
其れより此れにより会社に筋金がと売ったように思います。
決断の重要性、彼は心から感じて居ります。
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3年越しで第2会社を作り、難しいと思われていた
得意先の口座も取れて機械設備も全部移しました。
事業の継続は出来ましたが、肝心の不動産だけは片付いておりません。
成形工場なんて都会では極端に減りました。
家は成形機が5台、中に大型成形機まで有ります。
都会のど真ん中で何時まで仕事が出来るか解りませんが、今はこれらの
機械が設置されているこの土地で無ければ仕事が出来ません。
新しいところに移転すると、安くも3000万は懸かるでしょう。
必要資金と言っても、個人の箪笥をかき回しても100万と揃わないでしょう。
銀行は保証協会まで入れて5行、1番抵当は保証協会が1億5000万、
2番はM銀行の8,000万です。
後は、只担保になって居るだけで所謂無剰余です。
最近不動産って相場ががた落ち、この不動産も1億4千万がよいところ。
交渉対象は保証協会1本で考えればよいでしょう。
叔父の旧会社の社長は気苦労からか体調を壊し、
人と交渉できる体では有りません。
甥が経理をして居た彼が新会社の社長で有りながら、
かつ旧会社の交渉役です。根はスポーツマン、経理の頃から
さっぱりした性格が好かれて居たせいか、どの銀行も
そのことに苦情を云わないどころか好意的です。
小当たりに当たった保証協会はある程度の金額を旧会社として
返済を続けてくれれば 競売は当分しないと云う意向です。
「締めた此れで当分は此処で仕事が出来そうだ。他の担保設定者の
意向も聞き、どうせ無担保であるから今の内にハンコ代で担保の
抹消を交渉してみよう。」
保証協会で気分を良くした彼は意気貢献、2番のM銀行に交渉に
出かけたのです。
「当行は、そろそろあの不動産を売却して頂こうと考えていました。」
担当は彼の考えとは正反対のことを言い出し始めました。
「売却しても配当が無いのでは?」
「幾らくらいと考えていますか。」
「普通では1億2-3000万、幾ら高くても1億500以下と思います。」
担当の眼が一寸光ったみたいです。
「冗談ではないですよ、当行はあの物件は安くて2億2000万、
良ければ2億5000万に売れると見ています。」
物凄い見方の相違です。
幾ら近隣の不動産屋の出した評価書をもって行っても納得しません。
挙句の果てが「では私どもが競売を申請しましょう。」と云うことに
なりました。再度土地バブルの到来が来る少し前です。
「お金があったら自分で買いたいな。でも最悪引越しか。」
引越しの覚悟です。其の費用は全然有りません。
第2会社を作って3年になっては居ますが銀行はお金を貸してくれるでしょうか。
好意的な口を聞いたはくれますがどうでしょうか。あたって砕けろ、彼は
旧会社の時に付き合っていた銀行全部と交渉を始めたのです。
世間は甘くは無い。殆どの銀行はお断りです。
ところが殆どが相手にもしない融資の話を、ある公庫が載ってきたのです。
「貴方と貴方の父親の自宅を一緒に担保にしてくれたら2億5000万、
20年返済で用立てします。それで工場を買い戻したらどうですか。
不動産価値は私どもも、M銀行さんの見方に賛成します。」
自分ばかりでない、関係の無い父親までを撒きこまねければならない。
其の上毎月150万が返せるだろうか。
引越しとの天秤はどうだろうか。
引越しよりまだ買ったほうがよいでは無いだろうか。
考えても理詰めで決まることでは有りません。
「銀行が担保で貸すと云うからには価値があるだろう。やってみることだな。」
決断したのです。
あれから4年一寸経ちました。
今期の決算も黒字を保てました。
彼の背水の陣の心中を従業員も感じ取ったでしょう。
工場の雰囲気が変わりました。
成形工場らしからぬ清潔です。そして何よりみんなにやる気が出てきたのです。
不動産はあれから上がり、又下がりました。
しかし売らずにもっているならば不動産価格なんて幾らでも構いません。
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