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<四国八十八箇所> 第18番札所 恩山寺

2024-04-18 07:15:17 | 巡礼

 「恩山寺」

 恩山寺(おんざんじ)は、徳島県小松島市田野町にある高野山真言宗の寺院。母養山(ぼようざん)宝樹院(ほうじゅいん)と号。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第十八番札所。

 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
 ご詠歌:子を生める その父母(ちちはは)の恩山寺 訪(とぶ)らいがたきことはあらじな
 納経印:当寺本尊、奥之院弁財天、摺袈裟(すりげさ)の授与
 歴史
 寺伝によれば聖武天皇の勅願により行基が開基し、当初は「大日山福生院密厳寺」と号する災厄悪疫を救う女人禁制の道場で、十九番霊場に向かって下る「花折り坂」より上は女性の立ち入りが許されなかった。

 弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)が当寺で修行していた際、訪問してきた母(玉依御前)のために、山門の近くの瀧にうたれて、一七日間(7日)の秘法を修し女人解禁の祈願を成就し、母を迎え入れることができ母の恩にこたえることができたことから恩山寺、そして、母に孝養をつくしたことから母養山、その記念に宝樹のビランジュを植樹したことから宝樹院と山号院号寺名を改め、自身の像を刻み安置し、「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓った。また、母が当寺で出家・剃髪しその髪を奉納したことから、「玉依御前の剃髪所」と云われた。

 文保2年(1318年)に源空によって再興された。

 天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失したが、江戸時代に入って徳島藩主蜂須賀氏の支援を受けて復興、文政年間(1804年 – 1830年)に現在の諸堂が建立された。

 境内

 山門(仁王門):車道から外れているが、遍路道上に建っている。
 本堂:前立仏が2014年に開帳された。
 大師堂:本尊は空海自刻と伝える。真言八祖像が脇仏として並んでいる。
 御母公堂:玉依御前像が祀られているが拝顔できない。
 地蔵堂:向って左側に釈迦の十大弟子像が、右に地蔵菩薩坐像と千体地蔵立像が祀られていてすべて拝顔できる。
 鐘楼
 毘欄樹:「弘法大師お手植え」と伝えられている。
 赤い橋を渡って右に山門があり、正面に毘欄樹が茂っている。遍路道はその左の坂道を登って行くと大きな修行大師像の立つところに出る。車は左上方へ上がると駐車場に出てそこから坂道を5分ほど歩いて上がると大きな修行大師像の前に出る。左手の数段の石段を上ると境内に入り、直進すると右手に手水場があり石段をさらに上り詰めた所に本堂が建つ。手水場手前まで戻って本堂を背にして右手先に大師堂が、その手前に御母公堂がある。納経所は大師堂と反対側の客殿の左にある。

 宿坊:なし
 駐車場:20台、バス4台。無料。

 文化財
 国の史跡

 阿波遍路道 恩山寺道:土佐街道から離れ恩山寺に向う間の約0.4 km。平成28年10月3日指定
 阿波遍路道 立江寺道:恩山寺から立江寺へ向かい土佐街道に再び合流するまでの間約0.5 km。平成28年10月3日指定
 県指定天然記念物
 恩山寺ビランジュ:昭和29年1月29日指定

 恩山寺  徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40

*Wikipedia より


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