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<経産大臣指定伝統的工芸品> 岐阜 岐阜提灯

2021-05-08 06:43:50 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「岐阜提灯」

 Description / 特徴・産地

 岐阜提灯とは?
 岐阜提灯は、岐阜県岐阜市で作られている提灯です。300年以上の長い歴史を誇っており、1995年(平成7年)には、その技術力の高さが認められて、国の伝統工芸品に指定されました。
 岐阜提灯の特徴は、美濃地方で作られる良質の美濃紙や竹を材料に、秋の花々や花鳥、風景などの細やかな絵柄が描かれていることです。材料となる美濃紙は、薄くて丈夫なことで昔から知られており、美濃紙それ自体も、国の伝統工芸品の指定を受けています。竹ひごはあくまで細く、紙はあくまで薄く、繊細で優美な形と絵柄があいまって、見る人に上品で清楚な印象を与える提灯です。
 お盆の時期には、盆提灯として各家庭などでも広く飾られているほか、照明やインテリアとして用いられることもあります。
 岐阜提灯は、御所提灯と呼ばれる、上からつりさげる卵型のものが代表的です。この御所提灯を指して、岐阜提灯と呼ぶこともあります。その他にも、丸い形の御殿丸や、三本の脚が付いた、据え置き型の大内行燈などもよく知られています。

 History / 歴史
 岐阜提灯 - 歴史 
 昔から、岐阜市のあたりは優れた和紙と竹の産地でした。このため、岐阜市では提灯と同様に、美濃紙と竹を材料とする和傘やうちわなどの工芸品も発達しています。
 岐阜提灯は、徳川三代将軍の頃には幕府に献上されたといわれています。その起源については、慶長年間(1596年~1615年)とする説や、1650年(慶安3年)とする説など、諸説あります。
 宝暦年間(1751年~1763年)には、岐阜町の提灯屋十蔵が、現在の岐阜提灯の形状につながる提灯を作り、尾張藩に納めていました。文政年間(1818年~1829年)には、草花などの彩色を施した岐阜提灯に人気が集まり、京都の公家の詠草にも詠まれています。
 その後も岐阜提灯は継続して作られていましたが、まだまだ高級品で、一般庶民まで広く普及するには至っていませんでした。岐阜提灯の名前が広く知られるようになったのは明治に入ってからです。1878年 (明治11年)に明治天皇の岐阜市行幸の際に目に留まり、そこから岐阜の伝統工芸品として全国に知られるようになりました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/gifuchochin/ より

 幕府・天皇家へ献上しつづけてきた精緻な美
 岐阜提灯は宝暦年間(1751~1763)に、岐阜の提灯屋十蔵が徳川幕府に提灯を献上してからその名を知られるようになったといわれる。岐阜提灯は数人の専門職の分業で作られるが、今回は、提灯の本体部分を作る「張師(はりし)」鈴村昭夫さんにお話を伺った。

 
 気楽な気持ちで岐阜提灯の世界に
 美濃地方で提灯が作られるようになったのは、薄く丈夫な美濃和紙と良質な竹が豊富にあったためで、その名が知られるようになった後も技術の改良が重ねられ、現在のような精巧優雅な岐阜提灯が完成した。岐阜提灯は江戸から明治・大正・昭和にかけて二百数十年にわたり幕府・天皇家に献上されてきた歴史を持つ。けれども、鈴村さんがこの世界に入った時にはそんな気負いは全くなく、気楽なものだったという。中学を卒業して就職するにあたって会社見学に来た時に提灯の製造工程を見て、図工や美術が好きな自分には向いていると思って入社したそうで、「伝統を守るとか古い歴史とかは全然考えませんでしたね。」それでも、3カ月もたった頃には張師としての仕事がだいたいわかり、仕事がおもしろくなっていった。


 細かい作業のオン・パレード
 「自分に向いていたんですね。」と鈴村さんは言う。張師の仕事は木型を組んで竹ヒゴを巻き、紙をはり、乾かしてたたむまでだが、実際に提灯を見ていただけばすぐわかるように、非常に細かい作業だ。ヒゴはヒゴで専門の職人が作るのだが、太さは0.6~0.7ミリしかない。このヒゴを木型に細かく刻まれた溝に沿ってらせん状に巻いていくのだが、針金と違って竹ヒゴには節があったり太さも微妙に違う。これを同じひっぱり加減で巻いていくのが難しい。竹ヒゴの長さはおよそ4メートルあるが、直径一尺の提灯を作るためにはこのヒゴを20回~25回も接がなくてはならない。糸で細かくしばって接ぐこの作業が手間がかかる。また、紙をはった後、上の張り輪と下の張り輪を結んだ糸に沿って余分なところをカミソリで切り取る。このときのとなり合う紙ののりしろはわずか1ミリ。丸い提灯を一枚の紙で貼っているのではないかと思うほどの、驚くべき精巧さだ。「覚えるまでは大変でしたね。」鈴村さんは何気なく言うが、一日にせいぜい5~6個しかできない手間ひまのかかる仕事である。


 岐阜提灯はそれぞれの専門職の技術の集積
 張師の鈴村さんがはっていた紙にはあらかじめ白い大輪の菊と黄色の小菊が描かれていたが、これは「摺込師(すりこみし)」という専門の職人が型紙を使って絵を摺り込んだものだという。よく見ると、花びら一枚一枚、葉のひとつひとつが微妙に摺りわけられている。何色も重ねるために、また立体感を出すために、時には100回近く型を重ねるのだという。また、無地の紙をはって作った提灯に後から絵付けをする方法もあるが、これは「絵付け師(えつけし)」の仕事だ。岐阜提灯の製造工程には数人の専門職がかかわっている。口輪や御所提灯の手板、行灯の台などを作るのは木地師(きじし)、その木地の加飾には、塗りは塗り師(ぬりし)、蒔絵(まきえ)は蒔絵師、といった具合である。「岐阜提灯の魅力は、それぞれの専門職が気持ちを込めて作ったものがひとつになるってことでしょうか。それぞれに技術のよいものが。」


 精緻な秋草の魅力
 鈴村さんは岐阜提灯の繊細な絵柄が好きだという。岐阜提灯に描かれる絵柄は、かつて提灯が照明器具として使われてきた時には花鳥山水や岐阜の鵜飼など。お盆や納涼に使われることが多い今は秋草が描かれることが多い。絵柄は変わってもその精緻な美しさは変わらない。「私たちには先輩から受け継いできた技術を伝えていく役割があると思います。伝えていきたいですね。」最初は伝統や古い歴史など全く考えずにこの世界に入ったという鈴村さんがはっきりとおっしゃった。


 職人プロフィール

 鈴村昭夫 (すずむらあきお)

 1950(昭和25)年生まれ。
 中学卒業後、明治初期から100年以上岐阜提灯を製造してきた(株)オゼキに入社し、以来30数年間、張師(はりし)として大小さまざまな提灯を作ってきた。

*https://kougeihin.jp/craft/1409/ より


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