いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ロン・ウッド

2021-02-26 07:26:50 | MUSIC

 「ロン・ウッド」

 1947年6月1日生まれの73歳

 

 Ron Wood(ロン・ウッド)|ローリング・ストーンズで一番陽気な男のちょっとシリアスな物語、ドキュメンタリー映画が作品化|国内盤Bru-ray/DVDオンライン限定10%オフ 掲載: 2020年08月24日 12:31

 Ron Wood(ロン・ウッド)

 昨年から話題に上っており、日本での公開はどういう形で実現するのか?と期待を集めていたロン・ウッド(以下ロニー)初のドキュメント映画『ロニー・ウッド・ストーリー~運命に愛された男~』が日本でBD/DVDの形でリリースされることが決定した。従来からあるロニーの陽気かつ賑やかで、時にふざけたりするものの誰からも愛される……といったキャラクターの背後にある、今まであまり知られていなかったシリアスな内面にも触れることができる意外さがあり、それ故に彼とその作品をより深く愛したくなるファン必見のドキュメントに仕上がっていた。

 監督は、マーティン・スコセッシの「ブルース・ムーヴィ・プロジェクト」中の一本であり、第二次大戦後の英国の白人にブルースがどう受け入れられていったかをテーマにした映画『レッド・ホワイト&ブルース』(2003年)も手がけていた英国人のマイク・フィギス。’95年のオスカー受賞作『リービング・ラスベガス』(主演はニコラス・ケイジ)の監督としても知られている人物だ。

 監督は冒頭、自らロニーとの対話を始めるに当たり、裏にいくつかのテーマとなる言葉が書かれたカードを選ばせる。そこで2番目にロニーが選んだカードは「Disaster(大惨事)」。そこで笑えるようなズッコケ・エピソードでも語ってくれるかと思ったら、彼が語り始めたのは、最初のバンド、バーズを始めた頃に不慮の事故で失うことになってしまった恋人ステファニーとのあまりにも悲しいエピソード。映画はそんな話も交えながら、彼の人生を辿っていく。当然、ジェフ・ベック・グルーブ~フェイセズ~ローリング・ストーンズというバンドをわたり歩いた輝かしい音楽キャリアが中心となるのだが、後半では癌、ドラッグやアルコール中毒からの「生還」というシリアスな話にも続いていく。

 ゲスト・コメンテイターは、昨年リリースしたチャック・ベリーのカヴァー・アルバム用のバンドで共演している歌手イメルダ・メイ、ロニーのリハビリも助けた芸術家のダミアン・ハースト、ロッド・スチュアート、ピーター・グラント、マルコム・マクラーレン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツに、現在の妻のサリー・ウッド。ロニーの幅広い交流関係からすると、エリック・クラプトンやボブ・ディランも出てきてほしかったと贅沢なことをつい考えてしまいそうになるが、話の内容も含めて、このラインナップでも十分に濃い。

 中でも最も注目を集めそうなのは、レッド・ツェッペリンのマネージャーとして知られた故ピーター・グラントと、セックス・ピストルズのマネージャーでもあった故マルコム・マクラーレンとの貴重な対話シーン。ジェフ・ベック・グループ時代のツアー・マネージャーでありながら同時期にニュー・ヤードバーズ~レッド・ツェッペリンの結成を画策していたグラントのここでの発言を巧みに使い、そこにロニーやロッド・スチュアートの発言も重ね、’69年のウッドストック・フェス直前を前にして瓦解してしまった第1期ジェフ・ベック・グループのゴタゴタを立体的に皆に語らせてみせるシーンは、驚きにあふれている。

 このマクラーレンとグラントの対話シーンは今回のドキュメントの監督マイク・フィギスも絡み、マルコム・マクラーレンの企画で製作が進められながら、グラントの遺族の反対もあって棚上げになってしまったピーター・グラントとレッド・ツェッペリンの幻のドキュメンタリー映画からの抜粋されたものだという。そして、その苦境からスモール・フェイセズ加入~フェイセズへの改名の経緯は盟友ロッドが語ってくれる。

 さて、最初に述べたような底流に流れている彼の死生観を背景にして考えることで、このドキュメント映画の中でロニー本人が語っている「私はずっと運命の手の中にいたし、適切な時に適切な場所にいた」と、謙虚にその幸運に感謝する彼の気持ちをより深く理解できるようになる実感がある。その幸運はただ次々と降ってきたのではなく、いつも彼の人生におけるギリギリの局面でやってきたものだったのだ。それを感じ取ることで、1956年の映画(邦題は『傷だらけの栄光』)を踏まえて語られたロニーの語りから取られたタイトル(同映画の中のセリフでは「オレはついてる」とも訳されているとか)に込められた意味も深く理解できるようになるだろう。

 ストーンズの映画『オレ! オレ! オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』のブラジルでのイヴァルト・クラナドとの交流のシーンでのロン・ウッド本人のシリアスな独白を観てハッとさせられたファンにはその豪華続編として観てもらってもいい。音楽的にも、ロニーのギター弾き語りシーンがふんだんに盛り込まれていたり、そのライフ・ストーリーに関する語りをスリリングに盛り上げるためにロニー自身によるオリジナルのインストゥルメンタルが使われていたりもする、という注目点もある。先のイメルダ・メイ、ピアノにベン・ウォーターズを擁しチャック・ベリー・カヴァー・ライヴの映像と彼のアトリエを含むコテージの紹介映像がボーナス収録。最後に歌われる彼のセカンド・ソロ・アルバムからの名曲「ブリーズ・オン・ミー」は涙なしに聴けない!

*https://tower.jp/article/feature_item/2020/08/24/0104 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒> 栃木 北冠/北関酒造

2021-02-26 07:23:23 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈栃木〉 北冠/北関酒造

 

 ご挨拶
 関東の北部に位置する栃木市は、江戸時代に江戸との舟運により商都として栄え、現在の基礎を築きました。今も川沿いには土蔵造りの蔵、街には店蔵が並び‘小江戸’と称される風情が色濃く残されています。そのような歴史と文化を育んできた栃木市で北関酒造は日本酒を造っています。
 当社では、日本酒の技術と伝統を継承し、一方においては安定した酒造りを念頭に置き、品質向上とその維持に努めております。
 美味しく満足していただけるお酒を皆様にお届けしたい‘心’と、蔵人たちの‘技’、そして日本のお米や日光山系からの伏流水などの‘自然の恵み’を三位一体とさせてこれからも酒造りに励んで参ります。

 北関酒造株式会社 代表取締役社長 小田垣 俊郎

 

 【北冠】の由来
 その昔、征夷大将軍 坂上田村麿が東征の途中に立寄り(現在の栃木市田村町)、戦勝祈願のため愛用の冠を当地に埋めたという古事のいわれに因み、【北冠】の名称が生まれました。

 北関酒造株式会社 栃木市田村町480番地

 ブランド一覧

 「北冠」 大吟醸・錦のしずく 大吟醸【無濾過・原酒】・大吟醸(原酒) など

 「蔵の街」大吟醸・純米吟醸

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 63.  南郷トマト

2021-02-26 07:11:51 | 食品

 登録番号 第63号 南郷トマト
 
 特定農林水産物等の区分 第2類 野菜類 トマト
 
 特定農林水産物等の生産地 福島県南会津郡南会津町、只見町、下郷町
 
 登録生産者団体 南郷トマト生産組合
 
 特定農林水産物等の特性 食味等の品質が良好で安定している夏秋トマト。京浜地区の青果市場で夏秋トマトの取扱量の上位を占める福島県産の中でも平均価格が1割程度高い。高品質トマトの生産等が高い評価。

 地域との結び付き 生産地は、昼夜の気温差が大きく、涼しいといった夏秋トマトの栽培に好適な自然条件。雨除け栽培や共同選果体制の確立、雪室予冷庫の整備など生産地の長年にわたる組織的取組が、トマトの食味などの品質の安定・向上につながっている。40年以上にわたり年間2千tを超える生産を継続。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i63.html より

 

 「南郷トマト」は、夏から秋に生産されるトマト(夏秋トマト)で、50年を超える栽培の歴史があります。
 「南郷トマト」は、食味などの品質が良好で安定していることが特徴であり、昭和50年代後半(1980年代)には、京浜地区の青果市場において品質等に対しての評価を獲得しており、夏秋トマトの取扱量の上位を占める福島県産の中でも平均価格が1割程度高く取引されています。

 「南郷トマト」は、食味や生産地での栽培の適合性を踏まえ、生産者団体が定めた品種を用います。
 気象条件により前後する場合もありますが、概ね5月から6月の間に生産地の圃場に苗(接ぎ木したものも含む)を定植し、栽培は雨除け用のハウスを設けて行います。
 なお、生傷があり果汁の出たものや軟化が顕著なもの、それらに準ずる品質の低下が確認された果実は出荷しないことしています。

 「南郷トマト」の栽培地は、標高が概ね350m以上の山間地、豪雪地帯として知られている地域です。平地に比べ涼しく、昼夜の気温差も大きいなど、トマトの果実が良好に発育する生産適地となっています。

 1962年、旧南郷村の有志14名がトマト研究会を立ち上げ、50アールの水田転作地で稲作の代替としてトマトの試作を行ったのが「南郷トマト」の始まりです。以来、雨除け栽培方法の導入や共同選果体制の確立、雪室予冷庫の整備など、長年にわたる組織的な取組によってトマトの食味などの品質の安定・向上が図られてきました。
 2018年4月現在、生産者は124戸、栽培面積は35haを有し、40年以上にわたり年間2,000トンを超える生産を継続しています。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/63.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<漢字検定> 1級 読み 1.回答 2.出題

2021-02-26 06:56:41 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 


 問1 瑰麗-かいれい-すぐれて美しいさま。あまり例がないほど、きれいなさま。  

 


 問2 烏鵲- うじゃく-カササギの別名。 

 


 問3 解傭-かいよう-雇い主が使用人に暇を出すこと。解雇。  

 


 問4 安佚-安逸-あんいつ-気楽に過ごすこと。何もせずに、ぶらぶらと遊び暮らすこと。また、そのさま。  

 


 問5 胡乱-うろん-
 1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。

 2 確かでないこと。真実かどうか疑わしいこと。また、そのさま。

 3 乱雑であること。また、そのさま。

 

 今回の出題

 

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 邏卒  

 

 問2 闃然  

 

 問3 間隙  

 

 問4 千仞  

 

 問5 蒐集

 


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<経産大臣指定伝統的工芸品> 東京 多摩織

2021-02-26 06:48:50 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「多摩織」

 多摩織の概要
 1.多摩織とは

 多摩織は、八王子市及びあきるの市の一部の地域で、伝統の技を駆使して作られる絹織物であり、その織り方によって、御召(おめし)、風通(ふうつう)、紬(つむぎ)、綟り(もじり)、変り綴(かわりつづれ)の5品種に分けられます。

 2.多摩織の特徴

 多摩織は、伝統的に渋い風合いのものが多く、軽くてシワになりにくいという特徴から、日常使いに向いた織物として古くから人々に愛されてきました。


 多摩織の材料
 1.生糸、玉糸

 2.真綿のつむぎ糸


 多摩織の歴史
 1.はじまり

 八王子市高月町には、天然記念物に指定されている樹齢400年の桑の木があります。この地域には昔から桑が多く自生しており、古くから養蚕と織物が盛んに行われてきました。八王子は桑の都と呼ばれ、この地域では様々な種類の織物が織られ続けてきました。
 また、この地域には、多摩川の支流である秋川や浅川が流れており、織物の生産に欠かせない豊富な水が確保されていました。

 2.発展

 江戸時代には、毎月4の日と8の日に定期的に絹市が立ち、地元だけではなく周辺地域からも生糸や繭、絹織物などが集まりました。
 江戸時代中期には、江戸の繁栄に伴って人や物の流通が増大し、八王子は、きもの地の一大産地として飛躍的な発展を遂げることになります。

 3.明治から昭和にかけて

 明治時代に入るとジャガード織や力織機を導入するなどの近代化が図られ、八王子織物は現代産業として一気に開花しました。その一方で、数百年の歴史を伝える織物の技法もしっかりと守り続けました。
 戦中戦後の混乱期を経て、壊滅状態から再出発をした八王子織物は、組合の統廃合や染色講習所(現東京都立八王子工業高校)の設立などによって地場産業としての地位を固め、昭和33年の「八王子織物工業組合」設立を経て今日に至っています。
 4.国の伝統的工芸品に指定

 1980年、多摩織は経済産業大臣より伝統的工芸品に指定されました。


 多摩織の5品種
 1.御召(おめし)

 御召とは、御召縮緬(おめしちりめん)の略称で、元々は柳条縮緬(りゅうじょうちりめん)と呼ばれていましたが、徳川家第十一代将軍の徳川家斉が好んで御召になったことから御召と呼ばれるようになりました。
 先染めの糸を用いた平織りの織物で、縮緬の白生地があと練で後染めなのに対して、御召は、糸の状態で精錬し、染めてから織った、先練の先染め織物です。

 2.風通(ふうつう)

 風通とは、異なる色の糸を用いて,二重組織の平織りとし,表と裏に同じ文様が異なる色で表れるように織ったものを言います。

 3.紬(つむぎ)

 紬は、くず繭から作られた真綿を手紡ぎにした糸で織られる丈夫な織物であり、糸づくり、糸染め、柄行(がらゆき)ともに素朴で、手のぬくもりを感じさせる肌合いが特徴です。

 4.綟り(もじり)

 縦糸をねじることで透かし模様を作る織り方です。 目が粗く通気性が良いため、夏用シャツや夏用タオルケットに使用されることが多いです。

 5.変り綴(かわりつづれ)

 綴織(つづれおり)とも呼ばれ、多色の緯糸を使い、複雑な模様を織り出すことができるのが特徴です。

*https://www.japan-kogei.com/tamaori-about.html より

*https://kougeihin.jp/craft/0110/ より

 着るほどに風合いが増す、本物の技術で織られた多摩織
 多摩川に晒す手づくりさらさらと――古くは万葉の東歌にも詠まれたほど、八王子は布や織物と縁の深い地である。奈良時代の古文書にも生糸や絹織物の産地として記され、安土桃山の時代には市に紬座が設けられていたという。歴史の香漂う八王子に、古の技を今に伝える職人を訪ねた。

  くわのみやこに青あらしふく
 そこは、不思議な空間だった。100年以上前、明治中期に建てられた工房兼住まいは路地の奥にゆかしいたたずまいを見せ、中庭には染め上がった練り糸が干されている。どこからともなく、とんとんからからと機(はた)の音。一瞬、民話の世界に迷い込んだかのような錯覚すら覚える。その「とんとんからから」を子守り歌がわりに育った、という澤井榮一郎さん。祖父の代から、この地で染めと織りを営んでいる。
 かつて桑の都と称された八王子。900年の昔、諸国行脚(あんぎゃ)に出た西行法師がこの地に立ち寄った際、「あさ川をわたれば富士のかげ清くくわのみやこに青あらしふく」と詠んでいる。今、住宅団地が密集し大学が立ち並ぶ丘陵地帯も昔日は一面の桑畑、青々とした葉が風にたなびいていたのだろうか。

 澤井榮一郎さんの自宅兼工房。100年を経ているという日本家屋は、どっしりと揺るぎない

 中庭では、染め工程半ばの糸が風に揺れていた

 立ち居振舞いをしても、しわにならない着物
 多摩織の5品種、お召(めし)・紬(つむぎ)・風通(ふうつう)・変り・綟り(もじり)のうち、お召織は全国の伝統芸能に従事する人たちの需要が高い。糸に特殊な強い撚りが入っているため、その反物で仕上げられた着物はしわにならず滑らか、所作がしやすいのだ。とくに能や歌舞伎の仕舞い、踊りなどに使われることが多い、と澤井さんはいう。
 「伝統的な工芸品の底に流れているものは、みな同じでしょう。本物の原材料を使って本物の仕事をすること。ごまかしたらおしまい、必ずボロが出るからね」
 綟り織は、別名粋紗ともいう。一流の芸妓さんが新橋などのお座敷に出るとき、この粋紗の着物を愛用する。じめじめ蒸し暑い季節、肌触りがさっぱりしているからと麻の着物を選ぶと、動いているうちどうしてもしわが出てしまう。それは、すこぶる無粋なこと。立ち居振舞いをしてもしわにならない、それが多摩織の一つの大きな特長だ。

 織物は、経糸と緯糸を一定の規則にしたがって交錯させたもの。澤井さんが手にしているのは杼(ひ)、織るときに緯糸を通すために使う道具だ

 手をかければかけるほど、絹は応えてくれる
 「小僧時分は随分鍛えられたよ」。澤井さんは修行時代を振り返って語る。
 「銀座や柳橋の呉服商へ、問屋の人とよく一緒に行ったもんだ。呉服屋にはおっかない番頭さんがいてねえ。ちょっとでもできの悪いものなんか持っていった日には、反物を放り投げて怒鳴る。だけど、極上のものを持っていくと、料亭でご馳走してくれるんだ。呉服屋さんにも大切な使命があるからね。固定客に悪いものは出せない。今にして思えば、何がよくて何が悪いのか、ものを見る目を養わせてもらったんだね」
 天然の絹の魅力は扱った者にしかわからない、とも。本糸・玉糸・真綿の紬糸という3種の糸を組み合わせていくのだが、その作業はまさしく糸と心通わせながら行うもの。気持ちをこめ手をかければかけるほど絹は応えてくれる、というのだ。

 本物は、着れば着るほど風合いがよくなっていく
 澤井さんの工房には、美術・工芸・服飾などを専攻する若い人たちが技術を習いにきている。生まれたときから何でもそろっていて、足りないものは買えばすむ。そんな世代だからこそ、自分で何かを作ること、生み出すことに新鮮な喜びを感じるのかもしれない。
 「ごく自然なことでしょう。50年たとうが100年たとうが、本物は続いていくんですよ」
 澤井さんの口からは、何度も「本物」という言葉が出た。ごまかしものは短命、本物だけが時代を貫いて生きていける――。厚みがなくて安っぽいテカテカの化学繊維に慣れきって、生き方まで薄っぺらくなってはいまいか。ふと我が身を振り返って、どきりとする。
着物だろうが洋服だろうが、ぱっと見ただけではなかなか真贋はわからない。でも、その見分け方は単純明解だと澤井さんは笑う。
 「着れば着るほど風合いがよくなってくるのが、本物。偽者のほうは、着れば着るほどくたびれてしまう。ただの消耗品だよ」
 日常で和服に親しむ機会が減っている今だからこそ、本物を見て、触れ、実際に袖を通してみたいもの。多摩織は、紛うことなき本物の輝きを放っている。

 でき上がった反物の風合いを確かめる澤井さん

 お召織の技法を応用して織ったスカーフ。絹は、比重が軽いうえに暖かいので好評だ

 職人プロフィール

 澤井榮一郎

 1921年生まれ。
 着てくれた人にほめられたときが、どんな勲章をもらうよりうれしい。息子さん夫婦とともに、染め・織りの仕事を続けている。

 こぼれ話

 織物から生まれた言葉たち

 私たちはふだん、さして気にも留めず「油を売る」「間髪を入れず」などの慣用表現を使っています。じつはそのなかに、織物に関する言葉がけっこう含まれているのです。たとえば、「腕に“より”をかける」。自信のある腕前をいっそうよく示そうと張り切ることです。“より”とは、まじえてねじり合わせることで、糸を撚(よ)ってより丈夫な織物に仕上げることを連想させます。「くだを巻く」は、糸車の管を巻く音がぶうぶうと音を立てることに結びつけて、酒に酔ってとりとめのないことをくどくど言うことです。また、絣柄を織る前の柄合わせの工程では、綾をとる作業をします。これがそのまま、糸でいろいろなものの形を表現する女の子の遊び「あやとり」になっていったのでしょう。日常生活のなかから生み出された言葉には、暮らしの実感がこもっています。こうして見ると、織り物が人々の暮らしの中核にあったことがうかがい知れます。

*https://kougeihin.jp/craft/0110/ より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

官僚接待はなくならない

2021-02-25 10:22:48 | 米屋の親父のつぶやき

 今話題の「官僚接待」問題。

 その昔「大蔵省接待汚職事件」というのがあった。

いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」(笑

 もう死語なんでしょうね?「ノーパンしゃぶしゃぶ」。

 単に「汚職事件」というより世間では「ノーパンしゃぶしゃぶ」の方が話題になったのでは?(笑

 

 社会問題化したため、いろいろ改革が行われた。

 財政・金融分離と大蔵省解体の一つの要因となった。大蔵省から銀行と証券の関連業務が分離されて金融監督庁(現金融庁)ができ、大蔵省は財務省になった。

 また、「国家公務員倫理法」が施行された。

そこには「国家公務員倫理規定」が明文化され徹底されたはずだった。

*https://japan-indepth.jp/?p=57411 より

 

 しかしいつの世も「民間」は「政治家」や「官僚」に便宜を図ってもらうため、さまざまな手を打つ。

 わきの甘い「政治家」や「官僚」は「意見交換」や「情勢把握」などと理由をつけて「接待」に応じる。

 あくどい「政治家や官僚など」は自ら求めることも。

 

 昭和のころは、「政治家や官僚」などなにかしら「力」を持つ者に対して「贈り物」が届けられることは「普通のこと」だった。

 百貨店からは「山のようなお中元・お歳暮」だけでなく、いろいろなものが送られたのも事実(笑

 「袖の下」は「挨拶や礼儀」だった文化が以前はあったのだ(笑

 また「接待」は文化だったのだ(笑

 

 ただ「エスカレート」さえしなければ、さほど問題にもならなかった。

 また「機密漏洩」や「便宜」がなければ問題ないが、「接待する側-民間」は「ただ」ではしないことだろう。ちゃんと「わきまえる」ことが必要なのだが、いつもいつもどちらかが「間違い」を起こすものだ。

 

 なのにまた「官僚接待」が露呈した。

 そして一番の「人身御供」として、「女性広報官」が。

 

 今回は「総務省」。

 証拠として晒された「会話の録音テープ」。

 これは「大問題」である。

 この「犯人捜し」は?

 報道側の「仕掛け」か?利用した店舗側の「甘さ」か?官僚側の「わきの甘さ」か?それとも民間側の罠か?はたまた不問にすると?

 

 しかしまだこれで終わってはいまい?

 「官僚上部」だけが処分されるだけでよいのか?

 やはり「民間側」へも処分が必要では?

 そして、「総務省」だけでなく、「全ての省庁」の官僚・職員に対して「調査」するべきなのでは?

 

 1つの「粛清」が行われてもおかしくないのでは?

 法律がなければ作ることも必要。「接待する側」に対する処罰で少しはおとなしくなるやも?しれないのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<漢字検定> 1級 読み 1.出題

2021-02-25 08:26:54 | 漢字検定

 今回より「1級 読み」。

 次の漢字(熟語)の読みを答えてください。

 

 問1 瑰麗  

 

 問2 烏鵲  

 

 問3 解傭  

 

 問4 安佚  

 

 問5 胡乱

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-イギー・ポップ

2021-02-25 08:16:22 | MUSIC

 「イギー・ポップ」

  1947年4月21日生まれの73歳

 ジェームズ・ニューエル・オスターバーグ・ジュニア(James Newell Osterberg Jr., 1947年4月21日 - )は、ステージネーム「イギー・ポップ」として知られるアメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、ボーカリスト、作曲家、音楽プロデューサー、俳優。過激なステージパフォーマンスで知られた同国のロックバンド「ザ・ストゥージズ」のメンバー。ソロミュージシャンとしても知られ、多くの作品を残している。

 ザ・ストゥージズ時代の業績により「ゴッドファーザー・オブ・パンク」とも呼ばれ、後世に大きな影響を与えていると同時に、本人も後輩のミュージシャンたちと積極的に交流し、ガレージロック、パンク・ロック、ハードロック、アート・ロック、ニュー・ウェイヴ、ジャズ、ブルースなど、数々のスタイルを取り入れている。

 ザ・ストゥージズ時代の「アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ(英語版)」「サーチ・アンド・デストロイ(英語版)」、ソロミュージシャンとしては「ラスト・フォー・ライフ (イギー・ポップの曲)(英語版)」「ザ・パッセンジャー (イギー・ポップの曲)(英語版)」などが代表曲として知られており、特にザ・ストゥージズ時代の代表曲は様々なミュージシャンにカバーされている。

 2010年、ザ・ストゥージズ名義で『ロックの殿堂』入り。
 2017年にフランス芸術文化勲章の最高位『コマンドゥール』を受章。
 ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第75位。
 Q誌選出「歴史上最も偉大な100人のシンガー」第63位。

 2020年、第62回グラミー賞 特別功労賞 生涯業績賞を受賞。

*Wikipedia より

 ちょっとマニアックなミュージシャンですよね(笑

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒> 栃木 開華/第一酒造

2021-02-25 07:50:56 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
 〈栃木〉 開華/第一酒造

 

 関東平野の北端「水と緑と万葉の町」、栃木県佐野市。
 古くから酒造りの町として知られているこの町で、創業延宝元年(1673年)と約330年余りもの歴史を持つ、県内最古の蔵元。
 平成10年より、全銘柄特定名称酒へ移行。小仕込みによる米・水・造りのすべてにこだわりを持った酒造りは、ふくよかで洗練された味わいの逸品を生み出しています。

 栃木県では、独自の優れた技術や製品を有する企業をフロンティア企業として認証する制度を創設しました。認証企業として第一酒造株式会社が認証を受けました。(認証技術:高級日本酒【特定名称酒】の製造)

 これは、弊社が平成10年より栃木県内では初めて全商品特定名称酒に移行。特定名称酒の法律上の原料・製法等の基準を、精米歩合や麹歩合等で更に厳しくした自社基準を設定。出荷する全商品が合致した商品となっており、「開華」らしい華やかで繊細な香りと旨みのある酒を造りだしていることが評価されたものです。

 また、全国新酒鑑評会での20年間で11回の金賞を受賞、酒造技能士一級(杜氏)保持者が4名在籍、農産物検査技師も在籍し米の等級検査も自社内で実施となっている、なども高い技術力の表れとして評価いただきました。認証企業として恥じぬよう、今後も商品の更なるレベルアップに努めて参ります。

 

 「開華」のおいしい3つの秘密
 県内で県内で最も伝統のある酒蔵は、米作り340年の歴史
 延宝元年(1673年)創業の栃木県内で最も歴史のある酒蔵ですが、創業時から農家でもあります。農業と酒造りが一体となって始まりました。蔵元自社水田で、田植えから収穫まで全て社員が行っています。

 日本名水百選にも選ばれた、全国でも有数な佐野市の良質な仕込水
 きれいな川水の条件は、山の地層が古くよく洗いさらされ、あまり溶け出さず、その山に木がよく生えている、いわゆる水源のかん養ができていることです。関東平野の北端に位置し古生層から流れ出す佐野市の水は、日本名水百選にも選ばれたとび抜けてきれいな水です。

 卓越した技術者集団
 杜氏資格の国家検定制度「酒造一級技能士」5名。
 栃木県で始まった「下野杜氏」(全十数名中)3名。
 独立行政法人酒類総合研究所認定「清酒の官能評価分析における専門評価者」1名。
 栃木県認定「とちぎマイスター」1名(酒類業界唯一)。
 お米の公式等級検査「食糧検査技師」2名。

 「関東の三銘酒」と言われる3つの理由
 全国新酒鑑評会 最多金賞受賞蔵(栃木県)
 全国新酒鑑評会は、日本酒業界最大規模の日本酒唯一の公式品評会です。明治44年以来、世界に誇る日本酒醸造技術伝承の目的で主に国主催で行われてきました。
 結果が確認できる昭和31年以降で17回。平成以降に限定しても14回の金賞受賞(平成25年現在)。
 これは栃木県内の最多金賞受賞です。

 北関東3県初の全商品が特定名称酒
 平成10年より北関東3県では初めて全商品が特定名称酒に移行しました。
 日本酒全体の中で特定名称酒は約30%ですが、開華では100%です。
 全商品が「開華」らしい華やかで繊細な香りとやわらかな旨みのある酒となっています。

 全国の酒蔵で唯一の政府認定米麦集荷業と食糧検査業
 全国の酒蔵では唯一の政府認定米麦集荷業者であり、近隣農家と直接契約してお米の集荷を行っています。数年前までは政府にしかできなかったお米の等級検査も自社で実施している全国で唯一の酒蔵です。

 「開華」の歴史
 江戸時代初期の延宝元年(1673年)に創業の栃木県内最古の老舗蔵元です。
 1673年は4代将軍徳川家綱の時代で江戸では呉服店「越後屋(三越の原点)」が開業。アメリカ独立宣言(1776年)までは100年以上あります。
 江戸時代、佐野のお酒は渡良瀬川から利根川への河川流通によって「地廻りもの」として江戸へ運ばれ、関東の酒処として栄えました。現在でも江戸東京博物館で当時の様子が見られます。

 長年にわたってご愛飲いただいている地元の愛飲家の皆様が、どんな開華を呑んでも、美味しいお酒で楽しんでいただけるようにとの想いから、平成10年より全商品を特定名称酒(吟醸酒、純米酒、本醸造など)と致しました。 香港向け輸出(平成5年)に始まり、現在では北米、欧州、香港、韓国、台湾、シンガポールなどの各国へ輸出されていますが、栃木県内への出荷が全出荷の約8割を占めています。

 第一酒造 栃木県佐野市田島町488番地

 ブランド一覧

 「開華」鑑評会出品酒・純米酒・純米吟醸・純米大吟醸 夢ささら-「夢ささら」使用 など

 「開華 みがき」特別純米酒(原酒) みがき竹皮・特別純米原酒 など

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 62.  山形セルリー

2021-02-25 07:45:25 | 食品

 登録番号 第62号 山形セルリー

 特定農林水産物等の区分 第2類 野菜類 セルリー
 
 特定農林水産物等の生産地 山形県山形市内
 
 登録生産者団体 山形市農業協同組合
 
 特定農林水産物等の特性 葉柄が太すぎず、成長しても繊維が柔らかく瑞々しくシャキシャキとした食感でえぐみ・苦みが少ない。長年にわたる個体選抜を行い特性を維持。

 地域との結び付き 山形市内に張り巡らされている山形五堰(水路)や蔵王山系の豊富な伏流水の汲み上げにより、セルリー栽培に必要な水を豊富に利用することが可能。生産者の努力の積み重ねによって、寒冷地である生産地の気象条件に合った採種や温度管理、施肥の手法を確立。良質なセルリーを継続して栽培し、東北随一のセルリー産地を形成。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i62.html より

 

 「山形セルリー」は、スラリとした形状で、葉柄が太すぎず、成長しても繊維が柔らかいセルリーです。
 食感はシャキシャキとして瑞々しく、また、えぐみや苦みが少ないため、甘味が感じられる柔らかい風味が特徴です。

 「山形セルリー」は、生産者団体が指名した熟練生産者により、姿形が優良な親株を選抜し、採種を行います。
 栽培は、春どりハウス栽培(収穫時期:概ね5月上旬~7月上旬)と秋どりハウス栽培(収穫時期:概ね10月上旬~12月上旬)の年二作を行います。
 出荷基準により、病害虫被害、その他の損傷が著しくないものを選定し出荷します。

 「山形セルリー」の栽培の歴史は、1968年に地域の若手生産者が、セルリーに着目し挑戦したことから始まります。彼らは、栽培技術を取得するために県外の専門家から技術を学び、1969年から山形市内で栽培を開始しました。
 生産地は、市内に張り巡らされた水路(山形五堰(1))や蔵王山系(2)の豊富な伏流水の汲み上げにより、セルリー栽培に必要な水を豊富に利用することが可能な立地でした。
 以後、生産者の努力の積み重ねによって、寒冷地である生産地の気象条件に合った採種や温度管理、施肥の手法の技術を確立してきた結果、東北随一のセルリー産地が形成されました。

 生産地では、1972年に宮城県仙台市場、1984年に東京市場へ出荷を開始し、市場・消費者からも高い評価を得るブランド産品となり、以後、45年以上セルリー栽培を継続しています。
 出荷量は2016年度で219tとなっており、若手の後継者も多く、生産量も年々増加しています。

 (1)山形五堰:山形県山形市内にある農業用水路。日本の「疎水百選」に認定されています。
 (2)蔵王山系:宮城県と山形県の県境に位置する連峰です。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/62.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする