はやいもので上海・華中を旅してもう30年になる。
メンバーは高校の同級生K、S、Y、私の4人。
そのうちKがいいだしっぺで「一度この仲間で海外旅行を」に、Sが「自分の工場は常州にあり、目をつぶっていても案内できる」に飛びつき中国旅行が決まったもの。
幹事役は私にまわり、その後が大変だったが。
というのも社長業のSが忙しい身の上なので、日程調整がうまくいかず結局、最後はSは参加を断念したし、「常州」を念頭においた計画なので制約だけが最後まで残る羽目となった。
当初、最低6名は集まる予定が、四苦八苦した揚げ句に三男をいれてもやっと4名で、催行6名の所を特別な計らいで4名のために全線随行ガイドまでつけてもらうことになった。
旅の詳報については、よろしければ拙HP「おおもったんの部屋」>旅まくら>上海と華中をクリックしてご笑覧ください。
何故今更中国旅行の話かと問われれば、同メンバー4名中3名を既に見送ったからに他ならない。
旅から帰って僅か2年後の1996年11月、まさかのいいだしっぺKが難病の遭い48歳という若さで。
2022年夏には東大阪に見舞うも、それが最期となってしまったS。
翌2023年年賀状で「お元気ですか」認めていた某大学の先生Yだが、その夏には彼の妻から訃報が届いた。
同旅行メンバー以外でも、
2019年春には無二の親友Uが、2024年春には同じく松山の友Tが旅立った。
享年99で天寿を全うした岳父の足元にも及ばぬが、晩年「一人、またひとりと去り、自分だけ長生きするのは辛いものがある」と宣った一言に身につまされる思いがする。
特に、自分も若く、亡くなった方も不慮の事故や病気で…となるとなおさらです。
でも、私もそれなりに年を重ねてくると、きちんとお別れをし、さらには故人を落ち着いて?偲ぶことができるようになった気がします。
いつまでも穏やかな日々が続くといいなとも思います。現実はいろいろありますが😅
それにしても、中国の旅は、ひたすら中味の濃い充実したものになりましたね。
出発までのアタフタ感もご本人には申し訳ないですが、拝読していて楽しかったです。
それに、素直な息子さんにも感心しました。🙌
ところで、omorinさんは備前焼にもさすがお詳しいのですね。(過去のホームページを拝見しました)
亡き母が焼き物が大好きで、実家にはあちらこちらの焼き物が、台所以外からも出てきます。😱😱備前焼や萩焼、唐津焼なども好みだったようです。
庭の剪定片付けにかかりっきりだったため、レスが遅れ失礼しました。
剪定手伝いは明日も続きます。
「生者必滅、会者定離は世の習い」といいますが、何とこの世は無常(無情)なことでしょう!
この歳になるとお別れが多く、その都度心が折れ、痛みます。
拙い旅行記をお読み頂き、お恥ずかしい限りです。
とんだお目汚し失礼しました。
⇑文中「2019年春には無二の親友U・・・」は、畝尾典秀のことです。
小生に備前焼の妙味を教えてくれたのが彼です。
ロクロと粘土を渡され自分なりの作品に挑戦をしたり、窯焚きの手伝いに行ったことなど思い出は尽きません。
以前の旅行記を又拝見しました。
なんと素晴らしい!これだけの国を旅して、特に中国を旅された友人は私の周りには居りませんので、生の体験を興味深く再拝見しました。
私が初めて海外に行ったとき、1ドル=360円でした。もう半世紀前になります💦
今は120円くらいでしょうか。
私のブログの方はすっかり引退状態となっておりますが、omorinさんとnoriさんのブログはいつも楽しませて頂いております
拙い紀行文で、さぞかし読み辛かったことと思います。
どうも失礼しました。
「旅まくら」のまえがきでも記しておりますように、弟が某旅行社で海外専門のツアコンをしていたお陰と感謝しています。
薄給をも顧みずせっせと年休をとっては大いに楽しませて貰いました。
当時、会社も有給有効活用を推奨しており、そのモデルケースとして2019年のアメリカ東海岸旅行でワシントンD.C.を訪ねた折のホワイト・ハウス前の記念写真が社報を飾りました。