相対式2面2線の地上駅で、改札口は各ホーム独立して設置されています。入場後の上り・下りの移動はできません。区間急行・準急・各停が停車します。ホーム有効長は8両。乗降客は9317人(2017年)です。
ホームに桜の木が...
ホームには大きな桜の木があり、季節になるととても美しく咲き誇ります。
下り側のホームには、柱・屋根のレールが美しいアールを描きます。
駅前が「中高野街道」。下りホームを降りるとお地蔵さんと伊勢灯籠(太神宮灯籠)が目に入ります。
かわいい駅舎の無人駅。
この駅どこでしょう?
〈解答は画面をクリックしてください〉
先ほどの中高野街道にある道標。この道を左に行くと「よしの(吉野)」へ、右に行くと「かうや(高野)」へ行けます。
駅から北北西に500m余りのところに、北條氏一万石狭山藩の陣屋跡があります。
また駅の北側に狭山池からの人工の河川、東除川が流れ、明治31年(1898)3月29日に高野鉄道が狭山~長野間を伸延させた時のイギリス積みの煉瓦橋梁(東除川暗渠)が見えます。(2018.3.30.撮影)
「ねじりまんぼ」というねじるような形で積まれているトンネルで、日本に30例位しか残らない貴重な文化遺産です。
〈写真をクリックすると「ねじりまんぼ」の煉瓦積みが見えます〉
駅から500m足らずで、桜の狭山池。(2019.4.5.池の西側から撮影)
推古天皇の御代(推古24年、616年頃)に築造された日本一古いため池と言われています。
大阪狭山市駅は実は4回も駅名を変えた珍しい駅なんです。
明治31年(1898)3月29日に高野鉄道(当時)が狭山~長野間を伸延。
大正6年(1917)1月11日に大阪高野鉄道(当時)が仮駅として「半田」駅を設けます。
大正6年(1917)7月5日に「河内半田」駅と改称の上、一般駅に昇格。
昭和13年(1938)5月1日に南海鉄道(当時)系の遊園地として、「狭山遊園」が開園。
昭和25年(1950)4月1日、南海電鉄が「狭山遊園前」に改称。
平成12年(2000)4月1日に「狭山遊園」が閉園。
平成12年(2000)12月23日、駅名を一般公募して、「大阪狭山市駅」に改称。
なつかしいいろんな歴史が見えてきますね。
撮影日:2019年9月3日ほか
事前に写真を撮って、館内学習で作りました。
2019年10月29日 ( 2019年度富田林百景+ 板谷 武史&林 保夫 )
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