富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

金剛山からの日の出-2015.12月

2016年01月08日 | 朝日・夕日

 2015.12.30.7:42 河内長野市木戸東町

手前に嶽山278mと金胎寺296.2mがあり、1125mの金剛山があまり高く見えないのが残念です。もう少し離れると金剛山がよく見えると思います。

 

 2015.12.20.7:36  2015.12.30.7:42 河内長野市木戸東町

 予想がほぼ当たり、頂上付近からの日の出です。

 

  2015.12.20.7:36 河内長野市木戸東町

頂上付近から朝日が昇ると、神々しいですね。

 

 2015.12.19.7:13 富田林市錦織南1丁目

日の出前の金剛山(1125m)と大和葛城山。

池に映った朝焼けが神秘的です。

 

 2015.12.19.7:11 富田林市錦織南1丁目

日の出前の朝焼け。金剛山がシルエットで...日の出前の朝焼けです。

 

2015.12.28.河内長野市木戸東町

高いのが金剛山。くびれは嶽山(左)と金胎寺山の鞍部。目白不動、願昭寺の金堂と五重塔がよく見えます。

 

 2015.12.29.7:16 河内長野市木戸東町

金胎寺山(右の一番高い部分)は富田林市最高峰 296.2m

金胎寺山の名は、明治の始めまで山裾にあった金胎寺に由来しています。

金胎寺の名前の由来はたぶん真言密教の剛界と蔵界の頭(かしら)を取っているようです。「両界曼荼羅」の両界ですね。密教における世界観を表しているようです。

金胎寺はもともと真言宗のお寺でした。江戸前期に融通念仏宗 錦渓山 極楽寺(河内長野市古野町)の末寺になっています。残念ながら、明治15年(1882)のお寺は廃絶しました。

そして、写真をじっくりご覧ください。何かに似ているとは思われませんか?

「つちのこ」ではありません。

よく見るとお釈迦様の涅槃像にさも似たり。

これ、江戸時代の人もそう思ったと、江戸時代の書物にも書かれているそうな。

 

 2015.12.29. 7:24 河内長野市木戸東町

ここから見る二上山は、雄岳・雌岳、仲睦まじく寄り添っているんですね。

 

 2015.12.29.7:15 河内長野市木戸東町

黒い雲がニョキニョキと現れました。

 

 2015.12.20.7:17 河内長野市木戸東町

朝焼け前の金剛山

 

 2015.12.20 7:35 河内長野市木戸東町

20分経って、日が昇りました。大阪で一番高い山です。今年は暖冬の影響で、冠雪や霧氷が少なく残念です。

 

 2015.12.20.7:21 河内長野市木戸東町

 日の出の前の静寂

 

 2015.12.20.7:39 河内長野市木戸東町

 日が昇り始めました。

 

 2015.12.30.7:45 河内長野市木戸東町

日の出はいつ見ても感動があります。1日のスタート、がんばろう。うまくいかないときは、あしたがんばろう!

 

関連記事: 新春の旭 - 金剛山からの日の出 2016.1.1.

2016.1月8日 (HN:アブラコウモリH)

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 〈リバイバル・アーカイブス... | トップ | 〈リバイバル・アーカイブス... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

朝日・夕日」カテゴリの最新記事