2013.11.27. 15:44 河内長野市寺元 檜尾山 観心寺
高野山真言宗 遺跡(ゆいせき)本山 観心寺 山門
もみじの老木が金堂に向かう階段の右側にあります。
大宝元年(701)に、役小角(えんのおづぬ)のより開かれ、その後大同三年(808)弘法大師 空海が当時を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請、弘仁六年(815)に空海は再度この地を訪れ、自ら如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」の寺号を与えたと言われています。
紅葉は木々によって若干の差があるものの、満開を少し過ぎて落葉が美しい時期でした。
階段や石垣の落葉には風情がありますね。観心寺は楠木氏の菩提寺でもあり、楠木正成公および南朝ゆかりの寺としても知られています。
階段を登り詰めると、程なく国宝 金堂です。いつでもあたたかく迎えてくれるこの金堂は、大阪府では最古級の国宝建造物で、室町時代初期に建立され、学校の歴史や美術の教科書でも「折衷様式」の建造物として紹介されていたことを思い出します。
金堂内部からの紅葉です。本尊として安置される国宝 木造如意輪観音坐像は、様式的に9世紀の作品と言われ、平安期の密教美術の最高傑作とされ、秘仏として1年に2日だけ公開されています。
毎年4月の 公開日(4月17日・18日)には、御開扉され、お坊さんのとても為になり、わかりやすい法話を聞きながら時間を過ごせるのが楽しみです。その時は法話の楽しさもあって、いつの間にか何時間が過ぎてしまいます。
建掛塔(たてかけのとう) 寺伝によれば三重塔建立の予定が、楠木正成が 湊川で延元(南朝)元年(1336)に戦死のため未完に終わるとあります。茅葺の塔は珍しく、檜皮葺や瓦葺より屋根の勾配がきつくなり、独特のフォルムをしています。茅葺は傾斜が緩いと雨漏りをしてしまうため、角度と厚みが必要です。
大楠公は楠木正成公のことです。 菊水の紋が印象的です。
この塔は初重と軒下の組物を付けたままで終わっていたのを、後代に屋根の小屋組みと茅葺の屋根が架けられたのだそうです。しかも、軒下の組物は正式の塔と同じ三手先ですが、垂木は簡易な丸竹で茅葺なので、そのアンバランスにびっくりします。文字通り、室町時代から「建てかけ」で、現在に至っています。金堂とのフォルムが対照的ですね。
その後、幾多の変遷を乗り越え、現在に至った奇跡。
天野山金剛寺と同じく、南北朝の動乱、畠山氏の内紛、信長の河内攻めなど 歴史の渦のなかを乗り越え、たおやかにその姿を今に伝えてくれる奇跡。
この貴重な文化財を伝えていかなければなりません。
天正期の貴重な石仏です。天正八年(1580)の銘があります。433年前、信長がこの世にいた時代、清州会議の2年前の作品です。
さりげなく時代の変遷に乗り越えてきた重み。
美しい自然
それに溶け込む歴史の重み
ほっとする、ひととき
力強さ
やさしさ
感じ方は、ひとそれぞれ...
そして、私たちの住む地域のお寺・神社には、それぞれの個性と歴史の重み、そして自然に溶け込んだやわらかさがあります。
( 2013.12.3. HN:アブラコウモリH )
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