2013.11.28. 7:12 南河内郡 河南町 弘川 弘川寺
河南町の南東部、葛城山の西麓に位置する谷あいの地に、弘川寺はあります。
天智天皇の4年(665)に、役 小角によって創建されたと伝えられ、天武天皇白鳳5年(676)、天武天皇は同寺に請雨の祈願を命じ、白鳳8年(679)の春行幸し、勅願寺となりました。
平安時代の弘仁3年(812)、弘法大師空海によって中興され、文治4年(1188)には空寂が後鳥羽上皇の病気平癒を祈願しています。翌、文治5年(1189)には空寂を慕って、歌人 西行法師がこの寺を訪れ、この地で入寂。境内に西行記念館(季節開館)があり、西行法師の足跡をたどることができます。
毎年一番のもみじの見どころ。深みがあり、彩りがきれいです。
寛正4(1463)年、河内国畠山氏の内紛に巻き込まれ堂宇を焼失しました。江戸中期、似雲法師は西行法師を慕って諸国をめぐり、当寺にに西行墳があるのを見つけ、西行堂を建立しました。また、似雲も西行と同じく、弘川寺に葬られています。
11月28日に訪問しましたが、ピークを2~3日過ぎた頃かと思われます。
本堂です。いろんな堂宇が集まっています。似雲が建立した西行堂はここから坂を登っていくと程なくあります。春は桜のきれいなところです。
本堂からの坂を登っていくと、順に西行堂→似雲墳・西行墳、歌碑→周遊路・西行桜山があります。
江戸中期に似雲法師が西行法師を慕い建立した「西行堂」です。
茅葺の屋根に1円玉が投げ入れられているのはなんででしょうか。そこそこ雨の降った次の日によく屋根から転げ落ちています。
西行法師のお墓です。小さな円墳のような感じです。近くに歌碑があり、「 願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ 」の有名な句が刻まれていました。
江戸中期、西行法師を慕い、西行堂を建立し、この地で入滅した似雲のお墓が尾根の中腹の開けたところに相対してあります。ここから周遊路に入ります。
周遊路を程なく登ったところ。見下ろすと春は桜、秋は紅葉がきれいなところです。
周遊路を降りて、もみじのいちばんきれいなところへ戻りました。
弘川寺へは富田林より車で20分、無料駐車場やトイレも完備されているので、ゆっくり拝観できます。
無料駐車場から見た弘川の集落です。写真の方向(南側)へ行くと、河南町下河内・上河内を経て、国道309号線 水越峠へ向かう道に合流します。
( 2013.12.4. HN:アブラコウモリH )
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