2014.9.2. 6:04 粟ケ池(あわがいけ→くり(栗)ではありません)より二上山を望む。
前日に近くの粟ケ池より撮影。
2014.8.7.5:25 富田林市美山台
ライジングサン 二上中央。ど真ん中からの日の出です。
2014.8.20 5:53 河南町一須賀
2014.9.3.5:37 富田林市宮町3丁目 美具久留御魂神社境内にて
早朝より参拝者が絶えない喜志の宮さん
2014.9.3. 5:35
雲が薄くかかっていれば、日の出の15分前に真っ赤な朝焼けが見られます。
2014.9.3. 5:38
きょうはきれいな朝焼けがでました。
2014.9.3.5:58
拝殿と長く尾をひく鳥居
2014.9.3.6:06 『神心和楽』 神人和楽かもしれない?
神心和楽なら、神の心と和して楽しむ。
神人和楽なら、神と一緒に和して楽しむでしょうか?
2014.9.3. 5:36 元禄六年(1693)の手水鉢
なんと321歳の手水鉢です。
12014.9.3. 6:05 寄進された灯籠
元禄九年(1696)、富田林寺内町の造り酒屋 河村家が寄進する。
「水分宮」は水(農業用水 平たく言えば水田の用水)に関わる神さんを祀っているので、江戸時代「水分宮(下水分宮)」と言われました。
2014.9.3.5:38
鳥居越しに朝焼けが見えます。
2014.9.3.5:54
雄岳のあたりから出ましたね。まだ左側にずれていますが、9月6日(土)には、真ん中から出ますよ。
2014.9.3.5:55
きれいな朝焼けです。9月6日のみえればいいのですが。
2014.9.3.5:34
たぶん今年誕生した神社のイメージキャラクター「みぐくるん」です。よろしくお願いします。
2014.9.3.6:06
神様と心を通わせる場所、美具久留御魂神社。先ほどの、『神心和楽』に通じるものがありますね。
二上山の双耳峰の独特の山容と、その中央の馬の背から出る太陽は、私たちへ太陽への敬愛と自然への畏怖の念をいだきます。
太陽の道の線上のあることでも有名な二上山と美具久留御魂神社ですが、竹内街道、王陵の谷、聖徳太子と小野妹子の御陵、広く開拓された条理地割、古代にさかのぼる粟ケ池とその水路網、喜志川面の剣先船の港など、歴史的な文化財も多くあります。
美具久留御魂神社は、「喜志の宮さん」の愛称で呼ばれています。歴史は古く、延喜式の神明帳に記載があり(式内社)、すでに平安時代から成立していたことは明らかです。社伝によれば紀元前88年、崇神天皇の用命で創建されたと言われる由緒ある神社です。
神社とそれをを取り囲む宮町は、、室町末には下之坊(しものぼう)をはじめとして11坊を擁する神仏の霊地となっていました。戦国時代には「下水分神境」とか「下水分寺内」とかで、禁制にでてきます。当時、大ケ塚や富田林が寺内町として成立していましたから、防御的な要素を兼ね備えた集落であったのかもしれません。「大伝法院 衆中」(根来衆のこと)と関係があり(天正元年(1573) 大伝法院快秀禁制より)、天正13年(1585)に豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火により社殿や神宮寺を 消失しています。その後、神宮寺は再び建つことはありませんでした。 江戸時代に入って、万治三年(1660)年に、75年ぶりに社殿の造営が成り、復興しました。
このように、歴史ののある神社とそれを中心とした集落はかなり古い時代から成立していたことがわかります。
まだ、暗いうちに多くの方々がお参りに来られます。きょうも気持ちのいい、さわやかな朝です。
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2014.9月04日 ( HN:アブラコウモリH )