平野郷 杭全(くまた)神社
だんじり祭りの中で、数少ない夏祭りの平野郷 杭全神社の地車祭。7月11日から14日の4日間の内、12日と13日に9町から9台の地車が出ます。13日が宮入り。
そして11日と14日は太鼓台と神輿(みこし)が町内を練り歩きます。
樹齢千年を超えていると云われる楠のの巨樹。大阪府の天然記念物。幹回りがなんと10m。
杭全神社の夏祭りは、「悪疫や地震・雷などの天災を鎮めようとして、平安時代初期に始まった祇園会(ぎおんえ)が次第に祭礼としての形を整え、賑わいを見せるようになったもの」だそうで、江戸時代中頃から神輿や太鼓台、だんじりを出し物とする現在の姿になったそうです。どうも収獲を祝う秋祭りとは違うようですね。
境内にある力石。
平野郷は街道筋にあるので、やたらと道標が多いです。
あちこちにある道標。「左 ふぢい寺 かしわら道」。
2023年7月12日 13:28 平野郷の環濠の周りを行く「市町」の地車。
新調地車のように見えますが、令和3年に大修理を終えた9町の中で一番古い地車です。
江戸後期の弘化二年(1845)に作られ、すでに178年経過しています。
後梃子(てこ)がないのが特徴です。
泥堂(でいどう)町の地車 大正九年(1920)制作。住吉の「大佐」制作の地車です。「泥組」の地車も百年経過しています。
後梃子がないので、コマ(車輪)を皆で力を合わせて滑らせ、方向を変えます。
平野の街中の路地は決して狭くはないのですが、地車が大きいので道いっぱいに進みます
にらみを効かす獅子。
こちらは「北組(野堂北町)」の地車 平成六年(1996)制作。
力の入る方向転換。前面に大太鼓が横に設置されているのが特徴です。
見慣れた石川型や岸和田の下地車とは趣を異にします。
鬼板の部分も獅子噛でなく、「兎の餅つき」になっていて、懸魚(けぎょ)も大きいですね。
「南組(野堂南町)」平成15年(2003)制作。
国道25号からの大通りを進みます。
幼稚園児に見送られて、背戸口町の地車。
辻で「北組」の地車と出会います。
背戸口町の地車は明治7年(1874)制作。三度の大改修を経て現在に至ります。
平野のアーケード街、全興寺(せんこうじ)前を子供たちが綱で引っ張ります。伝統を受け継ぐ子供たち。ほほえましい姿ですね。
全興寺に拝観の外人さんもちょっとビックリ。
古くからの商店街をゆっくりと進みます。
獅子噛が睨んでいます。
平野本通り商店街入り口で前に「おじぎ」で方向転換。
前後に高性能のブレーキが付いていて、スピードを出してブレーキを効かすと慣性で前倒しになるので、そのまま「おじぎ」ができます。ここの地車の得意技。
花代をいただくと、大阪締めで「ありがとう」。商店街ではたくさんの「ありがとう」をいただきました。
「馬場組(馬場町)」の地車。明治12年(1879)制作。
夕方ににわか雨があり、ずぶ濡れになりました。
みんなびしょびしょ、地車は濡れないよう、幌かぶせ。ちょっと残念。
7月13日 18:23 にわか雨も程なく止んで、「西脇組」ではこれから宮入りの出陣。
地車は9町で2番目に古い安政3年(1879)制作 しかも地車制作で名高い住吉の大佐の地車(住吉型)。
大工方がとても威勢がいいです。
さあ、これから祭りのハイライト、杭全神社への宮入りです。
このブログでは後編として宮入りの模様をお伝えします。
(当方は主に南河内の石川型の地車を取材しております。大阪市内の地車は不慣れなため、記載事項に誤りがある場合はお知らせください。)
関連記事:だんじり・祭り(26)
撮影:2023年7月12日、13日
2023年7月23日 HN:アブラコウモリH
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