~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

加齢なるギャップ

2006年07月13日 13時12分19秒 | 家族・友人等
このクソ暑いのに、朝からベルマークの作業だった。

前回ハサミが切れなくて切れなくて相当なストレスだったので、
今回はビニール等もちゃんと切れるものを持参したが、
ハサミとはまったく別のストレスが襲った。

小さい字が見えん!

ベルマークの大きさはそれはそれはさまざまだが、
お菓子についているもの、特に森永とロッテのものは小さい。
ロッテはおもにガムなので、大きさ自体が数ミリ×数ミリだ。
森永はチョコレート等いろいろなものについているのだが、
これの困る点は<25><26>のふたつの番号に分かれていること。
パッパとそれを区分していかねばならないが、<25>と<26>はちょっと目には分かりにくい。
よく「遠目には」という言葉があるが、わざわざ「遠目」にして判別しようとしている自分がいる・・・

老眼じゃあ~~~~


どおりでここんとこ、譜読み違いがあったのだな。
どおりでここんとこ、辞書ひくのが面倒なのだな。
どおりでここんとこ、料理が面倒なのだな。
どおりでここんとこ、掃除をするのがイヤなのだな。

ポストが赤いのもなにもかもローガンのせいなのだな。

ヤケクソきわまれり


走るパンやさん

2006年07月12日 17時49分48秒 | 雑感
このあたりにお住まいのかたならご存知かと思うのだが、
今日、久しぶりに「黄色いパンやさん」をつかまえた。
車にたくさんのパンを積んで移動販売しているのだが、
今のおじさんに変わってから、なかなかタイミングがあわず
気が付くと、走りさっていたのだった。

私    「やっとつかまえましたよ~」
おじさん 「すみませんねえ。人がいないと3分ほどで移動しちゃうもんで」
私    「おいそがしそうですね」
おじさん 「はい、おかげさまで、朝6時から夜10時まで働いております。体脂肪率もいい感じになってきて走るには都合がいいんですわ」
私    「走る?」
おじさん 「私、マラソンランナーなんですわ。60歳台の部では全国で10本の指に入ってます。毎日毎日走っております」
私    「ということは遠征もよくいかれるんですか?」
おじさん 「はい、もう名古屋からどこから。おくさん、一緒に走りませんか?
私    「・・・・い、いえ・・私、ピアノ弾いたり忙しかったりなんかするもんで・・(汗)」


私、過去いろいろなお誘いを受けたことありますが、マラソンランナーに「走りませんか」と言われたのは初めて。
もう500メートルも持たないのは目にみえてます(笑)。
それにしても、おじさん、朝6時から夜10時まではたらいて、かつ毎日走ってるってどんな生活なさってるんでしょ?
昨年コンペでご一緒した男性は「6時間弾いてまして、家族にいい加減にしろと言われてます」とおっしゃってましたが(子供さんも小さいようでしたので、まあ当然でしょうな)、
昨夜のテレビでも「毎日ヨーヨーを3時間練習する」お父さんが出てました。
「ハマッたおじさん」はすさまじい

くれぐれもそのエネルギー、みょーな方向にお使いにならないように。
ご家族も、健全なご趣味は大目にみてさしあげてくださいね。
・・わ、わたしですか?
おじさんのエネルギーには及ばないですけど、別にいかがわしいことはやってないので、ひとつ大目に

勇み足?

2006年07月11日 11時37分02秒 | ピアノ
今回コンペにあたって今までと方針を変えたことがひとつだけあります。

それは、パンティストッキングをはかないということ(爆)。

私は本番の時は、たとえトイレで着替えるハメになろうとも、
必ず衣装&靴持参なので、結構面倒です。
特に、たいがいパンツ姿で行ってロングスカートに着替えるので、
女性ならお分かりになると思いますが、靴下には困る。
以前はわざわざストッキングにはきかえていたのです。
でも考えてみれば、私が着るのはたいがいくるぶしくらいまでは確実に隠れるロングスカート。
パンティストッキングをはく必要はないのではないか?

というわけで、今回からおばさん御用達の、ハイソックス丈のものにしました。
がしかしですね、これもまた新しかったり長くはいていると膝下を締め付けられる感じがいただけない。
おとといのソロの前には、実はくるぶしまでくるくると巻いて順番待ってたわけです。

ところが・・・・
番号呼ばれて舞台上がって気付いた。
靴下くるくるのまんまじゃん・・・

困ってしまって階段上がったところでなんとか引き上げようと試みましたが、
ダメでした。
たぶん会場でご覧になっていたかたは「何をやってんだ?」と思われたことでしょう。

結構長いスカートだったので、足首が見えることはなかったと思うのですが、
これが微妙な丈だったら、足首くるくる丸見えでなかなかナイスな眺めになってしまってたかも。

この手のハプニングはほかにもありますが、
それはまたいずれ

第二次反省会

2006年07月10日 09時49分45秒 | ピアノ
昨日のソロは、すでに福岡で通過済ということもあり、
弾きなれた場所ということもあり、
福岡でのコメントに「もう少し強弱の幅を」とあったこともあり、
思い切ってやりたい放題に弾いてみました。
すると・・・・きました、きました・・ずばりのコメント(爆)。
いちおうことわっておきますが、点数自体は福岡よりずっとずっと良かったのです。

福岡では時間が相当制限されていて曲そのものは5分ちょっとしか弾けなかったのですが、
昨日は7分たっぷりかかる曲を最後まで(実はまだ弾けてないところまで・・爆)弾かされたので、コメントを書くにも余裕があったのか、
それはもうびっしり書いていただきました。
審査員は同じく5人。


ほめていただいたところは省略して・・

<フレーズについて>
○ ・・ところによっては、なめらかな大きなフレーズをもって音楽を表現する場所があると、より立体感がでるでしょう。
○ ・・途中やや乱暴に聴こえてしまったのですが、一度、スローテンポでフレーズを大事に弾く練習をしてみたらいかがですか。
○ ・・フレーズの終わりが時々切れたように聴こえましたので、最後までていねいに。

<音色ならびにそれにともなうテクニックについて>
○ ・・よく伝えたい主張の時、音の硬さを感じてしまい、その後の弱い流れにより、音色の変化(やわらかさ)を表現できましたら、流れの濃淡が一層鮮明に伝わってくると思いました。
○ 常に上から弾くのではなく下からのタッチも使ってみてください。
○ 音の出し方、fの時、体全体を使って深い音になるように。そばではたいている感じ。・・・体をもう少し起こして弾くときがあってもいいと思います。

<ハーモニーの作りかた、シューマンの音楽について>
○ もう少し、複旋律に気を配って、特に左手に気をつけてください。
○ 和音のバランスもよく自分で聴いてみてください。
○ 難しい曲ですから歌をみつけて思い切り歌わないとシューマンは人前で弾くの大変ですね。テクニックと歌の整理と思います。

<とどめとして・・>
ガムシャラに弾くことも集中力につながりますが、まず音楽としての美しさあった上での事です


本来の自分を取り戻したような気がいたしました。

 

こいばっかいは・・・

2006年07月08日 19時55分49秒 | 雑感
南九州の雨がすごいようだ。

昨日、避難所の方へのインタビューが放映されていたが、
「こいばっかいは、自然のことやっでいけんもならんもんなあ
(こればかりは、自然の起こすことなのでどうにもならないからなあ)」
と言っておられた。

私の記憶する限り、雨にしろ灰にしろ「こいばっかいは・・」といい続けて暮らしていたような気がする。
「梅雨は死人が出らんと明けん」という凄まじいことも聞いたことがある。

小学校の頃はバス通学だったのだが、このバスが山を切り開いたような崖下を通っていた。
なので、よく崩れた(爆)。
下校時、「○○地区の児童は、がけ崩れでバスが不通になっているので、別のルートで帰るように」といわれたこともある。
今考えると、がけ崩れが起こるような気象条件の下で登校し、親に迎えに来させるわけでもなく「別ルートで帰るように」というあたりが、信じられないくらいワイルドだが、
「集落ごと崩れてしまったので(これは私の住んでるところではなかったが)、児童は学校に待機しなさい」というものすごいこともあったので、
通学路にちょっとがけ崩れがあったくらいでは、そこまで丁寧な対応はしていなかったのかしれない。

こういうことを書くと、いったいどんなところに住んでいたのか・・と驚かれそうだが、県庁所在地の普通の分譲団地です(笑)。
小学校は平地で、わりあい由緒正しい地区にありました。

ニュースでは「がけ崩れで新幹線が止まったのは初めて」と騒いでいたようだが、
新幹線復旧後、母に電話をしてみたところ、
母「え、復旧したのは<つばめ>だよ」
私「・・・・・????<つばめ>は新幹線でしょ」
母「は?<つばめ>は特急じゃないの?」

新幹線、かたなし

良い子だったはずだが

2006年07月07日 12時03分37秒 | 家族・友人等
ボケの前兆なのかなんなのか、
ここのところ幼い頃のことをふっと思い出す。
ところがこれが、なんだかしょうもないものばかり。

私に関しては、母親は「いうことをきく子で育てやすかった」というのだが、
記憶をたどる限りこれは母の記憶違いか(爆)、願望と世間向けの発言なのでは・・と疑わしいこと限りない。

つらつら思い出すに・・・

○ 親のそろばんをふたつ履いてスケートごっこをしていた
○ 父の多量の蔵書で階段をつくり、「グリコ・チョコレート・パイナップル」ごっこをしていた
○ 鳩時計のおもりを引っ張って「井戸ごっこ」をし、壊した。
○ ナフタリンを食べてみた(もちろん吐き出したが)
○ ビンどめをコンセントに突っこんで遊んでいた

↑すべて親の見ていないところでやった。

○ 小学1年の時、男子VS女子でケンカをし、男子が傘立てに張ってある女子のネームをクレヨンで塗りつぶしたので、お返しに男子のネームをぐちゃぐちゃに塗りつぶした。
この日は、午後から市教委の視察がある日で、担任は烈火のごとく怒り、
犯人をあげて「すぐ家に帰れ!」と帰した(今ならありえないことだが)。
私は「いくら悪さをしたといえ、授業をきく権利はあるはず」とランドセルをしょったまま、教室のうしろに立ったまま帰らなかった。
○ 小学高学年の時、水泳の授業でもぐっていて男子の海パンをずるっと引っ張った(もちろん後ろから)
○ 小学高学年の時、女の子の机の中にヘビの抜け殻を入れて泣かした
○ 高校の時(まだやるか・・)黒板に寄りかかるクセのある教師がいた。
黒板のチョーク置きに、ラーフル(黒板消し)で<おしろい>よろしくチョークの粉をはたきつけ、寄りかかった時に、べったりズボンに線がつくようにした。

ちょっと思い出しただけでこれだけ出てくるのだが、これだけであるはずがない。
小学校高学年の時は、男子3人女子3人のグループで遊んでいた。
当時新設校と分離したばかりで、空き教室がたくさんあった。
今なら考えられないことだが、空き教室入り放題で、6人でつるんではトランプをやったり怪談ごっこをやったり、ろくでもないことばかりしていたので、
もしかしたら、「思い出してはならないこと」が脳のどこかに封印されているかもしれない(爆)。

これ、子供には読んでほしくないなあ(笑)。

第一次反省会

2006年07月05日 12時25分09秒 | ピアノ
講評がやっと届いた。

審査員は5人。それぞれ点数と講評を書いてくださる。
昨年までは技術点・芸術点に分かれていたが、今年からは一本化されていた。
点数に関しては、こんなものといえば、こんなものかなあという感じだった。

今回の快挙としては、ほぼ毎年書かれていた「ffの弾き方に注意しましょう」がなくなっていた。
いやむしろ
「腰を支えて体全体から音を出してください」というのがあり、「暴奏」を売りにしてきた私としては、
「これはもしや腰砕けな感じに映ったか・・」とちょっとうれしかった(殴)。
しかも
せんさいで美しい音楽作りで大変いいです
という目を疑うような1行もあって、死ぬまでに一度こういうことを言われてみたいという願望は達せられた(爆)。

共通の課題としては、
「(特に高音の)メロディーをしっかりくっきり響かせる」
「ダイナミックレンジを広げる(もっと広く遠くの音を聴く)」

散見された課題としては
「細かくペダルを踏む」「呼吸をもっと使う」「肩の力を抜く」

共通の長所としては
「テンポ・流れ・構成がよい」

ご心配をいただいている点としては
「強弱の幅をさらに作るのには、手に力が必要ですが、
無理をなさらないように


審査員の先生方、ありがとうございました。
さらに精進させていただきます。


聴いてこそ音

2006年07月04日 23時33分29秒 | ピアノ
毎年、この時期になると思うことなのだが、
コンペに出られる方はみな、それぞれに上手い。
止まったり、ミスったりはたとえあったにしても、おそるべきレベルに持ち込まれている。
ただ、ここからが難しいのだが、「いやあ、ほんとに上手く弾かれた」と思っても、それが良い評価につながっているとは限らない。
「これだからコンクールは嫌だ」と思われるのは自由なのだが、
私の言いたいのはそういうことではなくて、
たとえ指の回りが多少悪くとも、最初の一音で「おっ!」と思わせた方、
自分の中から生まれた音として楽器を鳴らしておられた方は、
聴衆もひきつけるし、審査員からの評価も高い。

いわゆる「音楽性」という言葉で片付けてしまうと
すべてが才能のおかげのようになってしまい凡人は黙するのみ・・になってしまうのだが、
一昨日のコンペで「おっ!」と思わせる音を出されていた方には、やはり姿勢に共通点があった。
自分の出した音をきちんと聴きながら曲を進めておられたのだ。
それは緊張はされていただろうし、ふだんのようにはいかなかったとは思うが、
音がフィードバックされている様子が、こちらにしっかり伝わってきた。
緊張してなおこの姿勢を保たれるというのは、
やはり普段から不用意には音を出されていないのだと思う。
「ああ、間違った。やりなおし」と機械的にただただ弾くことはされていない、と断言してもいい。

私など難しい曲になればなるほど、「機械的練習度」が高まって、フィードバックがおろそかになってしまうのだが、
「技術的なものもすべて<聴く耳>から発しているのだ、それをゆめゆめ忘れてはならない」とあらためて感じた。

理屈以前に、音楽は「聴く」ものであるという当たり前のことに立ち返った。


絵画初級編

2006年07月03日 23時23分41秒 | 家族・友人等
昨日は遠征から帰ってのち、家族と美術館へ行った。

ピカソやブラックをはじめとした、ふだんまとめて見る機会のない、
セザンヌ以降の絵画をおなかいっぱい見てきた。

親戚にそのスジのものがいるにもかかわらず、私自身はほんとに絵画には無知であり、
また絵といえば「へのへのもへじ」がやっとの下手クソであるので、
あまりまともに読んでもらっても困るのだが、
昨日は実に楽しく鑑賞することができた。

なによりの収穫は、キュビスムの絵を「奇怪」だとも「変わってる」とも思わなかったことだ。
町並みを四角形の平面の連なりで描かれたものも、
かえってそのほうが生き生き元の風景を想起させられるように思えたし、
ピカソの「ありえないような人面」も、
「そりゃひとかわ剥けばみんなあんなだよなあ。人間としてはこの方が自然だ」
と心底納得した。
これは子供のころはおろか、最近まで感じたことはなかったことだ。
いや、そう思おうと頭で考えても、どこか腑に落ちないところがあった。
いや~、年はとってみるもんです。
こんなことが自分に起こるなんて思ってもみなかった。

で、子供の方はどうかというとですね・・
3歳児は入るやいなや異様な雰囲気におじけづいて「帰るぅ」。
11歳児はとりあえず全部見てましたけど「刺激が強すぎて疲れた」。
なるほどねえ。
子供の方が抵抗ないのかと思ったが、そうでもないようだ。
絵の嗜好は音楽に負けず劣らずいろいろとは思うが、
どういうきっかけでツボにはまるのか・・これまた興味深い。

とにかく年をとるのも悪くない。