マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡へは、バスか徒歩。バスで片道30分。徒歩となると…まあ、時間があって、元気がある人は徒歩もいいと思います。レンタカーやタクシーは規制されているらしく、ついぞ見かけませんでした。
バス乗り場は、観光客が列を作っているのですぐに分かります。運行時間は朝の5時半ごろから午後5時半まで。バスに時刻表はなく、満員になったら出発。
マチュピチュ遺跡の定番写真の奥に写っている山が、「ワイナピチュ」。このワイナピチュへ登りたい人が異常に多い。険しい山なので、けが人があとを断たない。最近、日本人女性も大けがをした。そんなこんなで、ワイナピチュは1日400人という入山制限をしています。そんなわけで、朝の5時半からバスに乗ってマチュピチュへ着いていなければ、(ワイナピチュへ登ることができる400人には)入ることができない。マチュピチュ遺跡は6時から開くので、マチュピチュの遺跡を通ってワイナピチュの入り口でワイナピチュが開くのを待つことになります。なお、パスポートを持っていかなければ、早起きして400人以内に入っても入山できません。
マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡までの道は、「ハイラム・ビンガム・ロード」と呼ばれています。マチュピチュ遺跡発見者、ハイラム・ビンガムの名にちなんだもの。あたかも、日光のいろは坂のような道。狭くて舗装もされていない。世界遺産なので、舗装もガードレールの設置もできない。落ちたら100mも転げ落ちそうな箇所もある。上り下りのバスが交差できる場所も設けられているが…スレスレ。
30分ほど登り、もうすぐ終点マチュピチュ遺跡というところで、「見、見、見えたっ!」62歳にもなってこっぱずかしいが、「感動」しました。
マチュピチュ遺跡を、あの有名な、あの写真で見た、あの空中都市、あの空中の楼閣、あのインカの失われた都市…マチュピチュを自分の目で見ることが出来た…!
バスを下りて、10段ほどの石段を登ると、野球のダイヤモンドほどの広場がある。そこにマチュピチュ遺跡の入り口がある。入場料は、126ソル。これは、ソルでなければ受け付けていただけない。いくらUSドルでも歯が立たない。126ソルはおよそ4,000円。入場券の半券を持っていれば、その日は何度でも出入りできる。ただ、午後5時を過ぎると、「もう閉めますよ~、帰ってください」と、係の人に追い出される。
1440年頃(日本では室町時代)、標高2,400mの麓からは全く見ることが出来ない土地に、都市を造った!2万人が10年の歳月をかけて。そして1532年、スペイン人に征服されるまでの約90年間、人々の生活が続いていた。人々は突如姿を消した…。これについては疫病説その他があるが、実際は「夜逃げ」が最有力なのだそう。
その理由を聞いて頷けた。隔離された土地なので、細菌感染も、ウイルスの侵入もあり得ないのだそう。つまり、疫病説はシロ。マチュピチュ(遺跡)で暮らしていた人は、「選ばれた人たち」だったので、殺人やら暴動やらは起こらなかった。よって、スペイン人が来るという情報からの「夜逃げ」…間違いないでしょう。ちなみに、人口は500人だったというのが研究者の見解。遺跡の寝所のベッド数を調べると、500人という数字がはじき出されたという。
バス乗り場は、観光客が列を作っているのですぐに分かります。運行時間は朝の5時半ごろから午後5時半まで。バスに時刻表はなく、満員になったら出発。
マチュピチュ遺跡の定番写真の奥に写っている山が、「ワイナピチュ」。このワイナピチュへ登りたい人が異常に多い。険しい山なので、けが人があとを断たない。最近、日本人女性も大けがをした。そんなこんなで、ワイナピチュは1日400人という入山制限をしています。そんなわけで、朝の5時半からバスに乗ってマチュピチュへ着いていなければ、(ワイナピチュへ登ることができる400人には)入ることができない。マチュピチュ遺跡は6時から開くので、マチュピチュの遺跡を通ってワイナピチュの入り口でワイナピチュが開くのを待つことになります。なお、パスポートを持っていかなければ、早起きして400人以内に入っても入山できません。
マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡までの道は、「ハイラム・ビンガム・ロード」と呼ばれています。マチュピチュ遺跡発見者、ハイラム・ビンガムの名にちなんだもの。あたかも、日光のいろは坂のような道。狭くて舗装もされていない。世界遺産なので、舗装もガードレールの設置もできない。落ちたら100mも転げ落ちそうな箇所もある。上り下りのバスが交差できる場所も設けられているが…スレスレ。
30分ほど登り、もうすぐ終点マチュピチュ遺跡というところで、「見、見、見えたっ!」62歳にもなってこっぱずかしいが、「感動」しました。
マチュピチュ遺跡を、あの有名な、あの写真で見た、あの空中都市、あの空中の楼閣、あのインカの失われた都市…マチュピチュを自分の目で見ることが出来た…!
バスを下りて、10段ほどの石段を登ると、野球のダイヤモンドほどの広場がある。そこにマチュピチュ遺跡の入り口がある。入場料は、126ソル。これは、ソルでなければ受け付けていただけない。いくらUSドルでも歯が立たない。126ソルはおよそ4,000円。入場券の半券を持っていれば、その日は何度でも出入りできる。ただ、午後5時を過ぎると、「もう閉めますよ~、帰ってください」と、係の人に追い出される。
1440年頃(日本では室町時代)、標高2,400mの麓からは全く見ることが出来ない土地に、都市を造った!2万人が10年の歳月をかけて。そして1532年、スペイン人に征服されるまでの約90年間、人々の生活が続いていた。人々は突如姿を消した…。これについては疫病説その他があるが、実際は「夜逃げ」が最有力なのだそう。
その理由を聞いて頷けた。隔離された土地なので、細菌感染も、ウイルスの侵入もあり得ないのだそう。つまり、疫病説はシロ。マチュピチュ(遺跡)で暮らしていた人は、「選ばれた人たち」だったので、殺人やら暴動やらは起こらなかった。よって、スペイン人が来るという情報からの「夜逃げ」…間違いないでしょう。ちなみに、人口は500人だったというのが研究者の見解。遺跡の寝所のベッド数を調べると、500人という数字がはじき出されたという。