幼稚園児対象の、「グッピー」と名づけられた水泳教室…オムツは外れているが…大丈夫かなあ。ともあれ、水泳教室が無事終了。終了の挨拶のため整列した。「ありがとうございました」…この挨拶の後、解散となるのですが…。「ありがとうございまし」で、すでに帰りかける子が!さて、指導の先生はどうするか?私が見逃すはずがない。先生は、「○○ちゃーん!」と呼び戻し、あらためて、「ありがとうございまし」。「た」まで言わないうちにまた、「○ちゃんが動き出した。今度は先生の一人が○○ちゃんの横に張り付き、三度目の、「ありがとうございました」。これでようやく解散。
ギャラリー席の付き添いの人たちはこの様子をどう見たか?
「どうしてあそこまで厳しくやらなければならないの!」
おそらくそう思う保護者もおられたでしょうが、私は、「プールの先生良くやった!」と、思いましたね。
あのような躾をおろそかにすると、「規範意識が欠如した大人ができあがるのです」。
また武士道の登場かって?その通りです。プールの先生は、「残心」を教えたのです。「心を残す」「余韻を残す」…日本人が失ってはならない、「美」ですね。
「水泳教室が終わった、さ、帰ろう」ではなく、「水泳教室が終わった。心を落ち着けて、先生に感謝し、共に練習する仲間に感謝し、プールに感謝し、水泳そのものに感謝してから帰ろう」。
武道の場合、「卑怯なことをしない。驕らない。高ぶらない。試合相手がいることに感謝する」このことについては共通しているが個々に、残心のあり方がある。
柔道の場合、動作を終えて、次の動作に入るとき心を残す。試合中も、自分の体勢を崩さず次の攻撃を狙う。
剣道では、「一本取ってガッツポーズなどすると、驕り高ぶっている(残心がない)とみなされ、一本を取り消される事がある」。
弓道の残心は、「矢を射った後も心身ともに姿勢を保ち、目は矢が当たった場所を見据える」。
日常、「残心がない」と思うのは、「電話の応対」。躾けられている会社等の電話応対は、こちらが電話を切ってから受話器を置く。これは残心があります。ところが、官公庁が良くない。用件が終わったら、「ガチャン」。ガッカリします。
あと、訪問先で退出したとたんに大声で話し始めるのが聞こえたとき…なぜか淋しくなります。私が見えなくなるまで見送ってくれとまでは言わない。しかし、余韻を残してくれよ…。私の実践で申し訳ないが、来てくださった方が見えなくなるまで見送らせていただいております。一期一会ですから。名残惜しさの表現、余情残心です。
残心は、成長過程で自然に身につくことがあるが、身につかずに成長してしまっては不幸。幼少時から教えてあげなければね。
ギャラリー席の付き添いの人たちはこの様子をどう見たか?
「どうしてあそこまで厳しくやらなければならないの!」
おそらくそう思う保護者もおられたでしょうが、私は、「プールの先生良くやった!」と、思いましたね。
あのような躾をおろそかにすると、「規範意識が欠如した大人ができあがるのです」。
また武士道の登場かって?その通りです。プールの先生は、「残心」を教えたのです。「心を残す」「余韻を残す」…日本人が失ってはならない、「美」ですね。
「水泳教室が終わった、さ、帰ろう」ではなく、「水泳教室が終わった。心を落ち着けて、先生に感謝し、共に練習する仲間に感謝し、プールに感謝し、水泳そのものに感謝してから帰ろう」。
武道の場合、「卑怯なことをしない。驕らない。高ぶらない。試合相手がいることに感謝する」このことについては共通しているが個々に、残心のあり方がある。
柔道の場合、動作を終えて、次の動作に入るとき心を残す。試合中も、自分の体勢を崩さず次の攻撃を狙う。
剣道では、「一本取ってガッツポーズなどすると、驕り高ぶっている(残心がない)とみなされ、一本を取り消される事がある」。
弓道の残心は、「矢を射った後も心身ともに姿勢を保ち、目は矢が当たった場所を見据える」。
日常、「残心がない」と思うのは、「電話の応対」。躾けられている会社等の電話応対は、こちらが電話を切ってから受話器を置く。これは残心があります。ところが、官公庁が良くない。用件が終わったら、「ガチャン」。ガッカリします。
あと、訪問先で退出したとたんに大声で話し始めるのが聞こえたとき…なぜか淋しくなります。私が見えなくなるまで見送ってくれとまでは言わない。しかし、余韻を残してくれよ…。私の実践で申し訳ないが、来てくださった方が見えなくなるまで見送らせていただいております。一期一会ですから。名残惜しさの表現、余情残心です。
残心は、成長過程で自然に身につくことがあるが、身につかずに成長してしまっては不幸。幼少時から教えてあげなければね。