マチュピチュで雉撃ち?そ、それって雉じゃなくてコンドルじゃないかって?いいえ、「雉(キジ)」で正しいのです。桃太郎の家来になったあの雉です。
マチュピチュ遺跡を出て、昼食にしました。30分間バスにゆられてマチュピチュ村まで下りなくても、遺跡出入り口前に、「サンクチュアリーロッジ」があり、そこのレストランで食事ができるのです。なお、このロッジ、宿泊はかなり困難。数か月先まで予約が入っているのだそう。一泊一部屋10万円以上。この10万円以上には、レストランでの飲食はもとより、ルームサービスも含んでいる。ただ…これはマチュピチュ村のホテルも同じだと思うのですが、バスルームにバスタブがない。つまり、シャワーオンリー。
この、サンクチュアリーロッジで昼食をいただいたのですが、ビュッフェ方式で、33ドル。つまり、3,000円近い。ペルーで昼食に3,000円をかけるのは…なかなかないことで…。マチュピチュ村までバスに30分揺られて下りなくてもいいから多少高くても、観光客のみなさんはここで昼食をとる。大変な混みよう。ビュッフェの料理もさすがに良かった。ダチョウのモモのローストがあり、切り分けてくれたりして…。
2,400メートルなら高山病にはならないだろうから腹八分目にする必要がないので、満腹させていただいた(標高の高いところで満腹だと、高山病の症状がきつくなる)。そして、食休みもそこそこに、再びマチュピチュ遺跡へ入った(購入当日であれば、半券があれば何度でも出入りできる)。
目指すは、「インティプンク」。インティプンクは太陽の門。マチュピチュ遺跡から、片道1時間ほどインカ道を登った所にある。オリャンタイタンボから2泊3日のトレッキングで来る人は、3日目にこのインティプンクでマチュピチュ遺跡の全景を見ることになる。2泊3日歩いてきて、マチュピチュを見る…感動するでしょうねえ!
さて、インティプンクまでのインカ道を登っている最中、腹の具合が悪くなってきた。満腹のあと、食休みをせずに登山をはじめたから…?内臓には毛が生えているので、すぐに治まるだろうと歩き続けた。そうしているうちに、冷や汗が出始めた。それでも、どうにかインティプンクに到着。インティプンクから見るマチュピチュ遺跡がまた素晴らしい。(バスで登ってきた)「ハイラム・ビンガム・ロード」の13曲がりもよく見えた。
ん?やはり腹具合が…雉撃ちの場所を探し始めた。マチュピチュ遺跡内にはトイレは皆無。登山客がたくさんいるので、適当な場所が見つけられない。そうこうしているうちに、絶好の場所を発見!し、し、しかし先客が!これにはたまげた。20歳前後の白人の女性が、「ハーイ!」。堂々と雉撃ちしていた。彼女は、私に向かって、「あなたも雉撃ち?」と、声をかけてきた。不意を突かれた私は、正直に、「イ、イ、イエス…」。まさか、二人並んで雉撃ちをするわけにもいかず、わたしは自分の場所を開拓するしかなかった。
なんとか、窮地を切り抜けてインティプンク→マチュピチュ遺跡までの下山を開始。しかし、なんともエンジンの回転数が上がらない。あとから出発した雉撃ち娘に追い越されてしまった。雉撃ち娘は、私を記憶しており、「ハ~イ!上手くいったようね」と、満面の笑みで握手を求めてきた。私も笑顔を返したが…こういうのを臭い仲というのだろうか…。
そのあとがまた大変だったのです。往復で2時間かけてマチュピチ遺跡へ戻った。私としてはそのままバスでマチュピチュ村へ帰りたかったのだが、同行の家人が、「インカ橋へ行こう」と、言い出した。遺跡からインカ橋までは、インカ道を片道20分歩かなければならない。「腹具合が…」と泣き言を言っても、「気のせい、気のせい!」と一笑に付されるに決まっている。売られていく牛のように、トボトボと家人の後ろをインカ橋へ向かって歩き始めた。
断崖絶壁に、人が一人通れる程度の道がある。そして特に急峻な一カ所に、道をつけず丸太橋を架けた。敵がその道を通って攻めて来たとき、丸太橋を外して攻撃を食い止める算段。その橋が「インカ橋」。崖を削った道ではなく、なんと谷底から石を積み上げて橋脚を造り、橋を渡している。落ちたら命はない。それにしても、どうやって石を積み上げたのか?100m以上も…。
道も危険だが、腹具合も悪い。しかし、そこは精神力で乗り越えた。どうにか、インカ橋まで行って遺跡へ戻り、最終便である午後5時30分のバスに間に合ってマチュピチュ村へ帰ってくることができました。
ところがその夜…
マチュピチュ遺跡を出て、昼食にしました。30分間バスにゆられてマチュピチュ村まで下りなくても、遺跡出入り口前に、「サンクチュアリーロッジ」があり、そこのレストランで食事ができるのです。なお、このロッジ、宿泊はかなり困難。数か月先まで予約が入っているのだそう。一泊一部屋10万円以上。この10万円以上には、レストランでの飲食はもとより、ルームサービスも含んでいる。ただ…これはマチュピチュ村のホテルも同じだと思うのですが、バスルームにバスタブがない。つまり、シャワーオンリー。
この、サンクチュアリーロッジで昼食をいただいたのですが、ビュッフェ方式で、33ドル。つまり、3,000円近い。ペルーで昼食に3,000円をかけるのは…なかなかないことで…。マチュピチュ村までバスに30分揺られて下りなくてもいいから多少高くても、観光客のみなさんはここで昼食をとる。大変な混みよう。ビュッフェの料理もさすがに良かった。ダチョウのモモのローストがあり、切り分けてくれたりして…。
2,400メートルなら高山病にはならないだろうから腹八分目にする必要がないので、満腹させていただいた(標高の高いところで満腹だと、高山病の症状がきつくなる)。そして、食休みもそこそこに、再びマチュピチュ遺跡へ入った(購入当日であれば、半券があれば何度でも出入りできる)。
目指すは、「インティプンク」。インティプンクは太陽の門。マチュピチュ遺跡から、片道1時間ほどインカ道を登った所にある。オリャンタイタンボから2泊3日のトレッキングで来る人は、3日目にこのインティプンクでマチュピチュ遺跡の全景を見ることになる。2泊3日歩いてきて、マチュピチュを見る…感動するでしょうねえ!
さて、インティプンクまでのインカ道を登っている最中、腹の具合が悪くなってきた。満腹のあと、食休みをせずに登山をはじめたから…?内臓には毛が生えているので、すぐに治まるだろうと歩き続けた。そうしているうちに、冷や汗が出始めた。それでも、どうにかインティプンクに到着。インティプンクから見るマチュピチュ遺跡がまた素晴らしい。(バスで登ってきた)「ハイラム・ビンガム・ロード」の13曲がりもよく見えた。
ん?やはり腹具合が…雉撃ちの場所を探し始めた。マチュピチュ遺跡内にはトイレは皆無。登山客がたくさんいるので、適当な場所が見つけられない。そうこうしているうちに、絶好の場所を発見!し、し、しかし先客が!これにはたまげた。20歳前後の白人の女性が、「ハーイ!」。堂々と雉撃ちしていた。彼女は、私に向かって、「あなたも雉撃ち?」と、声をかけてきた。不意を突かれた私は、正直に、「イ、イ、イエス…」。まさか、二人並んで雉撃ちをするわけにもいかず、わたしは自分の場所を開拓するしかなかった。
なんとか、窮地を切り抜けてインティプンク→マチュピチュ遺跡までの下山を開始。しかし、なんともエンジンの回転数が上がらない。あとから出発した雉撃ち娘に追い越されてしまった。雉撃ち娘は、私を記憶しており、「ハ~イ!上手くいったようね」と、満面の笑みで握手を求めてきた。私も笑顔を返したが…こういうのを臭い仲というのだろうか…。
そのあとがまた大変だったのです。往復で2時間かけてマチュピチ遺跡へ戻った。私としてはそのままバスでマチュピチュ村へ帰りたかったのだが、同行の家人が、「インカ橋へ行こう」と、言い出した。遺跡からインカ橋までは、インカ道を片道20分歩かなければならない。「腹具合が…」と泣き言を言っても、「気のせい、気のせい!」と一笑に付されるに決まっている。売られていく牛のように、トボトボと家人の後ろをインカ橋へ向かって歩き始めた。
断崖絶壁に、人が一人通れる程度の道がある。そして特に急峻な一カ所に、道をつけず丸太橋を架けた。敵がその道を通って攻めて来たとき、丸太橋を外して攻撃を食い止める算段。その橋が「インカ橋」。崖を削った道ではなく、なんと谷底から石を積み上げて橋脚を造り、橋を渡している。落ちたら命はない。それにしても、どうやって石を積み上げたのか?100m以上も…。
道も危険だが、腹具合も悪い。しかし、そこは精神力で乗り越えた。どうにか、インカ橋まで行って遺跡へ戻り、最終便である午後5時30分のバスに間に合ってマチュピチュ村へ帰ってくることができました。
ところがその夜…