アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

泣かせられ、あきれさせられ…心は体のどこにある?

2010年10月11日 | Weblog
 小学生の頃、担任が、「心は、体のどこにあるか?」という質問をした。私は、即座に「頭」と答えた。ところが、担任は、「バカこの!」と一喝。心臓のあたりを指さし、「ここにあります」と答えた子が、正解だとして褒められていた。あれから50数年、いまだに心が本当に心臓部分にあるのか…先生がウソをつくはずがないのでしょうが…。

 毎日新聞の、「近事片々」から…(文面通りではありません)
 昨年、10歳の息子さんがひき逃げされて亡くなった。母親は、息子さんが生前、「甘栗を買ってぇー!」とねだったことを思い出した。そのとき、母親は、「ダメ」と言って買ってあげなかった。「あのとき、買ってあげればよかった…」買い物中のスーパーでぼろぼろ涙を流し泣いた。…そのような記事が新聞に載ったのだそう。

 その記事に心を打たれた東京都の渡邉という方が、「甘ぐりを供えて」と、3,000円入りの封書を母親へ送った。母親は、渡邉さんの心を、天国の子への手紙に込めた。そして、「お母さんは頑張って生きてみます」と…。

 ねだる子に買ってあげるのは簡単なこと。「ダメ」「我慢しなさい」これを言うのは正直辛いことです。本心は、買ってあげたい。しかしそれでは、子供はおかしな伸び方をする。親の責任として、我慢させる…。我慢させた子が先立ってしまった。あのとき買ってあげればよかったなあ…悔やんでも悔やみきれない。

 渡邉さんが、3,000円を送った。渡邉さん御自身も、子供さんにねだられ、心を鬼にして我慢させた経験がおありなのでしょう。やむにやまれず、封筒に3,000円をねじ込んで送った。金額の問題ではなく、その行為が打ちひしがれていた母親に、「頑張って生きてみます」と決意させたと思います。心は、行為で十分通じるものなのですね。

 行為で心を伝えたかったが、心が全く通じないどころか、不信感をもたれる事態になった。
 長浜市(滋賀県)が、今年の敬老の日に合わせ、お年寄りに祝賀品として歩数計をプレゼントしたところ、「寝たきりだから使えない」「足が弱った年寄りに、皮肉か」などと苦情が相次いだ…。

 どうしてこのようなことになったか?「目線」が1mもずれている。「歩数計、いいんじゃないの。たくさん歩いてますます健康になってということで喜ばれると思うよ」…とまあ、高齢福祉介護課は考えたのでしょう。贈られる方の目線など考えていない。つまり「心」がない。
9月15日時点で88歳、90歳と99歳以上の市内在住者への贈り物です。該当者は御高齢。健康状況を把握していなければなりません。失礼ながら、歩数計を付けて歩ける人が何人おられるの?「歩数計を使えるほど健康になって、との願いを込めたと聞いている」と市長が言っていた。市長さんにお尋ねしたい。99歳を越え寝たきりとなって、「…この歩数計を使えるほど健康になって」と言われても…「心」が伝わりますか?「バカにしているのか!」と、血圧を上げてしまいますよ。

 1,000円札1枚でいいから、「些少ではございますが、敬老の日のお祝いでございます」これでいいのです。99歳が1,000円もらってもしょうがないと思う人がいたとしたら、その人の目線も高さが違う。自分で使わなくても、日頃世話をしてくれる人へ心遣いができる。「果物でも買って食べなさい」いただいた方も、1,000円をいただいたのではなく、「心」をいただいた。歩数計よりどれだけ心が伝わるか。

なお、歩数計に添えていた祝賀状の敬老の日の日付を、9月15日としていた(正しくは、9月20日)。いかにたるんでいるか?「祝意の心」など、みじんも感じられない。機械的に作業し、チェック体制も機能していない。なんなんだ!

 甘ぐりのお話では泣かされました。しかし、歩数計の市には憤りを感じました。それにしても、「心」は人体のどこにあるのか?正解が分かったような気がします。「心=体」ではないでしょうか。どこかの部分にあるわけではない…。