ラジオを聴いておりましたら…
「勉強が好きな子など、いるはずがない」と。
誰が言ったかって?お調子者の司会者だったかなあ。今は、「パーソナリティ」というらしいが。
今の時代に、「勉強が好きな子がいるはずない」と、真実を突いているかのように言う奴がいて、公共の電波を使って日本中に流す…犯罪とも言える行為です。
子どもに限らず、人は皆、基本的に「勉強が好き」です。決して、奇をてらってはおりません。
知識を得る、技能を習得する…実に楽しいものです。これは、勉強です。人は皆、大好きです。
「勉強が嫌い」という子がいたとしたら、それは、勉強が嫌いなのではなく、「先生が嫌い」なのです。なお、「勉強ができない(不振)」と、「勉強嫌い」は、全く別のものです。
近年、教育の場では、「褒める」ことが強調されております。これは、正しい。恥ずかしながら、還暦を過ぎた私でさえ、褒められると嬉しい。「よーし!がんばるぞーっ!」と意欲が湧いてきます。まして、子どもは褒められると有頂天です。先生大好き、勉強大好き!
ですから、教員は、一日に一つでいいから児童生徒を褒めていただきたい。
褒めどころがない?そんな場合は、「今日もよく学校へ来てくれたね、ありがとう。えらいぞーっ!」これでいいのです。
教員に褒められなかったらどうなるか?私が小学生の頃先生によく言われたのは… 「こんな簡単なこともわからんのか、このバカ!」
「もう忘れたのか、この鳥頭(とりあたま)!」
(注:鳥頭は、物忘れの激しいこと。記憶力の弱いことのたとえ。「鶏は三歩歩けば忘れる」ということわざからきたもの)
で、私はその先生が好きではありませんでしたが、勉強は大好きでした。
司馬遼太郎のエッセーによりますと…
中学の英語で、「New York」が出てきた。司馬遼太郎は、「この地名にはどんな意味がありますか」と、先生に質問したのだそう。
先生は大変な怒りようで、「地名に意味などあるか!このバカモノ!」…!
これはないですよ。で、司馬遼太郎は泣きながら帰宅したかというと…なんと、家へ帰る途中、図書館へ寄って地名の由来を調べたという。非凡なところというより、勉強が好きだからの行動でしょう。
いわく、「私の学校ぎらいと図書館好きはこのときからはじまった」。
つまり、褒められなくても、「勉強は好き」なのです。
「勉強が好きな子など、いるはずがない」と。
誰が言ったかって?お調子者の司会者だったかなあ。今は、「パーソナリティ」というらしいが。
今の時代に、「勉強が好きな子がいるはずない」と、真実を突いているかのように言う奴がいて、公共の電波を使って日本中に流す…犯罪とも言える行為です。
子どもに限らず、人は皆、基本的に「勉強が好き」です。決して、奇をてらってはおりません。
知識を得る、技能を習得する…実に楽しいものです。これは、勉強です。人は皆、大好きです。
「勉強が嫌い」という子がいたとしたら、それは、勉強が嫌いなのではなく、「先生が嫌い」なのです。なお、「勉強ができない(不振)」と、「勉強嫌い」は、全く別のものです。
近年、教育の場では、「褒める」ことが強調されております。これは、正しい。恥ずかしながら、還暦を過ぎた私でさえ、褒められると嬉しい。「よーし!がんばるぞーっ!」と意欲が湧いてきます。まして、子どもは褒められると有頂天です。先生大好き、勉強大好き!
ですから、教員は、一日に一つでいいから児童生徒を褒めていただきたい。
褒めどころがない?そんな場合は、「今日もよく学校へ来てくれたね、ありがとう。えらいぞーっ!」これでいいのです。
教員に褒められなかったらどうなるか?私が小学生の頃先生によく言われたのは… 「こんな簡単なこともわからんのか、このバカ!」
「もう忘れたのか、この鳥頭(とりあたま)!」
(注:鳥頭は、物忘れの激しいこと。記憶力の弱いことのたとえ。「鶏は三歩歩けば忘れる」ということわざからきたもの)
で、私はその先生が好きではありませんでしたが、勉強は大好きでした。
司馬遼太郎のエッセーによりますと…
中学の英語で、「New York」が出てきた。司馬遼太郎は、「この地名にはどんな意味がありますか」と、先生に質問したのだそう。
先生は大変な怒りようで、「地名に意味などあるか!このバカモノ!」…!
これはないですよ。で、司馬遼太郎は泣きながら帰宅したかというと…なんと、家へ帰る途中、図書館へ寄って地名の由来を調べたという。非凡なところというより、勉強が好きだからの行動でしょう。
いわく、「私の学校ぎらいと図書館好きはこのときからはじまった」。
つまり、褒められなくても、「勉強は好き」なのです。