アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

世の中に勉強が嫌いな子などいない

2012年06月07日 | Weblog
 ラジオを聴いておりましたら… 
 「勉強が好きな子など、いるはずがない」と。
 誰が言ったかって?お調子者の司会者だったかなあ。今は、「パーソナリティ」というらしいが。
 今の時代に、「勉強が好きな子がいるはずない」と、真実を突いているかのように言う奴がいて、公共の電波を使って日本中に流す…犯罪とも言える行為です。

 子どもに限らず、人は皆、基本的に「勉強が好き」です。決して、奇をてらってはおりません。
 知識を得る、技能を習得する…実に楽しいものです。これは、勉強です。人は皆、大好きです。

 「勉強が嫌い」という子がいたとしたら、それは、勉強が嫌いなのではなく、「先生が嫌い」なのです。なお、「勉強ができない(不振)」と、「勉強嫌い」は、全く別のものです。
 近年、教育の場では、「褒める」ことが強調されております。これは、正しい。恥ずかしながら、還暦を過ぎた私でさえ、褒められると嬉しい。「よーし!がんばるぞーっ!」と意欲が湧いてきます。まして、子どもは褒められると有頂天です。先生大好き、勉強大好き!

 ですから、教員は、一日に一つでいいから児童生徒を褒めていただきたい。
 褒めどころがない?そんな場合は、「今日もよく学校へ来てくれたね、ありがとう。えらいぞーっ!」これでいいのです。

 教員に褒められなかったらどうなるか?私が小学生の頃先生によく言われたのは… 「こんな簡単なこともわからんのか、このバカ!」
 「もう忘れたのか、この鳥頭(とりあたま)!」
 (注:鳥頭は、物忘れの激しいこと。記憶力の弱いことのたとえ。「鶏は三歩歩けば忘れる」ということわざからきたもの)
 で、私はその先生が好きではありませんでしたが、勉強は大好きでした。

 司馬遼太郎のエッセーによりますと…
 中学の英語で、「New York」が出てきた。司馬遼太郎は、「この地名にはどんな意味がありますか」と、先生に質問したのだそう。
 先生は大変な怒りようで、「地名に意味などあるか!このバカモノ!」…!
 これはないですよ。で、司馬遼太郎は泣きながら帰宅したかというと…なんと、家へ帰る途中、図書館へ寄って地名の由来を調べたという。非凡なところというより、勉強が好きだからの行動でしょう。
 いわく、「私の学校ぎらいと図書館好きはこのときからはじまった」。

 つまり、褒められなくても、「勉強は好き」なのです。