アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

九九は難しい…

2012年11月18日 | Weblog
 小学校の授業を観てきました。小2の算数は、九九が終わったところ。ところが、九九を完璧に覚えていない児童が30%。ただ、まだ見込みがある子も。
 「この子は九九を覚えられずに生涯を終えるだろう」と、思われる児童は10%。「それはないだろう!」という声が聞こえそうですが、事実だからしょうがない。
 担任の先生とも話をしました。「何とか九九を覚えさせたい」と。努力していることが伝わってきました。先生も、頑張っているのです。もっとも、九九が分からなければ、算数がそれ以上前へ進めないわけで…(九九なしでは、割り算などその入り口にも立てない)。

 小学校教育のプロである定年間近の超ベテラン教員が手をつくしても、10%の児童は九九を覚えられない…。
 その日、石川遼が二年ぶりの優勝。優勝インタビューの石川くんの言葉に「ハッ」とさせられました。長いスランプの間、石川くんは…
 「本当に練習したらうまくなるんだろうか」と、自問自答し悩んだのだと。
 そういうことで悩んだ…さすが若干21歳。練習してもうまくならないのにね。

 練習して上達するのなら、私などとっくにプロゴルファーですよ。つまり、「練習したところで上達などしない」ってことですね。
 石川くんのこの度の優勝だって、練習の成果ではなく、「(練習に裏打ちされた)偶然の産物」です。(いつでも優勝できる力を備えているという意味ですけどね)

 このことは九九にもいえます。「いくら九九をとなえても、覚えられない子もいる」と、いうことです。
 では、このまま指をくわえて見ているだけかって?覚えられなくても「九九の練習」は、続けさせなければなりませんね。スランプ中の石川が練習を怠らなかったように。

 日本の諺に、「九九の陰には保護者有り」が、あります。初耳だって?私も初めて書きましたから当然でしょう。九九が分からない子の保護者の100%が、「子どもの九九の習得に、全く関わっていない」という事実があります。保護者も九九が解らないのだろうって?そ、そうかも…。