アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「猫を思いやる県」の決断

2013年12月06日 | Weblog
 「日本最低気温の町 -42℃」という看板を掲げた町がある。-42℃は、なかなか寒い。私が住んでいるところは、-20℃より下がるのは、一冬にせいぜい2~3度あるかないか。-42℃よりは遥かに温かい。と、いっても地球温暖化などあるはずないだろう!と、断言できる寒さですけどね。

 久々に小学校へおじゃましたのですが、玄関に猫がいて、「ニューニャー」と泣いている。この時の気温は、-5.8℃。「ニャーニャー」は、「寒いヨー」に違いない。さて、飼い猫か?ノラ猫か?風貌はノラ猫でしたが、ノラ猫がこの寒さの中を小学校の玄関までノコノコと出かけてくるとは思えない。よしんばノラ猫としても、昨夜までどこを根城にしていたのであろうか?

 校舎内に入ると、子ども達も職員室も、「猫談義」。「誰が連れてきたのか?」「噛まれた子がいる」「教頭先生は、猫の首を掴んで外へ出したので残酷だ」「カラスに襲われていたところを助けた子がいる」「その子のあとをくっついて、学校まで来た」「猫の恩返しか?」・・・。
 この日は1日中、学校が猫に振り回された恰好。私は午後早めに下校…何と、猫に待ち伏せされて…「お前の家へ、連れて行ってくれ」と懇願されました。とにかく情に弱いモノで、一瞬「連れ帰ろうか」と、思いました。しかし、薄汚い大きな猫…家人が許すはずがない。

 きっと、飼い猫でしょう。飼い主は心配しているだろうなと思います。猫の飼い主といえば、内田百(うちだ ひゃっけん)の「ノラや」。居なくなってしまった愛猫ノラを捜し、一喜一憂する日々を書いたエッセイ。自分の飼い猫に、「ノラ」と名づける。百らしいユーモア。百という漢字も、元々は百間だった。「月」を「日」に代えた。どういうわけかは分かりませんが、彼なりのユーモアだと思います。

 「ノラが昨日の午過ぎから帰らない。一晩戻らなかつた事はあるが、翌朝は帰つて来た。今日は午後になつても帰らない。ノラの事が非情に気に掛かり、もう帰らぬのではないかと思つて、可哀想で一日ぢゆう涙止まらず。やりかけた仕事の事も気に掛かるが、丸で手につかない」

 内田百は、警察署へ捜索願を出した。雑誌連載でも迷い猫の記事を掲載した。それだけでも十分おもしろい。だけど、猫の捜索願を出された警察が、スンナリ受理したところが非日常。さらに可笑しいのは、英文広告まで作成したこと。こうまでして、ノラを捜した。結局、見つからないうちに、ほかの猫を拾ってしまい…ノラへの思いとの葛藤が…。

 滑稽などと言ったら、猫好きに非難されるのでしょうねえ。我が子と同じくらい可愛いのでしょう。
 ある県が、「飼い主に猫の屋内飼育の努力を求める条例」を制定しようとしています。 これって、猫好きなのか?猫嫌いなのか?なぜそのような条例を?
 「交通事故で命を失って回収される猫が年間約7千匹」この現状を改善するのは、猫を外に出さないのが一番。猫の外歩きの危険性を考慮した、猫好きの県でした。

 次回小学校へ行くとき、あの猫…まだいるかなあ?