アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

リビングウイル

2015年04月04日 | Weblog
 今国会で、「死に場所難民」について質問をした議員さんがおられました。路チュウー議員とか、国会を病欠した直後に旅行に出た議員とかへの追及よりはバカバカしさに欠けますが…国会でこの質問が出るというところが「良いんでないかい!」と、思いましたね。
 身内に、脳幹出血でかれこれ4週間意識が戻らない卒寿の女性がいるものですから、死に方、死に場所について敏感になっているところもありますがね。

 施設・病院や自宅で死ぬには、経済力が必要。引きこもり・不安定就労・ホームレスなどの先ゆきを考えると、「社会的な処遇を受けない死」は、高齢者だけの問題ではない…。いわゆる、「異状死」は、平成9年には9万体だったのだそうですが、今や年間10数万体になんなんとしているのだと。(ここでお断りしておきますが、国会での質問の内容・数字と、ここに掲げたものとはイコールではありません。そこんとこよろしく。議員さんから、「その数字は少し違う」などのクレームがついてはいけませんので)

 人は必ず死ぬわけで、ほとんどの人が、「人にあまり迷惑をかけずに安らかに死にたい」と、願っているぅはず。延命治療については、「延命治療を受け、出来るだけ長く生きたい」と思っている人もおられるでしょう。思ったり、意思表示したりは自由。ただ、実際、死に直面し、意識が戻らなくなったら…生きながらえるのが本当に良いのか?延命治療について、「苦痛をやわらげる程度に」と望む人が8割弱だという(京都府医師会)。それしかないよね。

エンディングノートという言葉のほかに、「リビングウイル(生前の意思表示)」という言葉も出てきています。ノートに書かなくても、「(死に直面した際の)希望を伝える」…。死に直面してからでは、意思の伝えようがないもんね…。