アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

夕部…せきぶ、ゆうぶ、たぶ?

2015年04月19日 | Weblog
 NHKの朝ドラ、「まれ」。主人公は、「夢が嫌いな女の子」。「それなら、アンティークマンの考えと同じだろう」って?全然違いますよ。私は、「夢を持て、きっと叶う」とか、「夢はかなえるもの」とか、耳に響きがいいだけの言葉を若者に言う大人が嫌いなのです。そんな大人に扇動されて、「僕の夢は宇宙飛行士になることです」とか言い出す子が出る。多数出る。そして何年もしないうちに、その夢は…挫折というよりは、自然消滅する。…これが夢か?

 小学4年生の教室に、「将来の夢」が張り出されておりました。「医者になる」が、60数名中14人と抜きん出て多かった。まあ、医者なら努力次第で手が届く…それでも、「きっと叶う」は、無責任。14人中、1人でも医者になれたら大したものです。

 「夢」という漢字の部首は何ぁんだ?結構な数の人が、「それってクイズになるの?『くさかんむり』でしょ!」と、言います。夢という漢字のくさかんむりに見える部分は、実はくさかんむりではない。その下の目という漢字を横にしたものとあわせて、「羊の角と目」を表している。部首は、一番下の、夕方の「夕」です。 
 「どうして羊の角と目なんだ?牛ではダメなのか?」って?羊と目を合わせようとした人なら、「ああ!」と、納得されるかと思いますが、羊とは目が合わないのです。こちらを見ているようで、実際は焦点が合っていないようないるような?(瞳孔が横向きという説あり。どうやら、正しい説らしいです。目が合わない道理です) つまり「ボンヤリしか見えていないんだろうなあ?」と、思わせる。角と目を象形文字風に書くと、「羊」に見えてきます。牛ではこうはならない。

 夕方の薄暮の明るさ(夕)に、「わかんむり」をかぶせて遮光する。これは薄暗いですよ、あたりがボンヤリしか見えません。その上に、焦点が合わないボンヤリの羊の角付きの目を載せた。
 「夢」とは、見えそうで見えないぼやっとしているもの。現実のものと思えない…。こういうことを意味しています。

「人の夢」は、「儚い(はかない)」…