アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

五つの間

2015年12月18日 | Weblog
 今年は「小学生」「中学生」「現職の学校管理職」「地域にはたらく種々の委員さん」「高齢者大学の学生」…合計800人以上を対象に、話をさせていただきました。
 内容は対象に応じて変えていますが、根本は「人権を守る」です。で、「人権を守る」は、それでいいのですが、「そのためにどのような努力をするか?」この部分をどう伝えるか…。
 何度も書いていますが、殺人事件が報道されない日ってないんじゃないか?殺人に、残虐さのランク付けなどありませんが、「えっ?」と一瞬ですが耳を疑う手口の殺人が増加しています。なぜ一瞬だけかといいますと、すぐに、「何でもありの時代だからなあ」と、驚きが治まる。
 そういう犯罪者をどうすれば減らせますか?そればかり考えてますよ、毎日毎日。

 ひところ、子どもたちに足りない三つの「間」が話題になりました。「空間」「時間」「仲間」。これ、実にうまく表現されています。
 空間がない…居場所、隠れ家、空き地…ないない。時間がない…子どもたちは忙しいんです。仲間がいない…ゲームが仲間かな。数人で屋外で遊んでいる子を見つけました。今時珍しいなあと…よく見ると…数人でいるにはいるが、個々がゲームをしている…!屋外でゲームができるのか?「個々の家の前は、Wi-Fi OK」とか、「この家の前はダメだわ」などあるらしい。ゲームといえば、せいぜいオセロゲームぐらいしか浮かばない私としましては、異次元の話。オセロゲームの場合Wi-Fiは必要ない。屋外でもしようと思えばやれる。大変便利です。

 閑話休題。最近の殺人犯…正しく、「空間」「時間」「仲間」がないっ!三つの「間」が言われていた頃の子どもが、そのまんま成人し凶悪事件を起こす。
 で、犯人たちには、「空間」「時間」「仲間」がないだけじゃない。「茶の間」がないし、「世間」がないのです。五つの「間」がないのです。「五つ間」は、なんという学者が言っているのかって?学者が言ったのではありません。私が言っていることです。日本で初めて…!

 「茶の間」は、家族愛。凶悪犯たちには、「自己愛」しかありません。「家族団らんが憎くくて犯行に及んだ」このようなケースもありました。茶の間がある、笑いがある、歓声があがる…このような場所には、凶悪事件など起こすような隙間は全くありません。
 「世間」…これは、「社会的動物」である人にとって、生きる土台。世間から孤立してしまうと、恐れるものはなにもなくなってしまいます。「人を殺してはいけない」などという感覚はまったくなくなっているわけで…。

 では…どうする?これからの日本、どのように人を育てる?
 「空間」「時間」「仲間」「茶の間」「世間」…五間ですね!