子どもたちに話をするとき、「君たちはいかに恵まれているか」という話をします。単に金銭面の話ではないのですが…。ただ、これは説得力には欠けますね。「恵まれているなあ」と、思う子が何パーセントいるか?つまり、「恵まれているか否か」は、本人が決めること。人に言われて、しみじみ感じる筋のものではない。
「クリスマスのプレゼントは○○で、サンタさんからは△△で、サンタさんからのプレゼントは、おじいちゃんがお金を出してくれるんだって。それからね…」
小学校では、こんな話ばかり。で、案の定、これらの話に入っていけない子も少なくない。
「恵まれている」と、私が言う日本の子どもなのですが、…「子どもの貧困」という言葉が聞こえてきます…。平均的な収入の半分を下回る世帯の子どもは全体の16%。6人に1人の割合…。ひとり親世帯に限れば55%に跳ね上がる。こういう数字を見せられると、「日本の子どもの半数近くは、恵まれていない」と、言うしかない。
言葉にこだわるわけではないが、「子どもの貧困」ではなく、「保護者の貧困」でしょう!「子どもの貧困」では、子どもの側に責任があって貧困にあえいでいるかのように聞こえます。今更この言葉が修正されることはないでしょうけどね。
「健康で文化的な最低限度の生活」…憲法を持ち出したなって?ハイハイ、中学校での全校人権教室で、「憲法は国家が守るもの、法律は国民が守るもの」と、言いました。名言でしょう!なぬ?そんなの常識だって?いいこと言ったと思っていたんですがねえ。中学生からは反応がありませんでしたが、「公民の先生」には、「勉強になりました」と、言われたんですがねえ。
閑話休題。国家が「健康で文化的な最低限度の生活」を守るために、「児童扶養手当の拡充」「ひとり親家庭の支援策強化」に取り組む。と、とりあえず取り組んでください…。あまり喜んでいない様子だねって?よ、喜んでいますよ。だけど、拡充された扶養手当で保護者がスマホのゲームやってる…。こうーゆーこと、あってはならないのですが…。
ノート買ってあげてよねーっ。学びたいと望む子には進学の機会を与えてあげてよねーっ。まさか、育ち盛りの子に「ひもじい思い」をさせているんじゃないだろーねーっ!
ひもじい?…少年は裕福な家に育っていた。ある日、同級生とけんかになった。少年に押さえ付けられた相手は悔し紛れに言った。「おまえみたいに週に2度も肉入りスープを食べられれば、負けないんだからな」…「少年の日の思い出」ですよ。国語の教科書に出ていた。
打ち負かした喧嘩相手の、「肉入りスープ…」は、少年の脳裏を離れなかった。「同じ人間なのに、なぜ自分だけ恵まれているのだろうか」。そう考え続けた少年は、大学に進んで神学や哲学を学んだ。そして30歳になった時、「人のために尽くしたい」と医学部に入り直した。医師になりアフリカに渡って、献身的な医療奉仕活動に生涯をささげた。後にノーベル平和賞を受賞したシュバイツァー博士なんですがね。
シュバイツァー博士の言葉・・・私たちはこの世に存在している不幸の重荷を、みんなで一緒に担わなければならない。
私など、人生自体をリタイアしかけているので、この世の不幸の重荷は担う必要は無いかとも思うのですが…「君たちはいかに恵まれているか」と、子どもたちに話をするのも不幸の重荷を担っていることになるかなあ…。と、担っているふりをする…。
「クリスマスのプレゼントは○○で、サンタさんからは△△で、サンタさんからのプレゼントは、おじいちゃんがお金を出してくれるんだって。それからね…」
小学校では、こんな話ばかり。で、案の定、これらの話に入っていけない子も少なくない。
「恵まれている」と、私が言う日本の子どもなのですが、…「子どもの貧困」という言葉が聞こえてきます…。平均的な収入の半分を下回る世帯の子どもは全体の16%。6人に1人の割合…。ひとり親世帯に限れば55%に跳ね上がる。こういう数字を見せられると、「日本の子どもの半数近くは、恵まれていない」と、言うしかない。
言葉にこだわるわけではないが、「子どもの貧困」ではなく、「保護者の貧困」でしょう!「子どもの貧困」では、子どもの側に責任があって貧困にあえいでいるかのように聞こえます。今更この言葉が修正されることはないでしょうけどね。
「健康で文化的な最低限度の生活」…憲法を持ち出したなって?ハイハイ、中学校での全校人権教室で、「憲法は国家が守るもの、法律は国民が守るもの」と、言いました。名言でしょう!なぬ?そんなの常識だって?いいこと言ったと思っていたんですがねえ。中学生からは反応がありませんでしたが、「公民の先生」には、「勉強になりました」と、言われたんですがねえ。
閑話休題。国家が「健康で文化的な最低限度の生活」を守るために、「児童扶養手当の拡充」「ひとり親家庭の支援策強化」に取り組む。と、とりあえず取り組んでください…。あまり喜んでいない様子だねって?よ、喜んでいますよ。だけど、拡充された扶養手当で保護者がスマホのゲームやってる…。こうーゆーこと、あってはならないのですが…。
ノート買ってあげてよねーっ。学びたいと望む子には進学の機会を与えてあげてよねーっ。まさか、育ち盛りの子に「ひもじい思い」をさせているんじゃないだろーねーっ!
ひもじい?…少年は裕福な家に育っていた。ある日、同級生とけんかになった。少年に押さえ付けられた相手は悔し紛れに言った。「おまえみたいに週に2度も肉入りスープを食べられれば、負けないんだからな」…「少年の日の思い出」ですよ。国語の教科書に出ていた。
打ち負かした喧嘩相手の、「肉入りスープ…」は、少年の脳裏を離れなかった。「同じ人間なのに、なぜ自分だけ恵まれているのだろうか」。そう考え続けた少年は、大学に進んで神学や哲学を学んだ。そして30歳になった時、「人のために尽くしたい」と医学部に入り直した。医師になりアフリカに渡って、献身的な医療奉仕活動に生涯をささげた。後にノーベル平和賞を受賞したシュバイツァー博士なんですがね。
シュバイツァー博士の言葉・・・私たちはこの世に存在している不幸の重荷を、みんなで一緒に担わなければならない。
私など、人生自体をリタイアしかけているので、この世の不幸の重荷は担う必要は無いかとも思うのですが…「君たちはいかに恵まれているか」と、子どもたちに話をするのも不幸の重荷を担っていることになるかなあ…。と、担っているふりをする…。